第805話 乾さん Ⅳ

 7月中旬の土曜日。

 俺は夕べ鷹のマンションに行こうとして、断られた。


 「明日、大事な用事があるので」

 「そうなのか」


 鷹は笑っていなかった。

 栞とも、昼食を誘った時に断られた。

 一江や大森も、心なし俺に対する態度が違った。


 家でもそうだ。

 子どもたち、レイ、柳が俺と会話しない。

 挨拶はするし、話しかければ返事もするが、態度が違う。

 俺と話したがっていない。


 「亜紀ちゃん、一緒に風呂に入ろうか」


 俺はいたたまれなくなり、初めて俺から誘った。


 「え、ちょっと嫌」

 「!」


 ショックだった。

 俺は自分が何かしたと思った。

 みんなに何か迷惑をかけたか。

 嫌な思いをさせたか。

 考えると宛があり過ぎるので止めた。


 ロボだけがいつも通りで、俺はロボと遊び、ロボに話しかけて過ごした。





 土曜日の朝。

 朝食を食べ、ロボと部屋に引っ込んでいようと思うと、亜紀ちゃんが引き留めた。


 「タカさん、お話があるので、ちょっといてもらっていいですか?」

 「なんだ?」

 「もう少ししたら、みなさんいらっしゃいますので」

 「?」


 俺はテーブルに座った。

 亜紀ちゃんがコーヒーを持って来た。


 10時になった。


 チャイムが鳴り、亜紀ちゃんがロボと一緒に迎えに行く。

 栞、鷹、そして響子と六花が入って来た。

 リヴィングに来て俺に挨拶する。

 響子は俺の近くに座り、俺を睨んでいた。


 次々にチャイムが鳴る。

 次々に人が入って来る。

 一江、大森、院長夫妻まで来る。


 みんな黙って俺を見ている。


 響子と院長夫妻だけが座り、あとは全員が立っている。

 ロボが尻尾をパチパチさせるので、俺が宥めた。

 異様な雰囲気だ。






 「亜紀ちゃん、これはなんだ?」


 「タカさん、お話があります」

 「おう」


 「乾さんに会って下さい!」

 「なに!」


 「私、先週の日曜日に乾さんに会ってきました」

 「お前ぇ! 何勝手なことをしてる!」


 俺は怒鳴った。

 院長が立って俺の肩を押さえた。


 「乾さん、タカさんのこと、ずっと待ってました! 毎朝神社にタカさんの無事を祈りに行ってるって! RZ、とてもキレイでしたよ! ずっと整備もしてきてたんですってぇ!」

 「ふざけんな! こっち来い! ぶん殴ってやる!」

 「いいですよ! 今日は私も黙って殴られません! タカさん、勝負しましょうよ!」


 「おい、全員家から出ろ! このバカ娘と本気でやるからな! 辺り一帯吹っ飛ばしてもこいつを殴り倒す!」


 「石神! いい加減にしろ。亜紀ちゃんはお前のためと思ってやってるのが分らんかぁ!」

 「石神さん、どうか落ち着いてね。みんなあなたのことを思って集まってるのよ」


 院長夫妻から言われた。


 「タカトラ、会いに行って」 

 「石神先生、お願いします」

 「てめぇら!」


 みんなから口々に言われる。

 俺は椅子にもたれかかった。


 「亜紀ちゃん、なんで今回はそんなに強情なんだよ」

 「タカさんの傷がちょっとは塞がるかもしれない!」

 「なんだと?」


 「だって、RZですよ! あのRZじゃないですか! タカさんと一緒に駆け巡って一緒に戦って一緒に泣いたあのRZなんですぅ! 杉本さんを乗せたんですよね! 阿久津さんを探したんですよね! レイを迎えに行ったって、佐野さんの奥さんと子どもをー!」


 亜紀ちゃんが泣き崩れた。

 俺の中でも、猛烈に様々な思い出が沸き上がって膨れ上がった。

 俺も涙を流した。


 「タカさん!」

 「石神!」

 「石神先生!」

 「タカトラ!」

 「石神さん!」

 「部長!」


 みんなが俺を呼んだ。





 「亜紀ちゃん、乾さんに会いに行くぞ」

 「タカさん!」


 俺はスーツに着替えた。

 アヴェンタドールで行くつもりだった。

 亜紀ちゃんと二人で。

 リヴィングに戻ると、みんなが騒いでいた。


 「私はタカさんとアヴェンタドール、六花さんと響子ちゃんは特別移送車、柳さんはレイと院長御夫妻とロボ、皇紀とルー、ハー、栞さんも乗って下さい」

 「私は自分の車で行くよ」

 「いえ、今日は辞めて下さい、お願いですから」

 「わかったよ」



 「おい」

 「はい、タカさん」

 「一体何の話だ?」

 「みんなで行きますから」

 「なんだと!」

 「ダメですよ。みんな忙しい中来て下さったんです。タカさん号泣ショーでもお見せしないと申し訳ありません」

 「お前、ふざけんな!」

 「あ、また全員の集中砲火浴びますか?」

 「てめぇ!」


 「はいはい、今日はダメですよ。諦めて下さいね」

 「覚えてろよ!」

 「そんな負け犬のセリフは似合いませんよー」


 亜紀ちゃんが笑っていた。

 まったく、こいつは。





 俺たちは全員で出発した。

 亜紀ちゃんが走り出してすぐに電話した。

 乾さんだろう。


 「これから大勢で詰めかけます。もちろんタカさんも一緒です!」


 「タカさん、あまり飛ばさないで下さいね。柳さんはまだ初心者ですし、響子ちゃんは特別移送車なんですからね」

 「うるせぇ!」


 亜紀ちゃんはニコニコしてる。

 横浜が近付くにつれ、俺の中でまた思い出が込み上げて来た。

 耐えられない。

 俺は亜紀ちゃんにずっと怒鳴り続けた。

 亜紀ちゃんはずっと、俺に笑いかけていた。

 俺を大好きなんだと言い続けた。


 



 乾さんは、店の前で俺を待っていた。

 その姿を見た途端、俺は涙を抑えきれなかった。


 「タカさん! もう少しですから頑張って車移動してくださいね!」

 「うるせぇ! 店に突っ込んでやる!」

 「タカさん!」


 俺は店の前の駐車場にアヴェンタドールを停めた。

 俺がシートに座ったままなので、亜紀ちゃんが降りて外からドアを開けた。

 俺を引っ張り出す。

 突然、強い力で抱き締められた。

 俺は大声で泣いた。


 「トラ! やっと会えたー!」


 乾さんが叫んで泣いた。


 「乾さん、乾さん、乾さん」


 俺は泣き続け、名を呼び続けた。

 気が付くと、みんなが俺たちを囲んで見ていた。

 俺は亜紀ちゃんに手を引かれ、乾さんと店に入った。

 倍以上広くなった店。

 三階建ての品のいい建物。

 隣の大きな倉庫。


 俺は乾さんにRZの前に連れて行かれた。

 俺はまた大声で泣いた。


 俺の青春、俺の相棒、俺の、俺の、俺の……


 みんなが俺の背中をさすり、叩いて行く。

 俺はずっと泣き続けた。






 俺の喪ってしまったものが、俺の目の前にあった。

 あいつらが、みんなで俺に持って来てくれた。


 RZは、あの日のまま、俺の目の前に戻ってくれた。

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