第64話 レディース
「コラ! いい加減にしなさい!」
「No! No! No!」
「お前ぇ、あたしが英語がわからないからってぇ!」
「いや、あんたでもこれくらい分かるでしょ」
風呂に入れようとすると、毎回暴れる響子。
それを諭そうとする、ショートの茶髪に異常に整った顔、身長175センチの長身長の美し過ぎる看護師。
響子の専任看護師に任命された一色六花は、同僚の看護師に手伝ってもらい、激しいバトルを展開している。
体力には自信がある六花だったが、どうにも相手が悪い。
細身の上に、大手術を経て体力のない子ども。
さらに言えば、着ている寝巻きさえ、自分の給料の半分を持っていかれる高級品で、破けばとんでもないことになる。
さらにさらに言えば、世界最大の財閥の一つロックハート家の跡取りだった。
まあ、最後は六花にはあまり関係なかったが。
六花の忠誠は、ただ一人の医師にだけ捧げられていた。
「おんなーとしてぇー、うまれーたーからはぁー! いつも綺麗にしてなきゃぇダメなんだよぅー!」
突然変な宣誓式のような口調で怒鳴った六花は、小さな力で暴れる響子を押さえ込む。
「ふぎゃぁ」
六花がその気になれば、本当はいくらでも思い通りにできた。しかしそれを躊躇するのは、彼女なりの思いがあった。
(こいつは、こんなガキのくせして、タマぁ奪られる恐怖に抗ってきた)
(こいつは、最後に自分の命を惚れた男に捧げようとしやがった)
(気に入ったぁ! こいつはあたしのすべてでなんとかしてやる!)
(こいつは紛れもなく『漢』だぁ!)
いえ、女の子です。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
俺は、食堂での騒ぎに何事かと足を速めた。
食堂は、昼時ということもあり、大勢の人間がいる。
その人間たちはテーブルにつくことなく、遠巻きの輪をつくっている。
「おい、警備はまだか!」
誰かが叫んでいた。
俺は輪の中心に立っている一人の看護師と、その足下で倒れている数人の看護師を見た。
俺はすぐに状況を察し、大声で言う。
「あー、院長からの指示でここに来ましたー! もう終わりですから、みなさん解散してくださいぃー!
駆けつけて輪の中に進もうとする警備の人間たちは、俺の声を聞いて止まった。
「石神先生!」
俺に敬礼して言う警備員。
初老の彼は、警察官出身だ。
「ご苦労様です。ここは俺が預かりますから、持ち場へ戻ってください」
「はっ! 分かりました!」
数人の医師や看護師たちが、床の看護師たちを担いでいった。
幸い大きな怪我の人間はいないことを、俺は一瞬で観て悟っていた。
「おい、あんた!」
超絶と言ってもいい美人看護師が俺に怒鳴る。
「どういうことか知んねぇけどなぁ! 俺の邪魔すんなら、てめぇも沈めっぞ!」
俺を正面から睨む女の目は、薄い青と緑がかった灰色のオッドアイだった。
完全に怒り心頭の看護師に俺は声をかける。
「お前、神経内科の一色六花だな」
俺はほぼ全員のスタッフの名前を覚えている。
特に彼女のような特異な容貌の人間は忘れるわけがない。
「どうせもうやっちまった! 暴れたりねぇ分はてめぇが相手になれ!」
綺麗な顔で、つまらねぇことを言いやがる。
六花は俺にいきなり駆け寄ってくる。
いい動きだった。喧嘩慣れしている。
六花が見事な右脚のハイキックを放った瞬間、俺は彼女の顔面に強烈なパンチを叩き込む。
一瞬で女の鼻はへし折れた。
軽い六花の身体はそのまま宙に浮き、椅子とテーブルを激しく横転させた。
「そ、そん、な、ワン、パン」
意識の朦朧としている六花に近づき、胸倉を掴んで、俺は平手で両頬を殴り始めた。
バシン、バシンと大きな音が食堂に響く。
呆気にとられていた、先ほどの遠巻きの誰かが後ろから俺を羽交い絞めにしようとした。
「おう、なかなか勇気がある人だなぁ」
俺がそう言うと、そいつは飛びのいた。
「部長! それ以上はまずい! ひとまず止まってくださいぃ!」
金切り声で俺に叫ぶ一江の言葉に従い、俺は六花を椅子に座らせた。
「おい、聞こえるか?」
顔が倍に膨れ上がった元美人は、とっくに意識を喪っていた。
院長室に呼ばれた。
「お前、前から言ってるけどやりすぎなんだよ!」
机の前に正座させられ、俺は説教されていた。
「幸い、見ていた人間は俺が説得できる奴らだったからいいようなものを。そうじゃなきゃお前は暴行傷害の犯罪者だぞ」
「申し訳ございません」
院長は俺の顔を下から覗き込んだ。
「お前、全然反省してねぇだろう」
「申し訳ございません」
俺は立たされ、状況を説明させられた。
「それで、一色はお前の顔見知りだったんだな?」
「いいえ、名前を知っていただけで、話したこともありません」
「そうか」
「あの一色という看護師はなぁ」
院長は語り始めた。
六花の家庭環境は荒れていた。
父親は土木作業員だったが、腰を悪くしてからは仕事を休みがちで、終日酒を飲んでは暴れて寝る。
母親は六花が小学四年生の時に家を出て行ってしまった。
外国人で綺麗な母親だったことだけ覚えている。
それから六花は学校を時々さぼるようになり、中学に上がってからは半分も行かなかった。
行くのは仲間に会うためだけだった。
自分と同じはみだした仲間とつるみ、そのうちに地元の暴走族に関わるようになる。
彼らの自由な生き方と筋を通す侠気に、六花は憧れ、自分たちもレディースのチームを作る。
六花は初代総長となり、大きな身体と怖さを知らない度胸で、チームは地元最大の規模になった。
六花が引退する時には、総勢80名ほどに膨れ上がっていた。
そんな荒れた生活をしていた六花は、看護師を目指した。
なぜなのかは、誰も知らない。
中学卒業の資格はなんとか持っている。
彼女は高校卒業の資格を得るために、必死で勉強した。
5年の歳月で、彼女は見事に看護師試験に合格した。
しかし、補導の経歴、成人してからの逮捕歴さえある彼女を雇う病院はなかった。
一年間就職活動をし、地元の先輩の伝をたどり、なんとか面接させてもらえた唯一の病院。
中途採用であったため、院長面接が行なわれたが一発で合格した喜び。
「あいつは俺の判断で入れたんだ」
「へー」
俺は頭をはたかれた。
「あいつに見えたんだよ、炎が」
「……」
「キレイな色だったなぁ。真っ青で本当に美しかった」
いいことを言っているようだったが、ゴリラ顔で言われると、俺はちょっと気持ち悪かった。
「申し訳ありません」
「ん?」
「事情は他の人間から聞いたが、陰険な虐めがあったようだな。それに我慢できずに一色が暴れたらしい。まあ本来は懲戒解雇なんだが、お前の意見を聞いておこうと思ってな」
「真っ直ぐな人間だとは思いました。あの時はひねくれていましたからぶちのめしましたが、俺が威圧しても向かってくる奴は多くありません」
「うん」
「環境を少し整えてやれば、いい看護師になると思います」
「そうか!」
「じゃあ人事に言って、一色六花は異動にしよう。一色はお前が引き取れ」
「それはちょっと……」
「なんだ、文句があるのかよ」
「いえ、ちょっと問題が」
俺は処置室で意識を取り戻した六花に話しかけた。
俺が処置したのだ。
「石がみぶちょう」」
口の中が切れて喋りにくそうだった。
「あたしはタイマンで負けました。ぶちょうの女にしてください!」
ベッドから降りて土下座で頼み込む六花。
「いえ、このからだを好きなようにしてもらえば、それでいいです、おねがいします!」
「お前、何言ってんの?」
「あたしは喧嘩で負けたことはありません。しかもあんなワンパンで沈むなんて。ぶちょうに惚れました!」
「……」
辞令
一色六花殿 ○○年○○月○○日をもって、小児科へ異動すべし。
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