第766話 飲み仲間
ゴールデンウィーク最後の日。
俺は朝食を食べて、栞の家に行った。
栞は実家に帰っていたが、もう家にいるはずだ。
電話をし、昼食を一緒にと言った。
いつものように道場で組み手をした。
「石神くん、もう全然相手にならないね」
「そんなことはないよ。俺も勉強になっている」
栞は正座して息を整えている。
大量の汗をかいていた。
俺は、まったく息も乱れていない。
一緒にシャワーを浴び、愛し合った。
昼食は炊き込みご飯と魚の煮付けを作った。
炊き込みご飯は栞が準備しており、俺がヒラメの煮付けを作る。
ベタベタしたものが嫌いなので、薄目の汁で煮てあっさりと仕上げた。
栞はナスの煮びたしを作った。
食事をしながら、「紅六花ビル」の話や、別荘のことを話す。
「別荘は大分拡張したんだ。夏にまた一緒に行こう」
「うん! 嬉しい!」
栞が喜ぶ。
「でも、石神くんも大勢に囲まれるようになったからね。そろそろハマーじゃきついよね」
「そうだよなぁ」
「観光バスとか必要じゃない?」
「アハハハハハ!」
「あ、私も車を出すよ!」
「いや、それは」
「え、遠慮しなくていいよ?」
「まあ、考えとくよ」
「うん!」
栞の運転は暴力だ。
前に一度乗って、二度と乗っていない。
俺は昼食の礼を言い、家に戻った。
諸見が、新築の現場にいて、壁を見ていた。
「よう!」
「石神さん! お邪魔してます」
「いいよ、勝手に入れと言っただろう」
壁をどのように仕上げるかを二人で話していると、東雲たちが来た。
「御挨拶をと思いましたら、こちらにいるのを見かけたので」
「ああ、お帰り。また明日から頼むな」
「はい! 諸見が勝手してご迷惑をおかけしました」
俺が桜に話していた。
「いや、俺が暇だったら来いと言ったんだ。諸見に仕上げを任せるんだからな」
「石神さん……」
「ああ、夜に諸見とまた話すから、夕飯を一緒に喰うからな」
「石神さん! 自分はもう」
「あ、またてめぇは」
「すみませんでした!」
東雲たちが笑う。
東雲たちも夕飯に誘ったが、断られた。
「ゆっくり自分らで喰います」
そりゃそうだろう。
諸見を好きなようにさせ、俺は家に入った。
「タカさん、今日はもう出掛けちゃダメですよ!」
亜紀ちゃんが腕を組んでそう言った。
「なんだよ」
「出掛け過ぎです。もう今日は亜紀ちゃんと一緒にいて下さい!」
「なんだ、そりゃ?」
「だってぇー! 最近全然一緒にいてくれないじゃないですかー!」
まあ、そんな感じだったか。
別荘から帰って諸見と一緒にいたり。
夕べは自分で遊びに行ったわけだが。
「別に一緒にいる必要があるのか?」
素朴な疑問だ。
「あります!」
「そうなの?」
「タカさん蜜が必要です!」
俺は笑って、三時のお茶を飲んでからだと言った。
諸見を呼びに行かせる。
コーヒーと、双子が買って来たケーキを食べる。
今日は東中野の「ドーカン」のジェラート各種とケーキだ。
「諸見! お前はこういうのが似合わねぇなぁ!」
「すみません!」
みんなが笑う。
俺は亜紀ちゃんにコーヒーをサーバーに入れさせ、二人で地下へ行った。
俺が何曲かギターを弾き、亜紀ちゃんはうっとりと聴いていた。
一休みして、二人でコーヒーを飲む。
「夕べはどこに飲みに行ったんだよ?」
「え、ええ、亜紀ちゃんはいい子ですから、お酒なんて飲みません」
「いいから話せ! いい店なら一緒に行こう」
「え! ああ、でもそんなにいい店じゃ」
俺は亜紀ちゃんの頭に拳骨を入れた。
「やっぱり酒かぁ」
「ニャハハハハ」
俺は行くのはいいが、俺に話してから行けと言った。
「そう言えばタカさんって、外であんまり飲みませんよね」
「ああ。若い頃はほとんど外だったけどな」
「そうなんですか」
「まあ、外で飲むと帰るのが面倒だからなぁ」
「なるほどー」
「それに、好きな酒を好きなように飲む、好きなつまみを作って飲む。これが最高だと思うようになったんだな」
「ああ、分かります。昨日も出てきたおつまみが最低で」
「だろ?」
しばらく、亜紀ちゃんの昨日のつまみの悪口を聞いた。
「まあ、でも外で飲めば仲良くなる奴もいて、そういうのも面白いけどな」
「ああ、そうですね」
俺は、酒場で知り合った人の話をした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
新橋駅の近くに、よく行くバーがあった。
地下の店で、結構広い。
内装はイギリスのパブのもので、気楽に飲める雰囲気が人気だった。
俺はいつもカウンターに座り、ワイルドターキーを数杯飲んで帰った。
カラオケがあり、気が向くと一曲歌った。
他の知らない客がいつも褒めてくれた。
よく一緒になる人がいて、テーブル席で部下らしい人と楽しく飲んでいた。
お互い顔は覚えているので、トイレなどですれ違うと挨拶をするようになった。
俺よりも一回り上の大柄な男性だ。
ある日、俺がまた飲みに行こうとすると、店が騒がしい。
降りていくと、客の一人が階段で転んで足の骨を折ったらしい。
俺は医者だと言って、傷を見た。
左足の脛の開放骨折だった。
いつも挨拶をする人だった。
俺は病院へ連絡し、救急搬送の手配をした。
その人に断って、骨を戻し、応急処置をする。
俺はまだ酒を飲んでいなかったので、付き添って救急車に乗った。
「すませんです。お医者様だったんですね」
「そうです。石神といいます」
「僕は船田大介と言います。〇〇建設で働いてます」
大手ゼネコンの名前を言った。
俺が処置をして、入院させた。
俺が担当し、よく話すようになった。
船田さんの弟の話をよく聞かされた。
「子どもの頃から病弱で。でもそのせいか、可愛い奴でねぇ」
「そうなんですか」
「うん。何度も何度も死に掛けて。今も身体が弱いんだけど、10年前から自分で会社を起こしてね。元気にやってるんだ」
「良かったですね」
俺に似ている。
俺も病弱だったという話をすると、船田さんは喜んだ。
「じゃあ、弟も石神先生みたいに強くなるかもしれないね!」
「そうですね」
子どものように無邪気に笑い、喜ぶ人だった。
見舞いもしょっちゅういろんな人が来て、船田さんの人柄が偲ばれた。
船田さんが退院してから、よく一緒に飲むようになった。
部下の方と一緒のこともあったが、二人で飲む機会が増える。
船田さんは大変な酒豪だった。
「いつもね。みんなを連れ回すんだけど、最後までいる奴がいないんだ」
「アハハハハ!」
「石神くんだけだよ。僕と一緒に飲んでくれるのは」
そう言って笑っていた。
俺が酩酊するまで飲んだのは、船田さんの他には幾度もない。
でも、楽しい酒だった。
その船田さんが、徐々に暗くなっていった。
「何か悩み事でもあるんですか?」
ある時聞いた俺に、船田さんは弟さんのことを話した。
「こないだ倒れてね。それに商売も上手く行ってないようで。弟は無理を重ねていたらしいんだ」
「そうなんですか」
「僕に頼ってくれればいいのに。「兄貴には迷惑をかけたくない」って」
その日はずっと暗いままで、弟さんのことを心配しているのがよく分かった。
「石神くん、一度弟を見てくれないか」
「分かりました。ご一緒させていただきます」
船田さんは俺の手を握りしめ、「ありがとう」と言って泣いた。
翌週の土曜日。
俺は船田さんと一緒に見舞いに行った。
何が出来るわけでもないが、何かあるかもしれない。
しかし、ベッドで寝ている弟さんを見て諦めた。
聞くまでもない。
ガンの末期であることが分かった。
見知らぬ俺の見舞いに弟さんは驚いていた。
俺が医者であることを船田さんが告げると、困った顔をしていた。
そして船田さんに、俺と二人で話したいと言った。
船田さんは病室を出て行った。
「わざわざ兄貴に付き添って下さってすいません」
「いいえ。船田さんには良くしていただいているんで」
「兄貴はみんなに優しいんです。子どもの頃からそうで。いつも慕われて周りに一杯人間がいた」
「はい」
「俺のことも本当に可愛がってくれて。会社を起こす時にもいろいろ援助してくれたんです」
「そうなんですね」
「石神さんは、俺の病気が分かりますか?」
「ガン。それももう」
「ああ、やっぱりお医者さんには分かりますね。そうです。もう余命は2か月です」
「船田さんは知らないんですね」
「はい」
「ご家族は?」
「いません。兄貴だけです」
「そうですか」
「あの、兄貴には黙っていていただけますか?」
「分かりました」
「兄貴には、なるべくショックを与えたくないんです」
「はい」
「兄貴には世話になりっぱなしで。何もできないまま死ぬのは申し訳ないんですが」
「あなたがそうやって、船田さんを思い遣るのなら、それで十分だと思いますよ」
「石神さん……」
船田さんが戻って来て、一緒に帰った。
俺は専門外なので何も出来ないと言い、養生の話を少ししたと船田さんに言った。
二ヶ月後、船田さんから電話が来た。
弟さんが亡くなったと言った。
「僕もね、もうダメだとは思ってたんだ。石神くんを連れてった時にはね」
「お力になれず、すいませんでした」
「弟がね、あの日からちょっと明るくなってね。石神さんにいいことを聞いたんだって」
「そんな、俺は何も」
「ありがとう。弟の苦しみを和らげてくれて。本当に感謝する」
「いえ、俺も本当に残念です。船田さんのことを一番に考えていた人ですよね」
電話の向こうで船田さんが号泣していた。
そのまま電話が切れた。
それから船田さんに誘われることは無かった。
俺から連絡したことはないので、そのままになった。
ある日、バーで船田さんの部下の方に会った。
船田さんのことを聞いてみた。
俺のことも覚えてくれていたので、話が聞けた。
「船田部長は、ニューヨークの支店に行きました。人事に相当掛け合ったそうですよ」
「そうなんですか」
「それで石神さん、ここだけの話なんですけどね」
「はい?」
「一度自殺未遂をされたんです。部長は優秀な人で、幾つも重要なプロジェクトを抱えていて。だから最初は海外支店なんて無理だったんですよ。そうしたら! だから会社も折れて、船田部長は転勤になったんです」
「そうだったんですね」
日本にいるのが辛かったのだろう。
いつか傷が癒えて欲しい。
俺はそう願った。
「石神くん、僕の弟は本当に可愛いんだよ!」
「船田さん、分かりましたって」
「いやいや、多分僕の説明だけじゃ全然伝わらないよ」
「もう勘弁して下さい」
「本当になー! 僕はずっと、弟を幸せにするために生きてるようなものなんだ!」
そういう人間がこの世にはいる。
そして、それを喪ってしまうこともある。
「何しろね! もう、とにかく僕は弟が全てなんだよ!」
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