第52話 そして、日常

 「部長、アメリカの○○大学と△△大学、それにあと3つの大学から名誉教授にというお話があるんですよね! って、どれも一流大学じゃないですか」

 一江が俺に週明けの定期報告が終わって言う。


 「なんでお前が知ってんだよ!」

 「だって、私のメールアドレスに、知らないとこから送られてきたんですよ」

 「知らないって、どこだよ」

 「がいむしょー じむじかんどの」

 「なんだ、そりゃ?」


 なんで外務省の事務次官が一介の医者にメールするのか。

 明らかに、あの一連の響子を巡る騒動の関係者に送ったものだろう。

 明白な恣意行動だ。自分たちの力を示し、今後俺たちに逆らうことの無駄を示している。

 恐らく院長にも、もしかしたら花岡さんにも、何らかの連絡があったかもしれない。


 その時、内線が鳴った。

 出ると花岡さんだった。


 「石神くん、実はヘンなメールが届いてて……」

 「ああ、丁度一江とその話をしていたところです。また改めて話し合いましょう」

 「うん、でも大変なことになってるよね?」

 「まあ、別に悪い話ということでもありませんから」

 「そうね。だったら、また改めて」

 「どうもすみません」


 CNNの取材は全米で放映された。

 編集で俺のヒットラー発言はカットされ、無難な部分と俺の写真や病院の様子などが映し出され、勝手に俺の経歴や功績が美化されて、テロップと知らねぇアナウンサーの解説で構成されていた。


 それなりの好評は得たらしいが、それに見合わない動きがあった。


 一江らへのメールにもあった、有名大学から名誉教授だの特別研究員だのの地位の連絡があり、その他の大きな研究機関や大企業からも誘いがあった。

 CNNからは、ホワイトハウスへの招待の話があるが、どうするかと問い合わせが来る。

 冗談じゃねぇ。

 俺はアビゲイルに電話し、猛然と抗議した。

 アビゲイルは笑って、

 「あの程度で抑えたのだから感謝しろ」

 と言われてしまった。


 俺とアビゲイルは、あの日以来、気さくにファーストネームで呼び合う「友人関係」になった。

 もちろんこれは、多分にロックハート一族の恣意がある。



 騒動はあったものの、俺たちはひとまずの決着に安心していた。



 いつものように俺が響子の病室へ迎えに行くと、響子が俺に飛びついてくる。

 元気になったとはいえ、末期ガンから超長時間手術を経た響子の身体はまだまだ通常の生活はできない。

 増して8歳の幼い身体と、その後の抗癌治療の副作用で、響子の体力は戻らず、この先も長い入院生活が待っている。

 アメリカへの帰国も、数年単位で無理だ。

 長時間のフライトは、響子の身体に悪影響を及ぼす可能性が高い。


 まあ、理由はそれだけではなかったが。


 抗癌治療は副作用も強いものが多い。

 幾つかの選択肢はあるが、俺は放射線治療を提案した。

 響子は小児科の患者になるが、いろいろ特別すぎる事情があり、俺がほぼ担当医のような立場にいる。

 もちろん小児科長も了承し、というか俺に泣きついてお願いしますと言っている。


 今は個室を与えられているが、本来子どもは相部屋がいい。

 同じ年頃の子どもといることで、ストレスを発散しやすいのだ。


 しかし響子の場合は、その辺も事情が違う。

 何しろ、響子は世界的財閥ロックハート一族の後継者だからだ。

 その辺の一般人の子どもが、もしも喧嘩でもしてかすり傷一つ負わせたら大問題になる。

 冗談が半分だが、傷の大きさによっては死人が出かねない。

 それに、響子は「ロックハート財閥」の人間であることを隠されている。

 子ども同士の他愛ない会話の中で、万一にもそれが漏れては不味い。





 院長室に呼ばれた。

 ろくでもない用件だろうが、多分響子絡みの話だろうから、多少気は楽だ。

 「石神、入ります」

 俺は勝手にソファに座り、お茶が出てくるのを待っている。


 「おい、いつ座れと言った?」

 「今日は紅茶でお願いします」

 「舐めてんのか?」

 「お願いシマウマ?」


 蹴りが飛んできたので、俺は飛びのいて避ける。


 「お前ぇー!」

 「ちょっとした冗談じゃないですか! 蹴るな!」

 「ちょっとくらい有名になったからと思い上がりやがって!」

 「ええ、アメリカの有名大学総ナメですからね。院長が頑張って学会へ論文を送りまくって、どうでしたっけか?」

 院長の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。


 「お前はクビだぁー!」

 「構いませんよ、だって行き先は幾らでもあるんですから」

 殴りかかる院長から俺は逃げる。




 ハァハァと肩で息を切らせ、俺たちは冗談を終わった。

 「頼むから、普通に入ってくれ」

 俺は出て来た紅茶を啜った。

 「ああ、やだやだ。五十代を過ぎるとこうも体力が衰えるんですか」

 「お前、まだ続けるのか。勘弁しろ」

 院長は荒い息のまま、話し出した。

 「こんな雰囲気で話したくもねぇんだが」

 院長は切り出した。ようやく紅茶に口を付ける余裕がでてきた。

 「なんでしょうか」

 院長は少しの間を空けた。 


 「お前、指先とか掌から炎を出すことが出来るか?」

 「は?」


 「……」


 「すいません、ちょっと分からなかったんで、もう一度言ってもらえますか」

 「だから、お前は炎を出したり、何か人間に不思議なものが見えたりしないか、と問うている!」


 「院長、頭殴っていいですか?」

 「やめろよ!!」


 「もしかして院長の姿をしたニセモノ……」

 「ふざけんな! 俺は本物だ!」

 「ちょっと、一体どうしたって言うんですか。何かのテストですか?」

 全然理解できない。

 こんなアホゴリラは、これまで見たこともねぇ。

 院長は長いため息をついた。


 「分かった、もういい」

 「そうですか。ちょっと花岡さんにいい薬を聞いてきます」

 俺の言葉を無視して院長は言う。


 「お前、念のためもう一度聞くが、俺に隠してそう言ってるんじゃねぇだろうなぁ」

 「もういいって言ったのに!」


 嫌な雰囲気の中、俺たちは黙ったまま紅茶を飲む。

 まだ出て行けと言われないので、俺はそのまま残るしかねぇ。

 そろそろ仕事に戻りたい俺は、院長に話しかけようとしたそのとき、


 「やはり話しておくか」


 院長が呟くのが聞こえた。

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