And to you(9)

 ○


 病院を出ると、既に町は夜闇に浸されていた。


 息を吸うと澄んだ冷気が鼻先を刺す。強張りそうになる体をほぐすように、ゆっくりと息を吐いた。その吐息は淡い白に染まりながら僕の口から舞い上がり、夜に溶け込んでいく。すっかり冬だなと、そんな当たり前のことを考えながら歩を進める。


 今頃、彼女は早速CDを聴いているだろうか。果たして僕が収めたあの曲に気付くだろうか。もし気付き、その音を耳にしたとして、僕の想いは彼女へ届くだろうか。


 そんな想像をしていると、期待と不安と、少しの気恥ずかしさを覚えてしまう。自分の大切な感情を誰かに伝えるのは初めてのことだ。何と言うか、とにかく落ち着かない。


 先週、学校から帰宅した後、僕はすぐにあの曲を書き始めた。驚くことに、作曲自体はほとんど思い悩むことはなかった。彼女に対する僕の心をそのまま音に表そうとすると、自然と旋律が頭に浮かんできたのだ。奏原公園で彩音と出会ったあの夜に、即興でギターを奏でた瞬間と同じ感覚だった。


 しかし、それをバンドスコアとして五線譜に書き出すのに苦労した。慣れない作業に随分と手間取った。結局その日は徹夜で譜面を作り上げ、翌日すぐに圭一と悠人にそれを渡して、僕のわがままに付き合ってもらうように頼み込んだ。突然の申し出に二人とも目を丸くしていたが、二つ返事で快諾してくれた。


 ギターを弾き、歌を歌うのは文化祭以来のことだった。そこで彩音が倒れ、ライブの余韻に浸る間も無く、すぐに動揺と失意に塗れたため忘れかけていたが、やはり音を奏でるということは楽しかった。その楽しさを、音楽を、必ずまた彩音とも共有したいと強く思った。少し照れくさいだろうが、僕の作った曲を、彼女とも演奏してみたいとも思う。彼女ならその旋律をより鮮やかに彩ってくれるだろう。


 そして改めて、僕の想いを伝えなければならない。イヤホン越しではなく直接、ギターの音とこの声で伝えるのだ。


 篠宮修志は、石川彩音のことが好きだということを、伝えるのだ。


 そう、強い意志を固めて、僕は改めて呼吸をする。






 そして、当たり前のように時間は流れていき、当たり前のように町が新しい年を迎えた頃。


 彩音はこの世界からいなくなった。

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