第63話 亜紀、ドライブ

 俺は響子を膝にのせ、俺の部屋のPCを見せていた。

 昨日、アルジャーノン氏からメールが届いたのだ。

 一枚は、花束を立派な花瓶に生けている写真だ。

 タイトルに『君もか』とある。


 もう一枚は、恐らく自室であろう静江夫人の部屋のテーブルに置かれた龍村のテーブルセンターだった。

 静江夫人が打ったであろうメールの部分は、日本語で書かれていた。

 「本当に久しぶりに日本語で綴りました。

  先日は、思わぬ贈り物をいただき、感激のあまりお礼の言葉も申し上げられず、大変失礼いたしました」


 メールには、アメリカ留学で知り合ったアルジャーノン氏と結婚し、その後一度も日本へ帰らずにいたこと。

 しかし日本への憧憬は捨て切れなかったこと。 

 そしてロックハート家の特殊性を知り、生まれた子どもに日本名をどうしても付けたかったこと。

 幼い響子が運命の相手を見つけたと知って驚いたこと。

 それがまさか40代の男性と知り戸惑ったこと。

 どうしても俺に会って確かめたかったということ。


 俺に会って、すべてお任せしようと思ったこと。


 最後に、再び龍村のテーブルセンターの礼と、それを毎日眺めていることが記されていた。


 響子にせがまれ、俺は書かれていた通りに読んでやった。

 響子は俺に抱きつき、呟いた。


 「Femme fatale」






 亜紀ちゃんとは、時々夜に梅酒を飲みながら話をするようになった。

 土曜日の夜は、なんとなくそれが習慣のようになっている。


 「亜紀ちゃん、今度ドライブでも行くか?」

 何気なく誘うと

 「フェラーリですか?」

 と聞いてくる。

 ちょっと苦手なのか。

 俺は笑いながら、じゃあベンツで行こう、と言った。


 余談だが、俺の車の洗車と維持は、便利屋に任せている。

 毎週一台ずつ洗車をすることと、その間、他の二台はエンジンを1時間ほどかける。

 バッテリーのためだ。

 特にフェラーリはすぐにバッテリーが上がってしまう。

 フェラーリのためだけに、洗車とは別に、週に一度来るのだ。

 朝にキーを渡し、午後に帰ってきた子どもたちに戻す。

 そうしたルーティンが決まっていた。

 元々便利屋の収入のために始めたことだが、最近仕事が入るようになっても、俺の家のルーティンを最優先にしてくれているようだ。




 土曜日の20時、俺は亜紀ちゃんと出掛けた。

 「どこへ行くんですか?」

 ドライブなど初めての経験の亜紀ちゃんが聞いてくる。

 「羽田空港を回って、横浜に行こうと思ってる」

 聞いてきた亜紀ちゃんだが、説明されてもピンと来ないようだ。

 だが、走り出してしばらく経つと、亜紀ちゃんは夜の街の灯を見るようになった。


 「こういうのって、いいですね」

 段々分かってきたようだ。

 「ロマンティシズムだろう?」

 「ウフフ」


 「ロマンティシズムかぁー!」


 亜紀ちゃんはよく、俺の真似をする。

 俺がよく言っている独り言だが、最近は皇紀が悦に入って言うようになった。


 亜紀ちゃんは本当によく働く。

 家の家事を子どもたちに分担したが、亜紀ちゃんはそのフォローと自分で次々に仕事を見つけてはやってくれる。

 洗濯は皇紀の役目にしたのだが、実際には亜紀ちゃんが洗濯物を集め、皇紀に注意点を言い渡してやらせている。

 結果、皇紀は分別された洗濯物を入れ替えては、洗濯機のスイッチを入れるだけだ。

 干す方も、亜紀ちゃんが手伝っている。

 まあ、下着などもあるから、多少恥ずかしいのかもしれない。



 俺は音楽を流す。

 ジャズのバラードで、女性ボーカルのものを中心に用意してある。

 夜のジャズは、魂に浸み込む。


 亜紀ちゃんは、最近観た映画の話をする。

 俺のコレクションから選んでいるので、当然俺も観ている。

 「こないだ、『サルバドル』を見ました」

 「ああ、あれかぁ」

 実話に基づき、戦場カメラマンの体験を描いたオリヴァー・ストーン監督の作品だ。


 「最初は、なんてワガママ勝手な人間なのかと思っていましたが、最後で思い切り泣いちゃいました」

 「うん」

 「あれは実話なわけだけど、人間というものの真実があるんだよ」

 俺の話を亜紀ちゃんは街の灯を観ながら聞いていた。


 「前にも言ったけど、人間というものは小さくて弱くて卑しいんだ。亜紀ちゃんが最初に主人公のカメラマンにダメな奴と感じたのは、まだそのことが分かってねぇということだな」


 俺が笑うと亜紀ちゃんは振り返って言う。


 「じゃあ、タカさんは、最初からあの男がダメじゃないって分かってたんですか?」

 「いや、あれは全然ダメだろう」

 二人で笑う。

 互いに、どこがダメなのかをしばらく言い合う。


 「でもな、自分がちょっと過去に付き合った女性のために、命をかける」

 「はい」

 「あれが人間の真実なんだよ」

 「……」


 「どんなにダメな人間でも、一片の誠があれば良い、ということなんだな。あの男にはあった、ということだ」

 「あの人は今も彼女を探しているんでしょうか?」

 「どうだかな。何しろダメ人間だからなぁ!」

 亜紀ちゃんは笑って俺の肩を軽く叩いた。



 「あの最後の音楽がいいだろう!」

 「はい。なんとも言えずに心に浸みこんで来るような」

 「映画芸術の中で、音楽というのはものすごく重要な柱の一つなんだよ」

 「そうなんですか」

 丁度車内に流していた音楽が『Killing Me Softry』に変わった。

 明るい曲調のようで、どこか物悲しい。


 「映画を観てから、あの音楽が欲しくてなぁ。サントラを探したんだけどねぇんだ」

 「アハハ」

 「それで探しまくって輸入盤を見つけたんだな。早速聴いてみたら、あの映画のままだった。だったらDVDを観ればいいじゃねぇかなぁ!」

 亜紀ちゃんは大笑いした。 


 しばらく二人で話したり、夜景を黙ってみたりしていた。

 羽田空港の夜景は素晴らしく、亜紀ちゃんはうっとりとなった。

 横浜方面へ向かった。


 「左側を見てろよな」

 俺は亜紀ちゃんに言う。

 キリンビールの横浜工場だ。

 それが見えてくると、亜紀ちゃんは身を乗り出した。

 ベンツは左ハンドルにしているので、助手席の亜紀ちゃんは俺の肩に乗り出し、頭に手を置く。


 まあ、しばらく何も言わずにおいた。

 首都高横羽線を生麦ジャンクションを回って、また反対側から工場が見える。


 ライトに照らされた工場は、幻想的でいて、同時に偉大性を感ずる。


 「すてき……」


 後部ウィンドウから遠ざかる工場の夜景をしばらく見ていた亜紀ちゃんは、ようやく自分の体勢に気付いて慌てて俺に謝ってくる。

 「ほんとうにすいませんでした!」

 「まあなぁ。俺はロマンティシズムに生きる男だからな。亜紀ちゃんのそれを邪魔はしねぇよ」

 亜紀ちゃんはまた大笑いした。


 「ああいうのが、本当にあるんですね!」

 「おお、良かっただろう」

 「はい、今日はありがとうございました」





 家に帰ると、深夜に近かった。

 「また是非ドライブに連れてってください!」


 亜紀ちゃんはそう言って自分の部屋へ戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る