第568話 門土

 聖を送って、俺はアメリカ大使館へ立ち寄った。

 響子と六花に会うためだ。

 病院へ寄り、手を良く洗った。

 響子に聖菌がついては大変だ。


 大使館でいつもの身体検査を受け、受付で待っていると部屋へ案内された。


 「タカトラー!」

 「石神先生!」

 二人が俺に抱き着いて来る。


 「おう、元気そうだな!」

 二人は泣いている。


 「もう大丈夫だ。全部終わったぞ」

 落ち着くまでしばらくかかった。

 俺は簡単に経緯をもう一度話した。


 「響子、よく我慢してくれたな」

 「うん。タカトラのためだもん」

 「六花もよく響子を守ってくれた」

 「はい」

 明日また迎えに来ると言って、部屋を出た。




 家に帰り、子どもたちが鰻が食べたいと言うので、出前を取る。


 「タカさん」

 「なんだ?」

 「聖さんのハンバーガーは、何が違ったのでしょうか?」

 亜紀ちゃんが鰻重を喰いながら聞いて来る。


 「亜紀ちゃんはハンバーガーをよく知らないんだよ」

 「バンズとのバランスが悪いって言ってましたよね?」

 「そうだ。かぶりついて一緒に味わうものだから、バランスが重要なんだよ」

 「なるほど」

 「一口にハンバーガーと言っても、物凄い種類があるんだ。だからある程度勉強しないと、ハンバーガーのバランスは分からないんだよな」


 「タカさんはバンズを燻製してましたよね」

 「そういうことだ。いい肉に比べて、バンズのパンが弱すぎだ。だからパンチを入れたということだな」

 「へぇー!」

 「たかがハンバーガーと言っても、組み合わせで無限に変わるんだよ。でも、どういう組み合わせがいいのかってなぁ。それはなかなかわからんものだ」

 「深いですねー」

 「そうだよ。最良だと思ってても、あとから違ったって分かることもある」

 「なるほどー!」





 

 食事を終えて、俺は地下に降りて独りでギターを弾いていた。

 亜紀ちゃんが入って来る。


 「一緒に聞いてていいですか?」

 俺は笑って入って来いと言った。

 何曲か弾いて、一休みする。

 亜紀ちゃんがコーヒーを淹れて来た。


 「タカさんがギターが上手い理由はこないだ聞きましたけど」

 「ああ」

 「ちょっと前に、栞さんがピアノを弾いて、二人で素敵な即興をしたじゃないですか」

 「ああ、やったな」


 「ああいうことも出来ちゃうんですね!」

 「面白いだろ?」

 「凄いです!」

 「貢さんに教えてもらってる時にな、ああいうことをちょっとやってたんだ」

 「え! 教えて下さい!」


 俺は語り出した。





 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■





 貢さんは、幅広いジャンルで活躍していた。

 クラシックはもちろん、ジャズ、フュージョン、スパニッシュ、果ては俺にはバカにしていた歌謡曲まで。

 その中でも、ジャズで誘われることが多かった。

 だから俺も、ジャズギターを相当やらされた。


 「トラと同い年の奴がいる。ピアノだ」

 「へー」

 「俺の知り合いの子どもで、生まれた時から弾いてる」

 「へー」

 すりこぎで殴られた。


 「今度、会わせる」

 「はい!」

 俺は頭の横で指をくるくる回して答えた。


 


 貢さんに言われて、3駅隣の町まで行かされた。

 もちろんギターを抱えてだ。

 俺は駅前の交番で道を聞いて歩いた。


 「えーと、橘さんちー」


 やっと見つけた。

 大きな洋風の家だった。

 チャイムを押すと、俺と同じくらいの年の男の子が出てきた。


 「あ! 門土?」

 「誰だよ、お前?」

 「石神高虎です!」

 「え?」

 後ろから派手な女性が出てきた。


 「私が呼んだのよ。中に入ってもらって」

 「はい!」

 俺は靴を揃えてお邪魔した。

 長い廊下を歩き、広い部屋に通された。


 グランドピアノがある。


 ソファに座らされ、メイドさんが紅茶を持って来た。


 「こちらは石神高虎くん。西平さんのお弟子さんよ」

 「え! サイヘーさんの?」

 「石神くん。こちらは息子の門土。同じ中学一年生よ」

 「よろしく!」

 「こちらこそ」


 「さあ、早速だけど聴かせてちょうだい」

 「はい」

 俺は『アルハンブラの思い出』を弾いた。

 橘さんはじっと聴いていた。


 「最後まで聴いた……」

 門土が呟いた。


 「じゃあ、ブルーノートで適当に弾いて」

 「はい!」

 俺は最初は全音で奏でた。

 次第にリズムを刻んで行く。

 橘さんがピアノを弾き出した。

 俺に合わせてくれる。

 楽しくなってきた。

 俺は思い切り掻き鳴らし、次第にテンポを緩めて橘さんに譲る。

 橘さんは見事なソロを弾いた。

 また俺が加わり、盛り上がったところで橘さんが引いて、俺が締めた。


 「ふーん、分かったわ。門土をよろしくね」

 「はい?」

 橘さんが部屋を出て行った。


 「お前! すっげーよ! 母さんが最後まで弾いたぞ!」

 「え、当たり前じゃん?」

 「当たり前じゃないよ! 普通は最後まで聴かないし、まして一緒にピアノを弾くことだってないんだからな!」

 「そうなの?」

 「だって、橘弥生だぞ!」

 「ゲェッ!」


 俺も当然知っている。

 世界的なピアニストだ。





 俺と門土はすぐに仲良くなり、お互いに行きして一緒に演奏したり、音楽の話をするようになった。

 橘弥生と会うことは稀だった。


 門土のピアノは清く澄んでいい音だった。

 門土も俺のギターを気に入ってくれた。


 ある時、門土が貢さんの家に来て、俺の練習を見ていた。


 「トラ! また女のことでも考えてるのか!」

 「だって俺、中学生ですよ? 枯れちゃった貢さんと違って真っ盛りなんですから」

 貢さんがすりこぎを取り出した。

 いつもと違う。

 紐がついていた。

 

 「いちいちお前の傍まで行って殴るのは面倒だからな」

 「貢さん、それヌンチャクですよ! 死んじゃいますって!」

 殴られた。

 物凄く痛かった。


 「本気でやめて!」

 俺はすりこぎを奪った。

 

 「ほら! 血が出てますって!」

 貢さんに訴える。


 「ほんとか!」

 「本当に出てますよ、額から」

 門土が言った。


 「トラ! 病院へ行け!」

 「大丈夫ですよ。こんなのしょっちゅうです」

 奥さんが呼ばれ、タオルを渡された。

 汚れるからと、俺はハンカチで押さえた。


 「ほら、もう止まりました、アハハハハ!」

 「本当に止まってますよ!」 

 門土が驚いて言う。

 俺は奪ったすりこぎでブルース・リーの真似をする。


 「アチャーーー! アチャチャチャチャチャ!」


 「トラ、なんだそれは」

 「ブルース・リーですよ! 貢さん知らないんですか!」

 「知らん」

 「映画で有名じゃないですか!」

 「俺はメクラだぁ!」

 「ああ!」


 俺はヌンチャクのようにすりこぎの紐を振り回した。

 紐が抜けて、すりこぎが窓ガラスを割った。


 「トラぁー!」

 俺はすりこぎを拾って、貢さんに渡して殴られた。

 門土と奥さんが笑っていた。

 また血が吹いた。






 門土の家に行くと、いつも一緒にセッションをした。


 「じゃあ、トラ。ブルーノートで始めよう」

 「いいけどさ」

 「なんだよ?」

 「門土っていつもブルーノートな」

 「え!」


 「もしかして、他の知らないの?」

 「!!!!」


 いつもそうだった。

 でも、俺も嫌ではない。

 ブルーノートでセッションした。


 ある日、門土が言った。


 「俺さ、サイヘーさんのギターが好きなんだ」

 「ああ、分るわ」

 門土は貢さんを尊敬しきっていた。


 「前にさ、母さんとセッションしたことがあって、俺は舞台袖で聴かせてもらった」

 「へぇ!」

 「素晴らしかったなぁ! あの演奏は忘れられない!」

 「そうかよ。俺も聴きたかったな」


 「アンコールで即興をやってさ。サイヘーさんが「ブルーノートで」って言ったんだ」

 「おう!」

 「それがまた最高でな!」

 「そうかよ!」


 二人で盛り上がった。


 「トラが最初に母さんとブルーノートでやったろ?」

 「そうだったな」

 「あれも良かった!」

 

 門土がブルーノートでやりたがる理由が分かった。





 月に何度かだったが、俺たちはいつも楽しく演奏し、語った。

 

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