第2262話 院長夫妻と別荘 Ⅴ クマタカ・パッション 3

 翌日は土曜日だったので、蓼科部長のお宅に電話し、クマタカが手に入ったと話した。


 「そうか、ご苦労だった。じゃあ早速持って来てくれ」


 相変わらず、こっちが苦労しているのに素っ気ない。

 それに、俺は仕事があった。


 「あの、これから麻布の〇〇病院へ行くんですけど」

 「なんだ?」

 「部長が手配したんですよ!」

 「ああ! じゃあ、俺がそっちは電話しとく。すぐに持って来い」

 「はーい!」


 まったくもう。

 俺はクマタカをポルシェに乗せて、西池袋の蓼科部長のお宅へ向かった。


 




 「こんにちはー」


 門を勝手に開けてポルシェを中へ入れる。

 静子さんが出て来た。


 「石神さん!」

 「こんにちは。部長に言われてクマタカを持って来ました」

 「まあまあ、本当に御苦労様。さあ、中へ入って」

 「はーい」


 車からクマタカを出した。

 静子さんが驚く。


 「本物なのね!」

 「そりゃもう。苦労しましたよ」

 「本当にごめんなさいね」

 「いいえ」


 玄関で蓼科部長が待っていた。

 浴衣姿だ。


 「おう、入れよ」

 「はーい」


 居間に案内され、テーブルにクマタカを置いた。


 「見事なものだな!」

 「そうでしょう!」


 クマタカは翼を拡げ、太い枝を爪で掴んでいる。

 造りが良く、自立するようになっていた。

 静子さんがコーヒーを淹れてくれ、三人で眺めた。


 「あなた、石神さんが苦労なさったのよ」

 「ああ、うん。石神、ありがとうな」

 「それだけ!」


 静子さんが笑った。

 昼食を食べて行くように言われ、快く引き受けた。

 まあ、もうそれでいいや。


 俺は夕べお世話になりこのクマタカを譲って頂いた赤木産業の話をした。


 「どこにも見つからないで、赤木産業に電話したら一発でした。驚きましたね」

 「だから俺が必ずあるって言っただろう」

 「あー、はいはい」

 

 こういう人だ。

 人の苦労も知らないで。


 「500万点も剥製があるらしいんですけどね。何がどこに仕舞ってあるのか、全部把握してるんですよ」

 「ほう、大した人だな」


 今ならばデータベースで管理するのだろうが、昔はそういう超人的な人がいた。

 500万種の動物の名前を全部覚えていることだけでも凄い。

 昆虫も含めてのことだ。

 

 「ああ、部長にそっくりな剥製もありましたよ」

 「なんだ?」

 

 俺はポラロイドで撮った写真を見せた。


 「……」


 ナゾ大猿の写真だった。

 静子さんが大笑いした。


 「《石神家討伐》って紙がついてました。静子さん、討伐したくなったらいつでも言って下さいね」

 「ウフフフ。その時はお願いね」

 「おい!」


 昼食に天ぷら蕎麦を頂いた。

 いつもながらに唸る程美味い。

 出汁の取り方がちがうのだ。

 丁寧に灰汁を取り、澄み切った旨味がある。

 大きな海老天とナス、タマネギのかき揚げ。

 俺の好物ばかりで、天ぷらも多めに作ってくれていた。

 蓼科部長と静子さんは海老とタマネギのかき揚げだけなので、俺のために作ってくれているのだ。


 蓼科部長が50万円を俺に渡そうとしたが、俺はクマタカの代金の10万円だけ頂いた。

 個人的な要件だったが、いつもお世話になっている蓼科部長のためだ。

 こんなことでは恩義は返せない。

 蓼科部長は、クマタカを自室の床の間に飾った。

 とても大事にして下さっていた。



 



 蓼科部長の実家が大規模な土砂崩れに見舞われた。

 近くに住んでいた親戚も巻き込まれ、誰も助からなかった。

 林業を営み、実家の隣に製材所もあったが、すべて喪われた。


 蓼科部長の悲しみは深く、あの自分に厳しい蓼科部長が、一週間もふさぎ込んだ。

 俺は静子さんに頼まれて広島での葬儀にも同行した。

 その後も、度々蓼科部長のお宅へ伺って蓼科部長の話し相手になった。

 

 一ヶ月も経つと蓼科部長も何とか落ち着きを取り戻し、実家の跡に慰霊のお堂を建てると言った。

 そして俺に頼みごとがあると言った。


 「あのクマタカをお堂の中に入れたいんだ」

 「え?」

 「親父も鷹が好きでな。鷹匠と仲良くしていたのも、そういう縁だったんだ」

 「そうだったんですか」

 「家にも立派なクマタカの剥製があってなぁ。玄関を入ると正面にガラスケースに入れて置いてあったんだよ」

 「素晴らしいですね」


 そうか、そういう思い出もあったのか。

 自分のことはあまり語らない人だった。


 「家族のみんなが毎日眺めていた。蓼科家のシンボルのようなものだった」

 「はい」


 お堂は土砂崩れに巻き込まれなかった親戚たちが手配してくれた。

 ほとんどの山林などの資産は親戚たちに分配し、蓼科部長はお堂の建築と維持をお願いした。

 俺は「広島陳列」というショーケースの業者にクマタカのケースを頼み、俺が設計して蓼科部長に見せて了承を得た。

 八角形の形にし、高さ120センチの美しい欅の台の上に、ガラスを組んでいる。

 台の各面に小さな引出しを付け、防虫剤や水が入れ替えられるようにした。

 蓼科部長のご祖父母とご両親、亡くなったお兄様、蓼科部長と静子さん、そして土砂でいなくなったクマタカ。

 その8名が同時に観れるようにと、俺は八角形の形にした。

 

 立派なお堂が蓼科家跡に建ち、蓼科部長と静子さんが広島へ行った。

 俺は前日にクマタカを運び、「広島陳列」の方とケースを準備して翌日の法要を兼ねたお堂の建立祝いに参列した。

 蓼科部長がクマタカのケースに銘板を入れたいと言っていた。


 「石神、あのクマタカに名前を付けようと思うんだ」

 「ああ、いいですね」

 「お前、考えてくれないか?」

 「俺がですか!」

 「お前は上手い名前を付けてくれるだろう」

 「部長が考えた方がいいですよ」

 

 俺は外部の人間だ。

 しかし蓼科部長が笑った。


 「こういうのはお前の方がいい。ロマンか、お前がよく言っているだろう」

 「あのですねぇ」

 「頼む。俺には考えることが出来んのだ」

 「……」


 余りにも思い出すことが多いのだろう。

 俺は引き受けて、幾つかの名前を蓼科部長に渡した。


 「《昔日光》かぁ! うん、素晴らしい、これにしよう!」


 神代タモに墨で書かれた銘板をケースの中へ入れた。







 蓼科部長がお堂の中心に置かれたクマタカのケースを観た。


 「お、お、おぉぉー!」


 泣き崩れ、静子さんが横にしゃがんで抱き締めた。

 

 クマタカは雄々しくはばたきながら、優しくお二人を観ていた。

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