第62話 第三回「石神くんスキスキ乙女会議」
マンションまで送ってもらった栞は、石神の車が走り出したのを入り口から隠れて確認し、そのまま階段を駆け上がった。
栞の部屋は五階にある。
息を切らせることなく階段を昇り廊下を走り、キーを何度もノブへぶつけながら差込み、部屋へ入った。
「ヨッシャー!!」
両手を挙げてガッツポーズをとる。
そのままソファに倒れ込み、身をよじってニヤニヤしていた。
「あ」
小さなタンスに飾ってある親友・奈津江の写真の前に行き、深く頭を下げた。
(今日はシャワーを浴びたくない)
「だって、石神クンの匂いが……エヘヘヘ」
常にクールな彼女は、ただのアホになっていた。
翌日の月曜日。
一江は栞の異変にいち早く気付いていた。
薬剤部にいる密偵(大学の後輩)に内線し、栞が食事に出たら知らせるように指示した。
「あら、栞、偶然ね」
「ああ、陽子! 一緒に食べましょうよ」
明るく笑いながら手を招いてくる栞。
(ダレだ、こいつ)
一江は自分の食事をトレイで受け取り、栞の隣に座った。
「ずい分とご機嫌ね?」
「うん? そうかなぁ」
「ところで決戦兵器…」
「うん、使ったよ」
「!」
「!」
二人は思わず顔を見合わせる。
栞の顔はみるみる真っ赤に染まっていく。
「あのさ」
「うん」
「こんな所で話すことじゃないよね」
「うんうん」
「じゃあ、あらためて後でまた」
「うん、え?」
終業後、ラインで待ち合わせ場所を指定され、栞は一江と歩き出した。
「あの、陽子、どこへ行くの?」
「きっちり聞かせてもらうから」
「えぇ、あのね、私……」
「今は黙って。どこで誰に聞かれるか分かったもんじゃないわ」
「はい」
栞は押しに弱かった。
銀座線で青山一丁目駅まで行く。
「ねえ陽子、私もうお酒は……」
「大丈夫だから」
「でも、一体どこへ行くのよぅ」
「私の家。だから大丈夫だから」
何が大丈夫なのか、栞は分からなかった。
駅にほど近いマンションに入っていく。
家賃は相当に高そうだが、一江の収入であれば余裕がある。
急な呼び出しにも即座に対応できるこの立地を考えてのことなのだろう。
銀座線で10数分。タクシーを使えばもっと短い時間で病院に到着できる。
青山であれば、深夜でも朝方でも、タクシーは流れている。
一江の仕事観が感じられた。
8階の一江の部屋に入ると、招き入れられ、栞は靴を脱ぐ。
8畳ほどの部屋の真ん中にコタツがあった。
一江はアゴで座るように指す。
一江はサイドボードから、薩摩焼酎の一升瓶を持ってきた。
見ると、同じ銘柄が10本ほど並んでいた。
一江の好きな酒なのだろうか。
そんなことを栞が考えていると、一江がキッチンから特大サイズのポテトシップスの袋を二つ抱えて戻ってくる。
(え、あれだけ?)
栞は酒は好きだが、一緒に摘む食事も大好きなのだ。
一江の飲み方は全然違う。酒そのものを愛する女だった。
栞は一瞬、自分が何か作ろうかとも思ったが、状況的に一江が許すとは思えない。
ビール会社のマークの入ったコップに、焼酎が注がれた。
「え」
「チッ」
栞の表情を見て、一江が無言でキッチンからポットを持ってくる。
ドンとテーブルに置かれた。
(お湯割りだけぇ!)
「さあ」
一江が栞に言う。
何かすべてを話さなければいけない雰囲気になっている。
「あのねぇ……」
栞がそう話し出したとき、チャイムが鳴った。
「チッ!」
一江が吐き捨てると、玄関へ向かった。
「あ、一江……」
大きな女性の声が聞こえた。
聞き覚えがある。大森だ。
「花岡さん、来てたのね」
明るく笑う大森に、栞は頭を下げて挨拶した。
知らなかったが、一江と大森は同じマンションに住んでいるらしい。
一江の入居後に大森が誘われた感じだ。二人は結構仲が良いらしい。
「一江とちょっと飲もうと思って、餃子を買ってきたのよ」
「まあ、その献上品に免じて、あんたも入れてあげるわ」
「それでは、「第三回石神くんスキスキ乙女会議」を始めます!」
「あ、第二回と同じ名前だ」
「そこ、うるさい」
大森にまで聞かれるのは大分抵抗があったが、高校の時に柔道部だったという大森の気さくさというか、大柄で物事に拘らない気風の良さが、栞に信頼感を抱かせた。
一江はかいつまんで石神を取り巻く案件のことを大森に話し、その打開策として栞に重要な任務があったことを告げた。
「ふんふん、栞も大変だったねぇ」
大森は既に打ち解けている。
石神の第一外科部とは、結構交流がある。だから栞にとって大森は他人よりもずっと近しい感覚でいた。
しかし、石神とのことを、大森はもちろん、一江にも本当は話したくない。
「あ、餃子と焼酎って結構合うんだ」
一江が言うと、栞も同意する。
「ほんとよね。お酒が進んじゃうんで怖いほど」
一江は大森に目配せし、大森がそっと部屋を出て行く。
コンビニで買ってきたであろう大量の餃子と、他にも袋入りのつまみ。
餃子は栞の前に置かれ、取り皿に新たにタレが作られた。
「ほんとに美味しい」
既に焼酎は瓶の半分ほどに減っていた。
「それでね、キスされたんだけど、梅酒味? アハハ、レモン味じゃなかったの!」
「そうなんだぁ」
栞は出来上がり、一江たちが聞かなくても勝手に話し出していた。
「それからね」
「うん」
「うん」
二人は身を乗り出して言葉を待つ。
「それからぁ、あ、やっぱダメぇ」
「こいつぅ!」
「おう、やったれ、一江!」
栞は無理矢理コップの焼酎を口に流し込まれる。
「なんかね、ちょっと痛かったけどへいきだったぁ。石神くんのねぇ、あれが……」
一江と大森はお腹一杯だった。
やったかやらないか、それだけ聞けば目的達成だったのだが、栞のブレーキがぶっ壊れた。
「終わってね、ちょっと、お話したのぉ。いしがみクンのうでにぃ、胸をはさんでぇ」
「おい、一江、ちょっとまずいんじゃねぇか?」
「あたしもそう思ってるよー!」
「それでぇ、けっきょく、わたしからはさんじゃったのぉー! もーう!」
「あたしは何も聞いてない」
「あ、あたしだって」
「あのさ、栞、今日はもう遅いし送ってくよ」
「うんうん」
「えぇー! なんでよぅ! あなたたちぜんぜんのんでないじゃないのー! エーイ!」
一江が後ろからまた羽交い絞めにされた。三本目の焼酎の一升瓶が口に突っ込まれる。
「花岡さん、やめて!」
大森が必死に引き剥がそうとするが、どういうわけか細身の栞の手足をほどけない。
一江がぶっ倒れた。
「じゃあ、おおもりさんねぇ!」
「いや、だからやめろって!」
力の強い大森だったが、瞬時に後ろを取られ、手足が固定された。
「うぉ、なんだ、このあたしが身動き取れねぇ!」
一江と同様に一升瓶が口に入る。
「くっ、殺せぇ!」
「はい、あーん」
「うグゥ!」
翌朝、出勤しない一江と大森を心配し、連絡を取る石神。
二人とも電話にも出ない。
院長に断り、タクシーでマンションに着くと、部屋のドアはロックされていなかった。
慌てて開くと、そこにうつぶせで右手をドアに伸ばして倒れている大森。
靴のまま奥へ行くと、一江と栞がいびきをかいて寝ていた。
「……………………」
栞が恐ろしい古流武術の使い手であることを、その後みんなが知った。
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