第2260話 院長夫妻と別荘 Ⅲ クマタカ・パッション
俺が今の病院へ移って、3年を経過した頃。
蓼科文学第一外科部長の下で、毎日必死で修業していた。
一応は週休二日であり、週二日の夜勤明けは帰っていいことになっている。
しかし実際は休日や夜勤明けは必ずどこかの病院へ出向となり、俺は月に一日の休みさえ怪しいことになっていた。
自分で蓼科文学に惚れ込んで来たのだから、俺はきつい状況に耐え、何とかやっていた。
医者修行であれば文句も言わない。
だが、俺にも言いたいことがあった。
それはおよそ医療に関係の無い仕事だった。
蓼科部長の個人的なものだ。
自宅へ呼んでくれるようなことは、喜んで伺った。
そうではない、個人的な買い物や用事や送迎など。
俺は奴隷じゃない。
仕事は文句も言わずにやるが、個人の用件は時々愚痴となった。
20代後半の頃、蓼科部長から一つの用事を言い渡された。
「夕べ、ドキュメンタリーを観ててよ」
「はぁ」
鷹匠のドキュメンタリーだったようだ。
「俺が子どもの頃に、知り合いに鷹匠の人がいてな」
「へぇ」
頭を殴られた。
「真面目に聞けぇ!」
「えぇ!」
蓼科部長によると、その鷹匠が随分と自分を可愛がってくれたそうだ。
お猿のペットと思っていたんだろう。
「俺は次男で、みんな兄貴の方へ行っていたんだけどな。その鷹匠の人は俺を可愛がって、俺に鷹狩なんかも見せてくれた。腕に鷹を止まらせてくれたりもしたんだ」
「そうなんですかぁ」
全然興味はねぇ。
「それでな。夕べのテレビを観て、どうしても鷹を飼いたくなった」
「なんですってぇ!」
「鷹はカワイイんだよ。うちには子どももいないからな。ああいうカワイイ動物を育てるのもいいんじゃないかってなぁ」
「そりゃ無茶でしょうが!」
「何でだよ」
「猛禽類ですよ?」
「カワイイぞ?」
ダメだ。
話が通じねぇ。
とにかく、蓼科部長は俺に鷹を探して、飼育に必要なことを調べるように言った。
めんどくさいことこの上ない。
俺も鷹のことなどまったく知らない。
ゼロからの話になった。
まず飼育法。
当時はインターネットなど無い。
幾つかのペットショップに問い合わせたが、大した情報は無かった。
扱いももちろん無い。
やっと鷹の飼育を知っているというペットショップを見つけた。
「餌はね、ネズミとかの小動物。ああ、そういうのは冷凍で売ってるよ」
「そうなんですか!」
「だけどね、鷹は警戒心が強いんだ」
「そうでしょうね」
そんな気はする。
「だから、必ず餌をやる人間は一人。その人間に慣れさせないと、餌も食べてくれないよ」
「そうなんですか!」
うーん、蓼科部長がやるのだろうか。
仕事で忙しいから、静子さんになるのか。
でもそうすると、部長には慣れないだろう。
そもそも、静子さんが襲われて怪我でもしたら大変だ。
いろいろ教えてもらい、飼育法自体は分かった。
次に法的な面だ。
豊島区役所に問い合わせた。
幾つか部署をたらい回しにされ、やっと担当者を捕まえた。
「猛禽類の場合、金網のケージか檻に入れる必要があります」
「そうなんですか」
「登録が必要なので、市役所の人間が確認に行きます」
「分かりました」
大変だ。
まあ、庭にでも作れるか。
あー、それも俺がやるんだろうなぁ。
部長が観たという番組の問い合わせで、鷹匠の連絡先も教えてもらった。
電話すると親切な方で、いろいろとアドバイスしてくれたが、素人には難しいだろうと言われた。
その方はネズミを自分で繁殖させて餌にしているらしい。
他にもいろいろなものを与えているそうだ。
大変参考になった。
次に入手法。
これは先日飼育法を教わったペットショップに聞いた。
「あー、日本の国内だと、保護鳥になっているんで猛禽類を新たに捕獲してはいけないんだ」
「なるほどー」
面白い話を聞いた。
鷹匠は国に登録しており、鷹が死んでしまうともう入手出来なくなるそうだ。
だから死んでもその届けをせずに、次の鷹を捕まえている人もいるらしい。
恐ろしく長生きの鷹がいる。
「だからね、一般向けは海外から輸入しているんだ」
「そうなんですか」
「でもね、今は難しいんだよ」
「はい?」
折しも、世間は「SARS」で騒がれており、鳥インフルエンザの世界的な流行の時期だった。
だから鳥類は一切輸入されていない。
そうすると、今国内のペットショップにいるものを探して購入するしかない。
「まず無理だね」
「はぁー」
大体まとまった。
蓼科部長に報告した。
「まあ、お前ならどこかで探して来るだろう」
「え!」
「ケージとかも頼むな」
「あのですね!」
その問題はともかく、餌をやったり世話は誰がするのかということだ。
「まあ、俺と静子でやるよ」
「だから独りじゃないとダメなんですって」
「可愛がれば大丈夫だろう」
「もう!」
聞いてくれない。
当時は蓼科部長も若く、自分が正しいという考え方をする人だった。
俺なんかの言うことは聞かず、自分で考えて正しい答えを導くのだという。
困ったことになった。
「ああ、ケージはいいけどよ。時々外に出して遊ばせてもいいんだよな?」
「ダメですよ!」
市役所の人間にも聞いたが、鷹匠のように外へは連れ出せない。
「じゃあ、ケージの中だけで飼うのかよ!」
「そうですよ!」
「可哀そうだろう!」
「だからそういう問題じゃないんですってぇ!」
胸倉を掴まれた。
「お前は鷹が可愛くないのかぁ!」
「はい、全然!」
突き飛ばされた。
もう!
「分かった、そのことはもういい」
「部長」
「あんだよ」
「まさかとは思いますけどね」
「なんだ?」
「こっそり外へ飛ばそうだなんて思ってないですよね?」
「……」
蓼科部長が目をそむけた。
鳩じゃねぇんだ。
「あぁー! やっぱりやるつもりでしょう!」
「なんだよ、だって可哀想だろう!」
「あのですね。鷹が小学生とか襲ったらどうすんですかぁ!」
「そ、それは」
「人間の指くらいの爪なんですよ? 眼球に入ったりすれば大変です!」
「ま、まあ、そうかもな」
「絶対ダメですからね!」
「う、うるせぇ!」
仕方なく、最後の手段に出た。
自分のデスクに戻り、静子さんに電話した。
「あの、実はですね。部長が鷹を飼いたいと……」
詳しい事情を話した。
餌や世話は部長と静子さんがすると言っているが、間違いなく静子さんの仕事になると。
「文学ちゃんに替わって」
「はい!」
部長に静子さんの電話だと言った。
物凄い顔で俺を睨んで電話を受けた。
「ああ、うん。分かった。今日は早目に帰るよ……ああ、分かってる! 石神にももう辞めると言ったんだ!」
俺は部長室のガラス越しに、顔の両側で指をパラパラさせた。
「石神ぃ! あ、いや、何でもないんだ! あいつが今ちょっと! あ、ああ、分かった。今晩な」
蓼科部長が俺を手招いたが、俺はダッシュで逃げた。
翌日、蓼科部長がゲッソリした顔で出勤してきた。
散々静子さんに叱られたのだろう。
でも、この件はまだ終わらなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます