第807話 乾さん Ⅴ

 情ないことに、俺はどうにもならなかった。

 20分も泣き続け、店に客が入って来たので大森が俺を外に運び、RZと引き離されたくなくて暴れると亜紀ちゃんに殴られ、外で双子とロボに慰められ、栞と鷹が両脇から抱き、六花がおチンチンを撫で、響子が俺の顔を抱き締め、一江が少し離れて写真を撮って笑っていた。


 ようやく少し落ち着き、店の中へ入った。

 乾さんは俺をソファにまた座らせてくれた。


 「大丈夫か、トラ」

 「すいませんでした」

 「まったく、いい年になってなぁ」

 「すいません」


 「お前は全然変わらないな」

 「すいません」


 乾さんは目を潤ませて俺を見ていた。

 乾さんも何も変わってはいなかった。


 「おい、俺も会いたかったぞ!」

 「俺も!」

 「じゃあ、なんで会いに来てくれなかったんだ」

 「会わせる顔が無かったんです」

 「なんだと?」

 「だって、乾さん、あん時あんだけ俺のことを必死に止めようとしてくれたのに、俺は無視して言いたいことを言って飛び出してしまった」

 「何を言ってるんだ」

 「俺、乾さんがどんなに心配で、どんなに悔しかったかって分かりますよ。自分がどうにかしたいと思ってるのに、俺が拒絶してしまった、酷いやり方で」

 「トラ、お前」


 「だから、もう二度と会わないと思った。RZを俺の代わりに大事にしてくれることは分かってた。申し訳ないと思ったけど、それしか出来なかった」


 「ばかやろう!」


 乾さんが怒鳴った。


 「お前は本当にバカだ。お前なら俺が会いたがってるのを分かってただろう!」

 「はい! 俺も乾さんに会いたかった!」

 「このバカが!」


 俺はまた泣き出した。

 何とか一江を呼び、みんなに帰ってもらうように頼んだ。


 「私は残りますよ」


 亜紀ちゃんが言った。

 俺は帰るように言ったが、頑として言うことを聞かなかった。


 「トラ、お嬢さんと一緒に泊まれよ」


 乾さんがそう言ってくれた。


 「タカさん、今日は運転は無理ですよ」


 俺は黙って頷いた。

 俺たちは、店の三階の住居スペースに案内された。




 夕飯に、乾さんは寿司をとってくれた。

 俺は亜紀ちゃんに自分の分をやり、黙っていた。

 そんな俺を、乾さんと亜紀ちゃんが見ていた。


 「すいません。大泣きするとは思ったんですが、こんなになっちゃうとは」

 「いいよ。トラにとっては特別なものだ。無理もない」

 「乾さんもです。タカさんには本当に大事な人だったみたいですから」


 「うるせぇ」


 俺が呟くと、二人が笑った。

 

 「おい、調子が出て来たじゃねぇかぁ」


 亜紀ちゃんが言うので引っぱたこうとしてやめた。


 「そうだな。そうじゃなくちゃな」

 「タカさん!


 


 風呂を頂いた。

 風呂から上がり、俺は乾さんに屋上へ誘われた。

 缶ビールを持っている。


 「お前、飲めるんだろ?」

 「はい」


 屋上には白いテーブルと椅子が2脚あった。

 恐らく、乾さんの特別な場所だろうと思った。

 俺たちは小さなテーブルを挟んで並んで海の方を向いた。


 「海が見えるんですね」

 「そうだ。ここに来ないと見えないけどな」


 いい眺めだった。


 「お前の子どもたち、いい子だな」

 「いえ、やんちゃで俺の言うことを聞かなくて、どうにも困ってます」

 「友達のお子さんだったそうじゃないか」

 「はい。親友だった奴が奥さんと事故で急に。施設にバラバラに預けられるって聞いて、俺が引き取ることにしたんです。まあ、俺みたいなバカでいい加減な人間に引き取られて、可哀相な連中ですよ」


 「まったくだな」

 「アハハハハ!」


 「でも、お前は変わらないな。お前は人が困ってると後先考えずに行動する。棚田が困ってると知った瞬間に、お前は吹っ飛んでいったよなぁ」

 「北京ダック、棚田さんが最初に食わせてくれました」

 「アハハハハハ!」


 「前島も、榎田もお前に助けられた」

 「とんでもありません」

 「俺だってな」

 「何を言ってんですか!」


 俺たちはビールを飲みながら、海を見詰めた。


 「でも、懐かしいよな」

 「まったくです」


 波の音は離れていて聴こえない。

 でも、何かが、俺たちに届いているような気がした。


 「最初はな、お前が貧乏なんだって言うんで、面倒みたくなったんだ」

 「そうですか」


 「俺が惚れた女の話をしたのを覚えているか?」

 「はい。結核で亡くなったと」

 「俺が不甲斐なかったからだ」

 「乾さんは貧乏が憎いと仰いました」

 「そうだ。だから、お前が困ってるなら、とな」

 「ありがとうございます」


 「でも、お前は貧乏なのは確かだったけど、何にも負けなかった。俺は時々飯を食わせたけど、お前はそれ以上のものを俺たちにくれた」

 「そんな。俺はお世話になってばかりで何も出来ませんでしたよ」

 「いや、俺たちはお前が笑って元気に生きているのを見て、本当に嬉しかったんだ。お前が来るのを、みんな楽しみに待ってた。普段の嫌なことを全部忘れて、お前と楽しんだ。まあ、お前の勉強の邪魔になってるのは分かっていたけどな」

 「いえ、俺の方こそ、楽しくて楽しくて」


 「みんな、お前が大好きだったんだよ」

 「ありがとうございます」


 俺たちは、夜が明けるまでいろいろなことを話した。

 途中で酒を取りに行き、俺が腹が減ったのでつまみを作らせてもらい、それを乾さんが絶賛して食べてくれた。


 大学のこと、奈津江のこと、医者になったこと、子どもたちのこと、響子や愛する女たちのこと、院長や部下たちのこと。

 そして乾さんもここまで店を大きくするのに苦労した話、あの時の乾さんの友達のその後、相変わらず女性と縁が無いという話を話してくれた。

 

 酒は途中で辞めた。

 水や炭酸に氷を入れて飲んだ。


 俺たちはそれで最高に楽しく話した。

 乾さんは俺や子どもたちのハチャメチャな話に大笑いしてくれた。

 俺は乾さんと仲間の方達の話を聞けて嬉しかった。


 日曜は乾さんの店は営業だ。

 俺は寝かさずに話したことを詫びた。


 「何言ってんだ。俺は社長だぞ? 好きなだけ寝てていいんだ」

 「そうかぁ!」


 俺たちは大笑いした。




 俺は寝ていた亜紀ちゃんを蹴飛ばして起こし、帰ると言った。

 朝の5時だ。

 見送りに来た乾さんに、RZは後日取りに伺うと言った。


 「今度は泣くなよ?」

 「アハハハハハ!」


 俺は亜紀ちゃんをアヴェンタドールに乗せて帰った。

 途中に公園を見つけ、亜紀ちゃんを降ろして入った。

 早朝なので誰もいない。


 「てめぇ! 今回は好き勝手やってくれたなぁ!」

 「はい」

 「覚悟しろ。「奈落」を使う」

 「はい」


 亜紀ちゃんは覚悟したように、緊張して目を閉じた。

 亜紀ちゃんは一度、聖に「奈落」を喰らっている。

 大分軽くやられたのだが、翌日は身体が動かせないほどのダメージを喰らった。


 「気張って耐えろよ!」

 「はい!」





 俺は亜紀ちゃんを抱き締めた。


 「ありがとう、ありがとう、ありがとう、本当にありがとう!」

 「タカさん」

 「ばかやろう。お前は今「奈落」を喰らってるんだ。声なんか出すな」

 「……」


 「まさか、乾さんにまた会って話が出来るなんて。まさかあのRZを再び観れるなんて。まるで夢のようだ。全部、亜紀ちゃんのお陰だ」

 「俺は絶対に忘れない。ありがとう、亜紀ちゃん」

 「……」


 俺は亜紀ちゃんを抱きかかえた。


 「俺の「奈落」を喰らったんだ。帰るまでは話もできねぇだろう。仕方ねぇ、運んでやる」





 亜紀ちゃんは、家に帰るまで黙っていてくれた。

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