第479話 あの日、あの時: 阿久津先輩
俺と鷹は買い物に出掛けた。
もちろん、いつものあのスーパーだ。
駐車場にアヴェンタドールを停め、中に入った。
頼んでおいた肉を受け取ってしばらくすると、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』が鳴った。
俺は苦笑した。
「石神先生!」
店長が来た。
「申し訳ありません。てっきりいつものお車かと」
「いや、今回は子どもたちを連れて来ていないんだ。だからいつものようには買わないよ」
量は無かったが、いい食材を買っている。
店長に仕入れてもらっているので、俺が来ることは知っていた。
俺は「恋人」の鷹だと紹介した。
「お美しい方ですね」
店長は鷹に名刺を渡した。
「必要がございましたら、誰でもお声をかけてください」
俺たちは笑って礼を言い、店長は去った。
「子どもたちがバカみたいに喰うじゃない。だから店長さんが何かと気にかけてくれるようになったんだ」
鷹がおかしそうに笑っている。
「さっきの音楽って?」
「ああ。俺が冗談で亜紀ちゃんに「ここに来たら『ワルキューレの騎行』が流れたらいいな」って言ったんだ。それを店長が聞きつけて、やってくれるようになったんだよ」
また鷹が笑った。
「石神先生が、どこでも楽しいですよね」
「アハハハ」
頼んでおいた肉や魚介類をカートに入れ、他の野菜類などを二人で見て回った。
結構な量になった。
「こんなに買い物をしたのは初めてです」
「俺は大食いのお化けだからな」
「ウフフフ」
レジに向かうと、店長が来て、特別にレジを開いてくれた。
「よろしければ、またフードコートへいらしてください」
俺たちは礼を言い、フードコートでコーヒーを飲んだ。
また店員がケーキを持って来る。
「石神先生は、どれだけお買い物をしたんですか?」
「うーん、いつもはカートが5つくらいか。ハマーにも積めないんでよく届けてもらったりするな」
鷹が声を出して笑う。
「前に花火を店ごと買ってなぁ。2トンロングで届けてもらった」
「まあ!」
「そうしたら後で、この辺の子どもたちの花火大会の分がなくなっちゃってな。慌てて残ったものを寄付したんだ」
「アハハハハ!」
鷹が大笑いした。
「本当に楽しい日々ですね!」
「ああ。夕べ亜紀ちゃんにも言われたんだ。俺といると目が回るってさ」
「アハハハ!」
「どうお答えになったんですか?」
「あ? 首を掴んで風呂に沈めた」
「アハハハハハハ!」
ゆっくりとコーヒーを飲み、ケーキをいただいた。
レジに向かうと、店長が冷蔵庫からちゃんと段ボールに入れた買い物を出してきてくれる。
車に入るか、と思った。
「お車まで運びます」
俺は店長を連れて、アヴェンタドールに向かった。
店長が口を開いて車を見ていた。
予想通り、段ボールでは積めなかった。
申し訳ありませんと言い、レジ袋を取りに走った。
小分けにして、ようやく積めた。
大きなレジ袋を、鷹が抱えた。
「素晴らしいお車ですね!」
「却ってお手数をお掛けしてすいませんでした」
店長は何度も頭を下げ、俺たちを見送ってくれた。
俺が昼食を作る。
洋食だ。
ヒラメのムニエル。
少し炙ってからアロゼしたカリフラワーと根野菜のバター風味。
コーンポタージュ。
冷やしたトマトと刻みタマネギのサラダ。
そしてクスクスに唐辛子と刻んだピクルスを和えたもの。
多少鷹には重いかもしれないが、朝食が軽かったから大丈夫だろう。
なんにせよ、人間的な量で嬉しい。
「素敵なお食事ですね」
鷹が微笑んで言った。
「鷹に和食で勝とうとは思わないからな」
「そんなことないですよ」
「いや、夕飯が楽しみだ」
二人で楽しんで食べた。
午後は一緒に映画を観た。
『初恋のきた道』だ。
チャン・ツィイーのデビュー作と記憶している。
自分の村に来た青年教師に恋心を抱くストーリーだが、その姿が可憐で愛おしい。
「いい映画でした」
「中国の文化大革命というバカの地獄の時代だけどな。それでも人間は美しく生きられる」
「はい」
「あんまりいい映画だったんでな。院長にも見せたんだよ」
「喜ばれましたか?」
「ああ。しばらくは二人で主人公のどこがいいって話ばかりだった」
「楽しそうですね」
「俺が院長室に入るじゃない。その時にあの後ろ手に組んでやるわけだよ」
「ウフフフ」
「そうすると、院長がマジで怒った!」
「アハハハハ!」
俺たちはコーヒーを淹れた。
鷹に紅茶はどうだと聞くと、俺と同じものがいいと言った。
「うちの子どもらにも見せたいんだけどな」
「お見せすればいいじゃないですか」
「ああ、そうしたら、絶対にあの後ろ手のポーズをやるのが目に見えるんだよ」
「カワイイでしょうね」
「そうなんだ。双子なんかがやったらカワイ過ぎだろ? だからまだ見せてねぇ」
「アハハハ」
「あいつら悪戯ばっかでさ。でもあのポーズをされたら怒る自信がねぇ」
「分かります」
しばらく、双子の数々の悪戯を鷹に話し、大笑いされた。
俺は少し昼寝をした。
ソファでそのまま寝る。
目を覚ますと、鷹がキッチンに立っていた。
「なんだ、起こしてくれれば良かったのに」
「いいえ、気持ちよさそうに寝てらっしゃったので」
「お前が傍にいるからな!」
「まあ」
俺は顔を洗い、一緒に夕食の支度をした。
器にトラフグのウニ和え。
鯛とマグロ、ヒラメの御造り。
サンマの蒸し焼き。
牛肉の味噌焼き。
きんこ印籠煮。
皿に伊勢海老の真丈。
松坂牛のグリル。
椀は大ぶりの蛤と若竹。
香の物。
今日は甘味も作り、イチゴのティラミスをやった。
豪華だ。
それに、俺の好きなものばかりだ。
「おい、鷹。ちょっとやっちゃったんじゃないか?」
「ええ、久しぶりに本気でやりました」
「美味そうだよなぁ」
「ほんとに」
「もう俺、おうちに帰れないよ」
「アハハハハ」
一口食べて、感動した。
「あ、そうだ!」
俺は山田錦を出した。
鷹に聞いて、熱燗を用意する。
できるまで、ゆっくりと食べた。
大場硝子の美しい猪口を出す。
青の「瑠璃」と緑の「緑琥珀」の二つを選んだ。
「綺麗な猪口ですね」
「そうだろう。お前にぴったりだよな」
「ウフフフ」
俺は以前に見せてもらった、川端康成の猪口のコレクションの話をした。
「あれは見事なものだったな。オープンの棚に何十も飾ってあって。楽しんで見ていたんだろうなぁ」
「いろいろな美術蒐集家でもあったと」
「そうなんだ。川端康成財団が保存しているんだけど、素晴らしいコレクションだよ」
「石神先生も美術品はお好きですよね」
「俺の場合はなぁ。あんなに歴史的価値のあるものはそうはないからな。自分がいいと思って買っているだけだから」
「でも、随分と素敵なものも多いですよ」
「まあ、次々と双子に壊されてるけどな」
鷹が声を出して笑った。
「どういう理屈なのか分からないんだけど、金で買ったものではない、俺の思い出の品は壊さないんだよ。ちょっと怖がってるものもあるしな」
「どういうことなんでしょうか」
「分からん。でも、双子には何かが見えているようだ」
「そういうものですか」
「まあ、見えてもほとんど話さないんだけどな。何か、あんまり話してはいけないことだと言っていた」
「不思議な世界があるんですね」
夕食を終え、片付けてから俺は鷹を花火に誘った。
「ちょっと子供っぽいけど、やるか?」
「ええ、楽しそうじゃないですか」
二人で外に出た。
前回買ったものを少し残してある。
「やっぱりいいですね」
「そうだな。暗い中の火っていいよな」
二人で、黙って美しく燃える炎を見ていた。
一緒に風呂に入り、浴衣に着替える。
鷹は、淡い水色に百合の柄のものだった。
俺は蓮花にもらった黒地に竜胆のものだ。
今日は温かなお茶をポットに入れて屋上に上がった。
羊羹も切った。
また小雨が降って来た。
静かな雨音が響く。
「花火をしていて思い出したんだけどな」
「はい」
「俺の中学時代の先輩で、阿久津さんという人がいるんだ」
俺は語り出した。
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