第772話 奈津江 XⅠ
「高虎ってさー」
「あんだ?」
東大前の「木下食堂」で奈津江と一緒に昼食を食べていた。
俺のお気に入りの食堂で、鉄門からも近い。
俺はいつもの赤魚の煮付けを大盛り(俺専用の「虎盛」という超大盛り)で食べていた。
奈津江はカレイの焼き物だ。
「なんでそんなに女の子にモテるのよ」
「え、知らねぇ」
「ちょっと!」
「だからなんだよ!」
「あなたの彼女としては、非常に気分が悪いんですけど!」
「そんなこと言われてもなー」
学食ではしょっちゅう女子学生等に囲まれていた。
「等」というのは、よく来るOLたちも混じっているからだ。
有名な女子高の生徒もたまにいる。
「ファンクラブまであるじゃない」
「あー」
「どういうこと?」
「いや、勝手にやってることだから」
「私、前に囲まれちゃったんだよ?」
「花岡さんから聞いた。二度とやるなと言っといた」
「うん、それからは無いんだけど」
俺が右手で親指を立てると引っぱたかれた。
「でも、今でもファンクラブ、あるじゃん」
「そうじゃん」
引っぱたかれた。
「何とかならないのかなー」
「俺は奈津江だけだぞ?」
俺の煮付けを摘まんで行く。
「あー!」
「何よ、一口くらいで!」
「う~~」
奈津江はニコニコして口に入れた。
その翌週。
「高虎!」
「あんだよ?」
学食で昼食を食べている。
「ちょっと真面目な話」
「ん?」
「やっぱり高虎ってモテ過ぎよ!」
「先週も言ってたな」
「だって! サークルで「石神高虎研究会」ってできたのよ!」
「あー、山中がそんなこと言ってたな。すげぇ怖い顔で」
「冗談じゃないわよ! なんで放っておくの!」
「奈津江だって結構ファンがいるんだぞ?」
「え?」
俺は丁度学食にいた溝口を呼んだ。
「おーい! 溝口ぃ! こっち来い!」
離れたテーブルでラーメンを食べていた溝口は慌てて立ち上がる。
「早く来い!」
丼を持って走って来る。
「てめぇ! いつ金閣寺燃やすんだぁ!」
「石神くん! もう勘弁して下さい!」
「ダメだぁ! 指詰めるか金閣寺燃やすかだぁ!」
「本当にごめんなさい!」
「高虎、どうしたのよ!」
「溝口よ、お前のパンツを盗撮しようとしてやがったんだ」
「石神くん!」
「ほんと?」
「ああ。だから俺が締めといた」
「ほんとうにもう、絶対にしませんから!」
「もういい! 行け!」
「高虎、何なのよ」
「だからお前を狙ってる奴も多いって話」
「それは分かったけど。でも何で溝口くんがやるって分かったの?」
「そりゃお前、奈津江のパンツをみたいって俺も思ってるから」
「はい?」
「同じこと考える奴はすぐに分かるさ」
「あのね!」
引っぱたかれる。
「それで指がって分かるけど、なんで金閣寺?」
「ほら、三島由紀夫の『金閣寺』で主人公が溝口じゃん」
「あー」
奈津江がちょっと笑った。
「ほんとにバカなんだから」
「アハハハハ!」
「でも守ってくれてありがとう」
「うん。俺だけ見れるからな!」
引っぱたかれた。
その一月くらい後だったか。
期末試験の前だったと記憶している。
「高虎!」
「あんだ?」
その日も「木下食堂」だった。
「あんた、最近如月さんを追い回してるって聞いたよ?」
「え、あ、ああ」
「どういうこと?」
「あれは、ちょっとな。お前には関係ない」
「それ! どういうことなの!」
「何でもないんだ。俺がちょっと頼みごとがあってな」
「あ! 話さないんだ!」
「おい、勘弁してくれ」
「もういい! 私帰る!」
「ちょっと待てって!」
奈津江は半分も食べないで出て行ってしまった。
「石神くん、追いかけないでいいの?」
店主の木下さんが俺を心配そうに見ていた。
「石神くん、悲しい顔してるよ」
「え、そうですか? まあ、たまには喧嘩もしますよ」
「そうかねぇ」
「そうですよ」
「石神くんは、絶対奈津江ちゃんを大事にするじゃない」
「え、ええ、まあ」
「いつも奈津江ちゃんが喜ぶようにしてるでしょ?」
「アハハハハ」
「もう、笑って誤魔化して」
「すいません」
それから、奈津江は誘っても口も利いてくれなかった。
俺が何度も謝っても、如月とのことを話さないのは許せないと言われた。
「如月! 頼む! 教えてくれ」
「だから! 何のことは分かんないってぇ!」
何十回目かの遣り取りだった。
「如月」
如月が、俺のしつこさに参っていた。
「じゃあさ、もしも私が何か教えたら、石神くんは私と付き合ってくれる?」
「それはダメだ」
「何よ。ああ、じゃあいいわ。一回デートして」
「如月……」
「それくらいいいじゃない。一日デートしてくれるなら、何でも教えるから」
「だから、それは出来ないよ、如月。俺は奈津江と付き合ってるんだ」
「一回くらいいじゃない!」
「それはお前が知っているということなんだな?」
「そうは言ってないよ。あ、暴力で私に無理矢理話させる気?」
「そんなことはしないよ」
「なんでよ?」
「お前はいい奴じゃん。前に山中が財布を落とした時に、アンパンとかくれたろ?」
如月の顔が変わった。
「あ、あれは別に。ちょっと可哀そうだと思ったから。それに石神くんの友達だったし」
「山中、喜んでたんだよ。あんまし話したことも無かったのに、自分なんかに親切にしてくれたんだって」
「そんなの、全然関係ないよ!」
「なあ、如月。奈津江のことを面白くないって人間がいるのは知ってる。だけど、それは奈津江のせいじゃないよ。俺のせいだ。だから奈津江が酷い目に遭うなんて間違ってる!」
「私はだから知らないって」
「頼む! 誰が何をしようとしてるのか教えてくれ!」
俺は如月の前で土下座した。
「やめてよ、石神くん」
発端は、俺の弓道部のロッカーに入っていた手紙だった。
差出人の名は無い。
内容は、俺のファンクラブの一部の人間が、奈津江を襲おうとしている、というものだった。
恐らく、その話を知った誰かが俺に知らせてくれた。
何故襲うのかはもちろん分かる。
俺の恋人だからだ。
俺は最悪の想像をしていた。
もちろん命を取ろうとまでは考えていない。
しかし、奈津江を傷つけることは考えているかもしれない。
俺は人間の醜さもちゃんと知っている。
手紙には、如月に聞くといいと書いてあった。
「石神くんは、そんなに奈津江が好きなの?」
「そうだ!」
「入学した頃は違ったじゃない。みんなと仲良くして、一緒に飲みにも行ったり」
「奈津江と付き合う前はな」
「石神くん……」
「如月、俺は高校まで女遊びを散々してきたんだ。ろくでもない人間だった。俺は女を食い物にし、参考書や問題集や食い物をもらって、女とやりまくってきた。俺はそういう自分に何の疑問も無かったよ」
「だったら」
「俺ってさ、もう性欲の塊でどうしようもないって思ってた。女から誘われるんだから、何も考えないで楽しんでた」
「……」
「でもさ、奈津江と出会って付き合おうってなって。俺は初めて一人の女を大事にしようと思ったんだ。こいつとだけ、一生付き合う。他の女とは何もしない。そういう気持ちに初めてなれたんだ」
「奈津江が」
「そうだ、あの奈津江だ! 俺の全て、俺の命なんかよりもよっぽど高い所にいる女だ!」
「なんで奈津江なのよ」
「奈津江が、俺みたいなろくでなしの中にも、こんな風に思える自分がいるんだって教えてくれた。あいつだけなんだ、そういうのって。俺が自分の全てを捧げたいって、そんなことを思わせてくれる女なんだ!」
「……」
「如月、俺はもう他の女を見れない。奈津江しかいないんだ」
如月は静かに泣いていた。
「もう分かったよ。私からあいつらに言う。名前はごめんね、話せない。あいつらも石神くんを一生懸命に思ってるから」
「何もしないでくれるなら、それでいいよ。ありがとう、如月」
「ううん。私こそごめんね。ああ、でもあいつらもそんなに酷いことをするつもりじゃなかったはずだから」
「ああ、お前の言葉なら信じるよ」
「石神くん、ありがとう」
「こっちこそだ」
「ねえ、高虎」
「あんだよ?」
「木下食堂」で冷やし中華を二人で食べていた。
試験後、奈津江がやっと機嫌を直してくれた。
「最近さ、あんまし女の子が寄って来なくなった気がしない?」
「そうだな」
奈津江が苦手な紅しょうがを俺の皿に入れる。
「こないだ如月さんから謝られたの」
「へー」
「なんか、高虎に助けてもらったって」
「え?」
「高虎が必死に説得してくれたから、バカなことをしないで済んだんだって」
「へー」
「おい」
「はい」
「超絶カワイイ奈津江ちゃんに隠れて何やったのよ?」
「おお、奈津江ちゃんがどんなにカワイイのか、じっくり説明してやった」
「なんだとー!」
「アハハハハハ!」
奈津江がニコニコしている。
本当にカワイイ。
「なんかさ、心配しちゃったんだ」
「何をだよ?」
「だって、如月さんってすごくオッパイ大きいじゃない」
「あー、ロケットだよな」
引っぱたかれた。
「高虎って、おっきいのが好きなんでしょ?」
「奈津江のならな」
「私はダメじゃない」
「奈津江のならダメオッパイでいいよ」
「ちょっとはフォローしろ!」
「アハハハハハ!」
木下さんが寄って来た。
「奈津江ちゃん、こないだ喧嘩してた後、石神くんが泣きそうな顔してたんだよ」
「えー!」
俺はニコニコしている。
「なんで笑ってるのよ!」
「え? ああ、お前がカワイイから」
奈津江が照れ隠しに冷やし中華を思い切り啜った。
咽て吐き出し、鼻から麺が出た。
俺は咄嗟に顔を伏せ、見ない振りをした。
「もーう!」
俺と木下さんで大笑いした。
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