第800話 桃とネクタリン

 早乙女と飲んだ翌日の土曜日。

 昼食を食べ終わると、早乙女から電話が来た。


 「おう!」

 「でかい声を出すな」


 案の定、二日酔いだ。


 「昨日は大丈夫だったか!」


 思い切りでかい声で言った。


 「ウゥゥ、ああ。家に帰ってすぐに気を喪ったけどな」

 「あ? じゃあ、昨日のことは全部覚えてんのか」

 「ああ」


 俺は大笑いした。

 早乙女にとっては、トラウマになりそうな記憶だろう。


 「あんなに酒を飲んだのは、他に一度しかない」

 「!」


 自制の塊のような男だ。

 深酒をするようなことは、本当に無かっただろう。

 早乙女は赤星綺羅々に父親と最愛の姉を殺されている。


 「おい、悪かったな」

 「え? いや、楽しかったぞ。警察の新人歓迎会の時は散々だったけどな」

 「あ?」

 「いや、だから今回は楽しかったから良かったって」


 「てめぇ! 今度は「久遠ちゃんニャンコ」にしてやっからなー!」

 「なんだって?」


 このやろう。

 

 「いや、いい。貴重な酒だった」


 「よくは分からないが。まあとにかく会って話したい」

 「そうか、じゃあうちに来い」

 「悪いんだが、うちに来てもらえないか。まだ身体がどうにも」

 「ケッ、情けねぇ。分かったよ。これからでいいか?」

 「ああ、30分は後にしてくれ。これからシャワーを浴びたい」

 「分かった」


 起きてくすぐに俺に電話したのか。

 二日酔い野郎が。

 俺は二日酔い用の薬を用意した。


 「亜紀ちゃん、ちょっと出て来る」

 「はーい! 夕飯は食べますよね」

 「ああ、そんなに時間は掛からないと思うよ」

 「分かりました! いってらっしゃーい」


 「おう」





 早乙女のマンションは表参道にある。

 公務員のくせに、いい場所に住んでやがる。

 まあ、恐らくは緊急時の対応のためだろうが。

 マンションの駐車場にベンツを止めた。

 俺の車の中で最も「目立たない」真っ赤なスポーツカーだ。


 部屋は分かっているので、エレベーターで上がった。

 でかいマンションの8階に住んでいる。





 チャイムを押した。

 すぐに早乙女が顔を出した。

 薄いグレーのスラックスに、ワイシャツを着ている。

 相当な二日酔いのはずだが、俺に気を遣ってちゃんとした格好でいる。

 自制心の強い男だ。


 俺は部屋へ入った。

 3LDKの結構広いマンションだ。

 綺麗に片付いている。

 二日酔い野郎が急には出来ないだろうから、普段からそうなのだろう。


 「おい、二日酔いの薬だ」

 「え?」

 「すぐに飲め。ぬるま湯でな」

 「あ、ああ」

 「ああいい! 俺が用意する。キッチンを借りるぞ」

 「すまない」

 

 ポットは無かった。

 シンクでお湯を出し、コップに注いで持って行った。

 俺はまたキッチンに戻り、千疋屋の桃を剥いてカットした。

 適当な皿に盛る。

 その間に湯を沸かし、勝手にコーヒーを淹れた。

 早乙女はなかなかいい道具を持っていた。

 コーヒーが好きなのだろう。


 早乙女には白湯を注いだ。



 「桃なら喰えるだろう」

 「ありがとう」

 「ふん!」


 俺は自分の皿の桃を食べた。

 やはり、千疋屋は間違いがない。

 早乙女も一口食べて感動していた。


 「好きかは分らんが、ネクタリンと杏子も持って来た。夜になれば、もうちょっと何か喰えるだろう」

 「ああ。本当にありがとう。この桃は美味いな」

 「俺様が買って来るんだからなぁ!」


 早乙女が桃を喰い終わるまで待った。


 「それで、「業」がロシアにいるんだって?」

 「ああ。でも確証ではないんだ。うちの海外担当が掴んだ。ロシアのグルジア・マフィアの一派だ。恐らくフランス外人部隊の頃から面識があったのだろう」

 「ヨーロッパにも進出している連中か」

 「お前は話が早い。その通りだ。先日ヨーロッパにいる人間から、一年前に日本人がロシアに逃れた情報がもたらされた。調べていくと、どうもその日本人はフランス外人部隊から脱走したらしい。その後グルジア・マフィアの連中の手によってキエフへ向かった」

 「キエフ?」

 「ああ。そこまでの情報だ。だが、時期的に見て、俺は「業」なのだと思う」

 「そうだな。しかしどうしてウクライナなんかに」

 「分からない。そこへ向かったということだけだから、またそこから移動しているのかもしれない」


 俺は妙に引っ掛かっていた。

 「業」の目的はウクライナにあった、と俺の勘が告げている。

 しかし、どうしてあんな国に。

 俺は考えていた。

 何か重大なものに手が届きそうだった。



 「おい、ネクタリンも食べていいか?」


 「てっめぇー! 今重要なことが分かりかけていたのに!」

 「え、すまん」


 俺は早乙女を睨みつけ、ネクタリンを剥いてやった。


 「ほら!」

 「すまん」


 「冷やした方が美味いのに」

 「いや、お前の買って来てくれたフルーツがあまりに美味くて」

 「杏子はとっとけよな。ネクタリンもまだ一つある」

 「感謝する」


 薬が効いて来たらしい。

 早乙女は随分と楽そうな顔になった。


 「水分を摂って少し寝ろ。夕方には大丈夫だろうが、胃が荒れてるからな。消化のいいものを今日は喰え」

 「分かった。いろいろとありがとう」

 「いや、俺が調子に乗って飲ませ過ぎたんだ。悪かったな」

 「石神、夕べは本当に楽しかった」

 「そうかよ。じゃあまた行こうな」

 「頼む」


 ヘンな野郎だ。

 あんな乱痴気騒ぎをし、恥ずかしい告白もしておきながら、平然としている。

 まあ、あの化け物の綺羅々にビビらずに戦った男だ。

 きっと頭のネジが何本もぶっ飛んでいるんだろう。


 俺は情報の礼を言い、マンションを出た。






 あいつは父親と姉を殺され、友達もいないままで、あのマンションに独りで耐えていた。

 尋常ではない精神力だ。

 そのあいつが、俺を友達だと言ってくれた。

 悪い気分ではない。


 この広い世界で、早乙女久遠の友達は俺一人だけだ。





 「たまんねぇな!」


 俺は大笑いしてベンツに乗り込み、ルーフを畳んで風を感じながら帰った。

 桃とネクタリンが美味いと言っていた。

 また喰わせよう。

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