第51話 決着
「ねえ、美華ちゃん」
「はい、緑子さん!」
研究生であり、緑子の付き人でもある美華は返事をして近寄ってくる。
「あのさ、最近さ」
「はい」
「この「一江」って人の贈り物が多いと思わない?」
緑子は、楽屋に届いた生花のアレンジメントを見て言った。
「あ、それ私も気になってました。多いですよねぇ」
「うん」
「緑子さんのお知り合いですか?」
「うん、そうなんだけど、こないだようやく思い出したのよ。友だちの医者の部下の子なのよね。でもほとんど話したこともないし、会ったのも2回程度しかないのよ」
「そうなんですか。どうしちゃったんですかねぇ」
緑子は生花に添えられたカードを手にとった。
《坪内緑子さんの大ファンより》
そう書かれている。何も分からない。
(今度、石神に聞いてみるか)
緑子は化粧台に向かい、メイクの続きをする。
夕食の席で、俺は子どもたちに緑子が来月また遊びに来ることを知らせた。
双子は大感激だ。
以前に大変に可愛がってもらい、化粧をしてもらい、様々なアクセサリーなどを試させてもらったことで、二人にとっては神にも等しい存在となっている。
「楽しみだねぇ」「そうよねぇ」
食事の間中、ずっとそんなことを繰り返していた。
「あの、タカさん。緑子さんには、今度は手ぶらで気軽にいらしてもらってください」
亜紀ちゃんが双子を不安そうに見て言った。
本当に気遣いの子だ。
「ああ、分かったよ。ちゃんと言うけど、あいつもアレで、意外と気を遣う人間だからなぁ」
「そうですよね。申し訳ないのですが」
蚊帳の外のような雰囲気で食事をしている皇紀に声をかける。
「ああ、皇紀、お前もちゃんと準備しておけよ」
「エェッ、なんの?」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
院長室では、みんな深刻な顔をしていた。
「問題は、あれがどう編集されるかですよね」
一江がまっさきに不安材料を提示する。
「そうだな。場合によっては、石神の功績ですらネガティヴ・キャンペーンにされかねないなぁ」
院長が言うと、花岡さんが泣きそうな顔になる。
「石神くん! どうしてあんなことを言ったの!」
「スイマセンデシタ」
俺の発言、ヒットラー信奉者だという部分にクローズアップすれば、俺を社会の敵という立ち位置にすることは容易だ。
「いえ、花岡さん。アメリカでどのように報道されても、日本人の医者である部長はどうにも影響はありませんよ。そりゃ多少の不利益はあるのかもしれませんが、なんにしても大したことではありません」
一江がそう言ったが、花岡さんの不安は消えない。
「でも……」
「私が考えているのは、まったく逆なことです」
「えっ、どういうこと?」
花岡さんは、一江の言葉の意味が分からない。
「部長がああやって避けようとしたのは、「最高評価」なんですよ。それに絶対にならないように、あんなことを言ったんです。そうでしょう、部長?」
「まあ、そういうこともちょっとは考えたかな」
一江は花岡さんのために、ロックハート財閥が考えているだろうシナリオを説明した。
ひとつ、アメリカでドクター石神の快挙が報道されること。
ふたつ、アメリカ人の重篤な病気の少女を、長時間手術によって日本人の石神が救ったことは、必ず好意的に受け入れられること。
みっつ、さらなる恣意的な報道によって、石神の功績は美談として浸透し、石神本人の詳細が熱望されること。
よっつ、日本政府にも圧力をかけられ、石神はアメリカへ招聘されること。
いつつ、さまざまなメディによる一層の過熱報道の展開によって、石神の高評価が定着すること。
むっつ、財閥の力により、石神はアメリカ国内で名誉職を得ること。
ななつ、それにより石神はアメリカを離れることができないようになり、恐らくは移住せざるを得ないような状況になること。
やっつ、アメリカでの職や生活をコントロールされ、いずれ石神はロックハート財閥へ吸収されること。
「ちょっと待って、ロックハート財閥ってどういうこと?」
花岡さんは慌てて問いただす。
「栞、知らなかったの? ロックハート響子ちゃんは、石油で財閥を築いた、ロックハート家の跡取りなのよ。姫よ、姫」
「えぇー!」
ロックハート財閥は、世界を支配する七つの財閥の一つと数えられている。セブン・ブラザースの筆頭の一つなのだ。
その後ロックハート財閥はイエローケーキや様々な資源を独占し、世界のエネルギーを掌握していると考えられている。
しかし、ロックハート財閥は深刻な危機に面していた。
それは一族の中で唯一の若い血筋というのが、響子だったことだ。
響子の重い病は、一族の血が絶えるということを意味していた。
それを救った日本人医師・石神は、ロックハート財閥の恩人となった。
「恩人だったら、ただ御礼をすればいいだけじゃない。それこそ金銭的であれなんであれ、石神くんのために大きなプレゼントをすれば良いんじゃないの?」
「ところが、そうは行かないの」
一江は、ロックハート家の深奥に辿り着いていた。
「ロックハート家というのはね、恐らく特別な遺伝子の家系なのよ」
「どういうこと?」
「私も詳しくは分からないというか、ぶっちゃけ想像。まあ想像っていうか、もうオカルトの世界よね」
「……」
「私が想像しているのは、心底好きになった相手としか子孫が残せない、そんな遺伝子よ」
医学を大きく逸脱している。
それだからこそ、俺は一江が辿り着いたことに驚いていた。
俺は知っていた。
ロックハート参事官から呼び出され、直接一族の特性を聞かされていたのだ。
今回のCNNの取材は、概ね一江が考えていた通りだろう。
こいつは時々、とんでもない直観が働く。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
大使館に呼び出された俺は、MP5を構えた完全武装の警備三人に囲まれ、連れられた。
ロックハート参事官が待つ部屋に着くと、一人は俺の後ろに。あとの二人は離れた壁に下がり、銃口はそれぞれ俺に向けられたままだった。
参事官の後ろには、別に二人の警備が立っている。
「今日は、随分とものものしいですね」
アビゲイル・ロックハートは、いつものように俺に握手を求めない。
俺は一人がけのソファに座らされた。
多分、特別な仕掛けがある。
しかし俺は黙ってアビゲイルの話を聞いていた。
「今日はある重大な秘密を君に話す」
「そんなもの聞きたくはないですけど」
「君に拒否権はない」
「俺がその秘密を漏らしたら、どうするんですか?」
「君は漏らさない。まあ、その場合は君自身と、漏らされた相手は可愛そうだと思うよ」
「脅しですか」
「いや、脅しではない。事実だ」
「それで、彼らは何のためにいるんです?」
「彼らは、ロックハート財閥に「属する兵士」だ。私がここに集めた。彼らは私の安全のためにいる」
これから口にされる「重大な秘密」を彼らに聞かれても問題ない。
それに、俺が何かしなければ、手は出さないということか。
「君はなかなか油断がならないことは調べたからね、「キッド」」
「フン!」
アビゲイルは静かに話し出す。
重大な秘密にしては、少々演出に欠ける。俺はそんなことを考える余裕もあった。
「うちの一族のことは、君の部下が随分と探っていたようだね」
一江のやっていたことは、すべて掌握されているようだ。
アメリカは巨大なスーパーコンピューターを使って、世界中の電子ネットワークの情報を把握していると聞いたことがある。
それが本当なら、一江はガラス張りの風呂でシャワーを浴びていたに等しい。
「ある程度は掴んでいるのかもしれんが、ロックハート一族は、子孫が残せないのだ」
「……」
「正確に言うと、子孫を残すには非常に面倒な条件がある」
アビゲイルはそう言うと、短い時間黙った。
俺の反応を見ていたのだろう。
「やはり君は知っていたようだね」
「ええ。一江は辿り着いたか知りませんが、あなたがたの家系図の一部を見て、特殊な遺伝子だと感じています」
「ああ、私もまさか、一部とはいえうちの家系図が外に漏れるとはね。舌を巻いたよ」
「一江は結構優秀ですからね。まあ私に言わせれば、情報収集能力だけです。作戦立案能力はまだまだですね」
「しかし、タカトラ・イシガミがいる」
「……」
アビゲイルは、部屋の隅に置かれていた大きな折りたたまれた紙をテーブルへ持ってきて、拡げた。
「うちの家系図だ」
初代から分岐する広大な拡がり、そのはずの家系図は、異常なほどに萎んでいる。
「見て分かるように、我々はカツカツの状態で血筋を残してきた」
「外部からの遺伝子は影響しないんですか?」
「そうなのだ。我々の血は呪いにかかっている」
唇を歪ませて、アビゲイルは吐き捨てる。
「ロックハートの人間は愛によって生き延びてきた」
「……」
「まったくもって皮肉なことだ。ご先祖は数々の悪行でのし上がったのいうのに、そんなヒューマニズムの権化のような甘い言葉で一族は縛られている」
アビゲイルは俺を見詰めていた。
「ロックハートの人間は、心底愛した相手としか子を成せない。しかも、それは生涯にたった一人だけしか産めないのだ」
その説明に矛盾する箇所が、家系図の中には幾つかあった。
「気が付いていると思うが、子孫を一人しか残せないはずのロックハートの人間でも、複数人の子を成した者がいる」
「どういうことなんですか?」
「私にも分からん。ただ、我々の必死の研究により、ある遺伝子の存在が確認された。我々だけの命名だが、それは《カンブリア》と名付けられている。その《カンブリア》がキョウコに備わっていることが判明している」
「!」
「ここまで話せば十分だろう。一族の悲願であるカンブリアを保持するキョウコが、末期ガンにかかったことを知った我々の苦悩を君は理解できるだろう。しかし、現代医療ではもう諦めるしかない。我々は一縷の望みをもって、日本へ来たのだ」
「私が駐日大使館に配属されたのは偶然ではない。日本の医療機関を詳細に調べ、ブンガク・タテシナの存在を知った。彼ならばキョウコを救えるかもしれない。しかしタテシナは自分でも手が出せないと言った!」
「我々の悲嘆は、外部の人間には分からないだろう」
「ある日、キョウコが会いに行った私に、嬉しそうに話してきた。自分の運命を気配で悟っていたキョウコは、もう笑うことなど無かった。だから私も驚いて夢中でキョウコの話を聞いた」
「病室で君がキョウコを喜ばせたこと。そしてタテシナからキョウコの数値が激変したことを聞かされた。死は確定していると念を押されたが、キョウコは一時的に改善を見せた。しかし、その事実は我々を狂喜させた」
「私は早速君の経歴を、財閥のすべてを駆使して調べ上げたよ」
アビゲイルはそう言って笑った。
「かつて、あれほど夢中になったことはない。まあ、君の経歴も大概興味深いこともあったけどな」
「しかし、タテシナの言ったとおり、キョウコの運命は変えられないものだと分かった。ようやく、すべての希望の火は消え、我々はキョウコの最期を静かに迎えさせてやろうという結論に達した。……ようやく、だ」
アビゲイルは腕を振り上げ、テーブルを殴った。
「しかし、君は、誰にも成し得ないことをした。誰も想像すらしていない、素晴らしい奇跡の結果を出した」
「一つ伺いたいのですが」
室内にいる兵士たちは、これまでの話に何の反応も見せない。
彫像のように、そこに佇んでいた。
「なぜ、私にオペを許したのですか? あのまま静かに息を引き取る方が、あなた方の望むことだったのではないですか?」
「その通りだ。しかし、私はキョウコの気持ちが分かっていた。自分の運命に決着をつけるに、君が良いとキョウコは考えていた。そういうことだよ」
やがてアビゲイルは静かに微笑んだ。
「流石に子どもとはいえ、自分の状態はわかっていただろう。だから私はキョウコの望みを叶えてやろうと思った」
「それは予想外の結果になったわけだ。《カンブリア》は甦った。一族の存続と繁栄が約束されたのだ」
アビゲイルは俺を指差して言った。
「もう君は逃げられない」
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