第478話 鷹との別荘 Ⅱ: その美しい飛翔

 外は風が強くなり、小雨が降って来た。


 「伺えてよかったです。ありがとうございました」

 鷹が涙ぐんだ目でそう言った。


 「高校生なると、何故か寝込まなくなったんだ。まあ、熱は毎月出してたけどな。でも身体が慣れて、40度でも普通に生活できる」

 「そういうこともあるんですね」

 「その後、静馬さんのご両親とは?」

 「ああ、毎回通信簿を持って行ってな。ちゃんと学年トップになってるって報告した」

 「喜んで下さったでしょう」

 「ああ」


 「でも俺が高校生になった時に、お父さんが亡くなってな。お母さんは実家に引っ越された」

 「……」

 「それからはお会いしていない。忘れたことはないけどな」

 「石神先生のお宅の机の」

 「よく見てるなぁ! ああ、あの万年筆がいただいたものだ。使ったことは無い。俺の宝物だ」

 「そうなんですか」

 「ガキだったからな。静馬君の墓も知らないんだ。ああ、そうだ。今度調べてもらおう」

 「分かるといいですね」

 俺たちは片付けてベッドに入った。

 鷹が俺を抱き締めて言った。


 「今日はまた一層石神先生が好きになりました」







 翌朝。

 俺が目覚めると、鷹はいなかった。

 あいつらしい。

 鷹は着替えて朝食を作っていた。

 

 「おはようございます」

 「おはよう」

 俺は鷹に軽くキスをした。

 夕べの残りのご飯と、目玉焼き、サラダの、簡単な朝食を食べた。

 俺たちは紅茶を水筒に入れて、散歩に出た。

 夕べ少し降った雨で、地面がしっとりと濡れている。

 倒木の広場まで来た。


 「なんかな、すっかりここが散歩の定番になってしまったんだ」

 鷹が微笑み、俺たちはレジャーシートを倒木に敷いた。

 紅茶を飲む。


 「夕べはお化けは見なかったか?」

 「いえ、スゴイのがいまして、気を喪いました」

 「じゃあ、今晩はちょっと小さいお化けにしよう」

 俺たちは笑った。

 盛夏は過ぎたが、まだ木々の緑が美しい。

 雨によって、緑の香りが少し濃くなっていた。


 「石神先生を独り占めです」

 鷹が俺に身体を寄せて言った。

 俺は肩を抱き寄せ、一層密着させた。


 



 「ギュスターブ・モローの絵が好きなんだ」

 「はい」

 「特に、『出現』と名付けられている一連の絵がな。古代イスラエルのヘロデ王の義娘のサロメを描いたものなんだ」

 「今度見てたいです」

 「それをまた、俺の大好きなオスカー・ワイルドが戯曲で描いている。恐ろしく美しい話なんだよ」

 「そうなんですか」

 俺はあらすじを話した。


 「モローは、自分が殺させたヨハネの首が現われた場面を描いている。それが神秘的で壮麗な絵画なんだよ」

 「はい」

 「宮殿の間で、光輪に包まれたヨハネの首が浮いている。サロメが、その首に怯まずに、堂々と指をさしている。神の奇跡に動じない、人間の凄まじい生命を感ずる」

 「……」

 鷹は想像しているように、目を閉じていた。


 「ワイルドの『サロメ』がまた美しくてなぁ。こちらは母親と結婚した王がサロメを好きになる。それから逃がれるために、幽閉されていた預言者ヨハネを見てしまうんだな。そしてサロメは恋に落ちる」

 鷹は黙って聞いている。


 「しかしヨハネは暴君である王と、その係累のサロメを嫌う。サロメは必ず口づけをすると誓う」

 「どうなるんですか?」

 「サロメは王と踊った報酬に、ヨハネの首を所望する。サロメは、血の滴る首に、そっと口づけをするんだ」

 「!」

 「オーブリー・ビアズレーが、そのシーンの恐ろしい挿画を描いているんだ。大胆な直線と曲線の組み合わせでなぁ」

 俺は今度見せようと約束した。


 「二つのお話は、少し違うんですね」

 「ああ。モローは聖書を題材にし、ワイルドは世紀末的な文学にそれを仕立て直した。愛は破滅によって成就する、というな」

 「どういうことでしょうか」


 「滅びるものだから、美しいということだよ」


 鷹はまた黙った。


 「俺もお前も、いつかは死ぬ。どんな死に方かは分からんけどな。でも、死ぬ者だからこそ、愛おしく感じる。鷹、お前は俺の首を抱くか?」

 「はい、そうしたいと思います」

 鷹が言った。

 この愛しい女は、魂の奥底から俺を愛してくれていた。







 帰り道。


 「鷹、ちょっと飛んで見せてくれ」

 「はい」

 鷹が空中に浮きあがった。

 数メートル浮かび、ゆっくりとそのまま移動する。

 「花岡」の技によるものだが、まだ双子も解析できていない。

 プラズマ推進によりものだろうと、予想はしていた。

 俺も空中に上がり、鷹の手を取って高速移動する。

 1分もそうしておらずに、地上に降りた。


 「まだ、石神先生のようには参りません」

 「いや、俺のは力業だ。この飛行を最初にものにしたのはお前だ」

 鷹はまだ攻撃的な技はできない。

 しかし、空中移動を編み出した。

 俺はそれを無理矢理にだが、実戦的なものにした。

 鷹の実例がある。

 俺たちは今後、本当の「飛翔」をものにして行くだろう。






 戦うことを知らなかった鷹の飛翔が、俺には悲しかった。

 そして美しいと感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る