第767話 缶コーヒー

 「船田さん、元気でいるといいですね」


 亜紀ちゃんが呟いた。


 「本当にな」

 「それから連絡は?」

 「いや、ない。俺もあの店には行かなくなったし、会社の人に聞くこともないしな」

 「そうですかぁ」


 暗い話をしてしまった。

 俺はどうも、そういう話をしてしまう。

 思い浮かぶのが、まずそういうものなので、自分でもどうしようもない。

 別に、誰かに聞かせて暗くさせたいわけでもないのだが。


 俺は別な話をした。




 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■




 学生時代の弓道部の同輩で駿河という男がいた。

 弓道部内で俺と馬が合い、時々飲みに行ったりもした。

 御堂や山中、それに奈津江や栞以外にそういうことをする人間は何人かいた。

 駿河は御堂たちを除く中で、親しい関係だった。

 優しい奴で、後輩の面倒見がいい。

 弓道部内でも、その優しさで慕われていた。

 子猫を拾って、アパートでこっそり育てていた。

 大家に見つかって出て行けと言われたが、弓道部のみんなが大家に交渉し、なんとか許してもらった。

 子猫は後輩の一人が引き受けた。


 「こんなに大勢の人に大事にされてる人ならね」


 大家はそう言って笑って許してくれた。

 その後、また子猫を拾った。

 どうにも放っておけない奴だった。

 大家に見つかった。


 「もういいよ」


 大家はしっかり世話してくれるなら、と許してくれた。

 




 卒業後も連絡を取り合っていた。

 しかし、駿河の就職した証券会社は倒産した。

 大手の証券会社だったので、日本中が震撼した。

 ああいう大企業も倒産するのかと、多くの人が驚き不安を抱いた。

 突然の倒産であったので、駿河はいきなり路頭に迷った。

 俺はニュースで知ってすぐに連絡し、会おうと言った。

 駿河の住んでいた、千葉県八千代市のマンションへ行く。




 「大変だったな」

 「うん、俺も驚いたままだよ」

 「次の宛はあるのか?」

 「いや、まだなぁ。これから何とか探すよ」


 酒を飲みに行こうと言ったが、金がないからと断られた。

 俺が奢ると言ったが、それも断られた。


 「今誰かにご馳走になると、自分が本当にダメな奴になったような気になるから」

 「そうか! じゃあ酒を買って、外で飲もう!」

 「え?」


 「俺が酒を買うから、お前はつまみを頼む」

 「ありがとう、石神」




 俺たちは酒屋で酒とつまみを買った。

 酒は安いウイスキーにし、つまみも店でぶら下がっている安いものだ。

 二人で二千円も出さなかった。

 紙コップは店の人がサービスでくれた。


 「行こうか!」


 俺は駿河と一緒に歩き出した。

 部屋で飲むよりも、外の方がいい。

 俺はそう思って適当な場所を探した。

 何となく、丘に上がる道を歩いた。

 12月に入っており、夜は結構寒かった。


 丘の上の公園で飲んだ。

 酔いが回ると、駿河はようやく愚痴をこぼした。

 俺の前では、気を遣って元気な振りをしていたことは分かっていた。


 「石神、俺は頑張って東大まで行ったのに、どうしてなんだよ」

 

 駿河は涙を流した。


 「駿河、俺がいる。お前がどうにもならなくても、必ず何とかするよ」

 「石神……」

 「大丈夫だ。お前は大丈夫だよ。また思い切りやれよ」


 「ああ」


 しばらく話して、駿河はスッキリしたようだった。

 俺たちは帰ろうということになった。





 「おい、駿河! この木が有名な御神木だぁ!」

 

 俺が途中にあった木を指さした。


 「樹齢800万年だからな」

 「おい、それにしちゃ随分細いじゃないか」

 「あ、ああ。100万年前にダイエットに成功した」


 「ワハハハハハ!」


 「糖分を控えたんだな」


 「ワハハハハハ!」


 「手を合わせておけ! きっといいことがあるぞ!」


 駿河が笑った。

 手を合わせて「お願いします!」と言った。

 俺は帰り道に、そうやって駿河を笑わせた。

 駿河が立ち止まった。


 「石神、ちょっと待ってくれ」

 「どうした?」


 安い酒で悪酔いしたのかと思った。

 俺たちは1リットルのウイスキーを飲み干していた。

 捨てる場所が無かったので、俺がレジ袋に入れ、つまみのゴミなども持っていた。


 「大丈夫か?」

 「石神、これって花じゃないか?」


 駿河が地面を指さしている。


 「ああ、そうだな」

 「誰かが死んだのかな?」

 「そうじゃないか」


 駿河はじっと見ていた。


 「なんか、可愛そうだな」

 

 駿河がそう言った。

 枯れかけた花束の近くに、誰かがゴミ捨て場かと思ったのか。

 結構な空き缶やタバコの吸い殻、菓子のビニール袋などが落ちている。

 駿河がゴミを拾い始めた。


 「おい」


 俺が声を掛けても、駿河は黙々とやる。

 俺も手伝った。

 ゴミは俺が持っていたレジ袋に入れていく。

 綺麗になった。


 「ごめんなさい、何も持ってなくて。この花はもうちょっと置いていきますね」

  

 駿河がそう言った。

 花はまだ幾分か色を遺していた。

 俺が周辺で椿を見つけたので、幾本か手折って駿河に渡した。


 「ありがとう、石神」

 「いや、お前には負けるわ」


 駿河は微笑んで、椿を置いた。

 二人で手を合わせた。

 帰ろうとすると、駿河が振り返った。

 しばらく後ろを見つめ、暗い道に向かって笑って手を振った。


 「どうした?」

 「いや、なんでもない」


 俺たちは駿河のマンションへ行き、俺は一晩泊めてもらった。


 



 その翌週、駿河から連絡が来た。


 「石神! 〇〇証券で採用が決まったよ!」

 「おい! 良かったなぁ!」

 「ああ、それも信じられないいい待遇なんだ! 俺も驚いているよ!」

 「おし! また飲もう!」

 「ああ!」


 しばらく駿河の待遇などを聞いた。

 本当にあり得ない給料と共に、幹部候補として扱ってもらえるそうだ。


 「本当に良かったなぁ」

 「ああ、あの人のお陰かもな」

 「ん? 誰だ?」

 「お前が飲みに誘ってくれた時、一緒に途中で掃除しただろ?」

 「あ、ああ」

 「あの時、綺麗な女の人が、ありがとうって言ってくれた」

 「何?」

 「お前には見えなかったようだからな。あの時は話さなかったけど」


 駿河には霊感のようなものがあったらしい。

 初めて聞いた。


 「お前にもありがとうって言ってたぞ」

 「そうなのか?」


 俺が御神木のお陰だというと、駿河が大笑いした。

 俺はよく分からないので、とにかく飲もうと約束し、電話を切った。

 その日、帰り道で100円玉を拾った。

 駿河の話を思い出した。


 





 俺は大笑いして、先で見つけたワンコインの自動販売機でコーヒーを買った。


 「ありがとうございます!」


 そう言って、ありがたく頂いた。 

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