第2263話 院長夫妻と別荘 Ⅵ クマタカ・パッション 4
俺は話し終えて、恥ずかしそうにしている院長の肩を叩いた。
「あれ、泣かないんですか?」
「うるさい! お前、また余計な話を」
みんなが笑った。
静子さんは優しく微笑んでいる。
「あの時は石神さんにも随分と助けていただいたわね」
「とんでもない。お二人にしていただいたことに比べたら」
「いいえ、あなたのお陰で文学ちゃんも立ち直ったのよ」
「そんなことは」
双子が院長と静子さんの頬にキスをした。
後ろからお二人の肩に手を乗せて立った。
「あのお堂は今も御親戚の方々が?」
「ああ、ちゃんとやってくれている。俺たちもしばらく行っていないがな」
「そうですか」
行くには思い出が多すぎるのだろう。
「《昔日光》っていい名前ですよね」
亜紀ちゃんが言った。
「院長が銘板に自分で書いてな。ああ、あれも苦労したぜぇ」
「え?」
「おい、石神!」
俺は笑ってまた話した。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「石神、ガラスケースに入れるクマタカの名前の板だけどな」
「ああ、はい」
「良い木の板にな。墨で書こうと思う」
「いいですね」
「どういう木がいいかな」
「表札のようなものですよね?」
「いや、もうちょっと何か……」
表札の板ならば簡単に手に入るが、もうちょっと違うものにしたいらしい。
俺は紙にスケッチして、幾つかのサイズを示した。
「ああ、このくらいのがいいか。縦30センチ、横10センチ、厚さ13ミリか」
「いいですね」
「お前、良い板を探してくれ」
「え?」
「素材が重要だろう」
「俺ですか?」
「今そう言っただろう」
「はい」
また面倒なことを。
こういうものは自分でやった方がいいんじゃないか。
「お前の方がセンスがあるからな」
「はぁ」
そう言われてしまっては仕方がない。
俺も木材の専門家ではないのだが。
渋谷の東急ハンズに行って、幾つかの眼に着いた素材を蓼科部長に見せた。
実物を目にしないと、なかなかイメージは湧かないものだ。
蓼科部長はハガキ大の板を見て行って、一つを選んだ。
「これがいいな!」
「ああ、神代タモですね」
俺もそれがいいと思っていた。
全体に淡い緑がかった灰色で、所々に白いものが浮かんでいる。
「そういうものなのか」
「「神代」というのは、千年以上地中に埋もれていたものです。普通は腐食するんですが、酸素が断たれた状況だったり、カルシウムなんかと分子交換したりして、奇跡的に腐敗せずに残ったものなんですよ」
「そうなのか!」
「《神様に代わった木》という意味だそうです。これでいいですか?」
「うん、最高だな! お前に任せて良かった!」
蓼科部長が満足そうに喜び、俺は神代タモを探した。
東急ハンズに最初に問い合わせたが、もう全てをあのハガキ大のサイズにカットしてしまっているとのことだった。
またタウンガイドを開いて、都内の銘木店に問い合わせて行った。
ねぇ。
俺が思っていた以上に稀少な材木のようで、偶然に発見されたものしか無いということだった。
なるほど。
俺は必死に電話で問い合わせをしていったが、どこにも無い。
弱った。
どうしようもないので、蓼科部長に話しに行った。
別な銘木にしてもらうために。
「おう、石神! 神代タモは見つかったか!」
「いや、それがですね……」
「あの木はいいな! 本当に楽しみだ!」
蓼科部長が嬉しそうに笑っていた。
「……もう少しお待ちください」
元々、俺が勧めたのだ。
今更無いでは済まない。
それに、蓼科部長があのクマタカにどれほどの思い入れを持っているのかが分かっている。
俺はもう一度木場の銘木店に電話した。
「先日も問い合わせたんですけど」
「ああ、あんたか。あのさ、こっちは忙しいんだよ。素人さんの趣味なんか相手にしてられないの!」
「お願いします! 上司の実家の方々が土砂崩れで全員亡くなりまして!」
「なんだって?」
「一遍に家族と親戚を全員喪ったんです」
「あ、あんたさ……」
「その家にはクマタカの剥製があってですね、今度慰霊のお堂を建てて、そこに別なクマタカの剥製を置くことになって! それでですね……」
俺は一生懸命に事情を話し、素人のやることなのだが、この上なく重要なものなのだと説明した。
「……分かったよ。それじゃあ、一度うちに来なよ」
「ありがとうございます!」
俺は勘違いしていた。
昔から銘木を扱う仕事をして来た方々だ。
素人の軽い興味や趣味で、大事な銘木が喪われることに我慢できないのだろう。
しかるべき扱いをする専門家に使ってもらいたい。
木に対する愛情が深い方々なのだ。
すぐに木場のその店に行き、社長さんが直々に会ってくれた。
「悪かったよ。あんたがそんな思いで探してたとは思わなくてな」
「いえ! 俺の方こそ気軽に探せると思い込んでました! すみません!」
「いいよ。事情は分かった。是非うちの木を使ってくれよ」
「ありがとうございます!」
実際に膨大な銘木を置いてある場所を案内してくれ、俺がちょっと気になって観た銘木を、その度に説明してくれもした。
神代タモは奥の倉庫にあり、見事な塊を俺に見せてくれた。
「これだけあれば十分だろう?」
「はい! ありがとうございます!」
縦横50センチ、厚さ40センチの塊だった。
東急ハンズで購入したものよりも、緑が濃く白のカルシウムが見事に散っていた。
俺は一目で気に入り、是非これを購入したいと言った。
「ところで、自分で切れるかい?」
「あの、のこぎりは一応持ってるんですが」
「ああ、ダメだよ。やっぱりなぁ。これはカルシウムがたっぷり入ってて、普通は切れないよ。それに素人さんが手ノコだなんて無理だな」
「そうなんですか」
「良ければうちで切ってやろうか?」
「本当ですか!」
「ああ、普通はやらないんだけどな。お詫びだ」
「そんな!」
社長さんが従業員に言って、俺の指定のサイズに何枚かをカットしてくれると言って下さった。
精密な丸ノコのある製材施設に持って行く。
カンナも掛けて下さると言ってくれた。
俺はその間、事務所でお茶をいただいた。
「広島の方で実家は代々山林を持っている家系でして」
「そうなんだ」
「二か月前に突然の土砂崩れで。御一家と周辺に住んでいた親戚の方々が……」
「おい、それじゃぁ蓼科林業か!」
「え、はあ、はい」
「あそこの方だったのかぁ! それは知らなかった! 本当に申し訳ないことをしたぁ!」
「いえ、あの?」
社長さんが立ち上がって俺に頭を下げた。
その銘木店は昔から蓼科部長の実家「蓼科林業」と取引があったそうだ。
「葬儀にも行かずに、不義理をしてしまったと後悔していたんだ。そうかぁ、あそこの人かぁ」
「上司の蓼科は東京に出て来て医者をしています。俺はその部下でして」
「本当に悪かった! 申し訳ない!」
「いいえ、いいんですよ。御存知なかったことですし」
希少で高価な神代タモは無償でいいと言われた。
俺がそれは困ると言ったのだが、絶対に代金を受け取ってもらえなかった。
反対に香典だと言われ、50万円も預かってしまった。
本当にいい方だった。
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「おい、石神」
院長がコワイ顔で俺に言った。
「はい」
「お前よ、あの時は神代タモの代金は自分が出すとか言ってたよな?」
「え、そうでしたっけ」
「俺、お前に感謝して「ざくろ」で散々飲み食いさせてやったよな?」
「えーと、記憶にございません」
「お前ぇー!」
みんなが笑った。
「もういいじゃないですかぁ! 俺だって散々苦労したんですから!」
「お前なぁ!」
昔日の光はもう見ることは出来ない。
しかし、俺たちはいつでもそれを思い出すことが出来る。
その美しい光を。
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