第804話 乾さん Ⅲ
話し終わると、三人が泣いていた。
しまった。
楽しい思い出話をするつもりだったのだが。
「タカさん! RZ、取りに行きましょう!」
亜紀ちゃんが立ち上がって言った。
「あ、ああ」
「私! 明日お店に行ってきます!」
「私も!」
「私も!」
「お、おお」
「お店の場所、教えてください!」
「まあ、ちょっと待て。座れよ」
俺は残ったキャビアを亜紀ちゃんの前に置いた。
亜紀ちゃんは無意識に全部掻き込んで食べた。
「俺もな、日本に戻ってからなんだ」
「え?」
「気付いたのがだよ。ほら、俺のRZってさ、友達からの貰い物じゃない」
「え? あー! そうだ! 敵チームの奴から分捕ったんですよ!」
亜紀ちゃんが叫んだ。
「快く譲って貰ったんだよ! でもまあ、そういうものじゃん。だから名義変更とかしてないじゃん」
「あー」
「俺、乾さんに貰って下さい、なんて言ったけどさ。最初から他人のもんだったんだよなぁ」
「タカさん……」
「あははは」
三人が俺を冷たい目で見ていた。
「ま、そういうことだ!」
亜紀ちゃんが席を離れ、自分のノートパソコンを持って来た。
検索する。
「あ! タカさん! 乾さんのお店、まだありますよ!」
「知ってる。俺が行ってた頃よりも大きくなってるんだよな。流石は乾さんだ」
「え、知ってたんですか?」
「ああ。俺は世話になりっぱなしで何も出来なかったからな。万一乾さんが困ってたらって、時々HPを見てるよ」
「そうなんですか」
柳もスマホで検索した。
「ここですか。 あ!」
みんなで柳を見た。
「ほら、この壁!」
柳が画像を拡大したものを見た。
店の奥の壁に、一台のバイクが掛けられている。
「これって、RZってバイクじゃないですか?」
柳はバイクの種類を知らないので、俺に聞いて来た。
「石神さん!」
俺は涙が溢れていた。
何も言葉が出なかった。
三人の女たちが俺の肩や背中を抱き締めてくれた。
「タカさん、やっぱりお店に行きましょうよ」
「だ、ダメだ」
「でも」
俺は涙を拭った。
「悪かったな、取り乱した。柳、ありがとう」
「そんな!」
「亜紀ちゃん、前にも言っただろう。会いたい人間、懐かしい人間は幾らでもいるって。でも俺はそういう人たちと別れて来たんだ。俺は懐かしむために生きているんじゃないって」
「そうですけど……」
「な。ああ、今日は柳のお陰でいい気分だ! 本当にありがとうな!」
「石神さん……」
俺は先に寝ると言った。
「お前らはまだ飲んでろよ」
「「「……」」」
ロボが俺に付いて来る。
ロボは俺の涙を舐めてくれた。
そういう優しい猫で、優しい連中だ。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
「もしもし」
「はい、輸入バイクショップ〇〇です!」
若い店員の方が電話に出た。
「あの、突然すみません。そちらのホームページを見て、ヤマハのRZ250を見つけて」
「ああー! よく分かりましたね!」
「あのバイクって、売ってもらえませんか?」
「え! あれですか! あれは売り物じゃないんですよ」
「でも、どうしてもあのバイクが欲しくて」
「あー、あれは社長の大事なものらしくて。いい場所に飾ってるんで、これまでも欲しいっていう人もいたんですけどね」
「あの、あの私、石神亜紀って言います! 社長さんはいらっしゃいますか!」
「え、はい。じゃあちょっとお待ちください」
すぐに保留が終わった。
「乾と言います。石神さんと仰いましたか!」
「はい! 私、石神高虎の娘です!」
「ほんとに!」
乾さんは大声で泣き出した。
「あの、血の繋がりはないんです。私たちの父がタカさん、ああ、石神高虎の親友で。突然亡くなってしまって、今はタカさんに引き取られて!」
「トラは! トラは元気ですか!」
「はい! 物凄く! あの、乾さん! タカさんはアメリカから戻って東大に行って! 今は都内の大きな病院で外科部長です! 理事にもなってます! いろんな人に慕われてます!」
「そう、そうですか! 本当にトラが!」
私も泣いてしまった。
「夕べ、タカさんから乾さんのお話を聞いたんです! タカさんからは止められたんですけど。でも私! どうしても乾さんとお話ししたくて!」
「ありがとう、本当に連絡をくれてありがとう!」
「タカさんが言ってました。乾さんやお友達に本当に本当にお世話になったんだって! 懐かしそうに、楽しそうに話してくれました。あのね、タカさんね、今も乾さんのお店のホームページを時々見てるんですよ! 乾さんが万一困ってたら、自分が助けるんだって! でもね、前よりも大きくなってるから、流石乾さんだってぇ!」
涙が、感情が抑えられなくなった。
「お嬢さん、亜紀さんか。ありがとう。教えてくれてありがとう。トラに、会いたいって言ってくれ」
「はい! はい、必ず!」
「ずっと、二十年以上ずっとあいつのことが心配だったんだ。毎日無事を祈ってた。毎朝近くの神社にね、今朝も行って来た。本当にあいつは元気にやってるんだ」
「はい! 毎日、そりゃもう。あの、私、一度伺ってもいいですか?」
「もちろんだ。いつでも来てくれ」
「今日でも?」
「構わない。トラの話を聞かせてくれ」
電話を切り、出掛ける準備をした。
「タカさん、急ですけど、ちょっと出掛けてきますね」
「おう、どこへ行くんだ?」
「友達のとこに、ちょっと」
「真夜か?」
「別な友達」
「あー? 亜紀ちゃんほぼボッチだろ」
「アハハハハハ!」
CBRに乗って、横浜へ向かった。
本当は「飛んで」すぐにも乾さんに会いたかった。
1時間ほどで乾さんのお店に着いた。
「あの、石神亜紀です」
「ああ! よく来てくれた!」
乾さんはもう60歳を超えているはずだけど、お元気そうでカッコ良かった。
接客用のソファに案内され、いろいろと話した。
話せないことも多かったけど、タカさんのことを一生懸命に話した。
「国際ニュースにもなったんですよ」
私は響子ちゃんの大手術の記事をスマホで見せた。
他にもフェラーリ・ダンディの動画やタカさんのいろいろな写真。
乾さんは全部嬉しそうに眺めていた。
「あいつ、頑張ってるな」
「はい! もういつも他人のために必死で動いてる人で。それで何度も死に掛けて」
「アハハハ、あいつらしいな」
今はドゥカティのスーパーレッジェーラに乗ってると話すと、乾さんが喜んだ。
「あいつ、今もバイクに乗ってるか!」
「はい! しばらくは乗ってなかったですけど、数年前に。あ、車は三台あって」
私がアヴェンタドールとかの話をすると、大笑いし、驚いていた。
「もう貧乏じゃないんだね」
「はい! 大きな家を都内に持ってますし。別荘! ああ、素敵な別荘もあるんです!」
私たちの話は尽きなかった。
話している間にも何人もお客さんが来て、乾さんが席を外すことも多かった。
いつの間にか夕方になっていた。
「あ! もう帰らないと!」
「いいじゃないか。夕飯を食べていきなよ」
「でも、私、夕飯の用意をしないと」
「そうかあ」
「あの、それでRZですけど」
「ああ、もちろん持ってって下さい。トラから預かったものだからね」
「ありがとうございます。でもタカさんにまだ何も話してなくて。今日ここに来るのも黙って来たんです」
「そうか。いつでも言ってくれればいいけど、トラにまず会いたいな」
「はい。あの、ところで」
「何かな?」
「あのRZって、タカさんが暴走族の喧嘩で奪い取ったって……」
乾さんが爆笑した。
「ああ、知ってるよ。名義を調べてトラに金を送ろうと思ったんだ。その時にね。大体想像はついたから、そのままにした。今はただの置物だよ。あいつもまたあれに乗ろうとは思ってないだろ?」
「はい」
「でもね。整備はしてるんだ。もうパーツはないからこれ以上は無理だけど」
「そうなんですか!」
「あいつも懐かしいだろう。是非会って渡してやりたい」
「はい! 夕べも「思い出が詰まってる」って言ってました!」
「そうか」
また話し込みそうだったので、慌てて帰った。
さー! タカさんを説得しなきゃ!
レイさんと柳さん、ああ、あと響子ちゃんや六花さん、栞さんに鷹さん、院長先生、みんなにも話そう!
みんなで取り囲んで、絶対に説得してやるぅー!
待ってろよー、タカさん!
大好きなタカさーん!
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