ありふれた奇跡の終着点(6)

 快晴の空の下を全速力で駆けるような軽快な8ビートを刻むドラムス。叙情的に唸る低音でリズム全体に厚みを持たせていくベース。そこに二本のギターの音色が鮮やかな色彩を加える。


 圭一のスティックから、悠人の指から、彩音と僕のピックから生み出される音が、重なり、調和し、響いていく。その一音一音が、陽光を浴びた海面のように燦然とした光を宿していた。


 そして、その旋律の上で歌うのは、今という瞬間を生きることを祝うような言葉。


『A beautiful day』


 ステージに与えられた三十分という時間を踏まえて、バンド内で事前にセットリストを決めることになったが、その中でこの曲を一曲目に選んだのは僕だった。初めて耳にした彩音の曲であり、初めてバンドメンバーで合わせた楽曲。理由は単純にそれだけだが、ライブの始まりはこの曲であるべきだと、心のどこかに強い意思を置いていた。


 疾走感溢れる晴々しい音色に包まれた会場は爽快な熱に満たされている。ある客は高々と頭上に手を突き上げ、ある客は溌剌と体を揺らし、ある客はその場で小さく飛び跳ね、ある客はリズムに合わせて手を叩いていた。


 三分間の旋律は瞬く間に過ぎ、クラッシュシンバルと共に最後のコードを鳴らす。その音の輪郭が掻き消える前に圭一がスティックでカウントを取った。糸と糸を結ぶように音を繋げて、次の曲が始まる。


『青春讃歌』


 曲を印象付けるメロディアスなリフが彩音のギターから鳴らされて旋律は進み出す。一曲目と同様にアップテンポでありながらも、いわゆるパンクっぽさが薄くなって爽やかな雰囲気が増している。春の暖かさから、夏の涼しさへ移り変わったような空気感。もし曲調を色で例えるなら青が相応しい、どこまでも透き通った音色で作り上げられたナンバーだ。


 そんな音に乗せる言葉は、若者が抱える様々な感情の揺らぎや、毎日に潜む理由の掴めぬ漠然とした不安。そして、それを乗り越えた先にあるであろう希望の予感。美しいだけではない、青春の煌めきだ。観客の多くが共感できる歌詞なのではないかとも思える。


 間も無く五線譜の上を渡り終える。力強く軽妙な圭一のフィルインに、悠人の膨よかな弦の振動が重なる。そこに僕の和音と、彩音の潤いのあるリフが溶け合い、そうして作り出した燦爛とした音を響かせて、二曲目の演奏を締めくくった。


 空間を震わせていた音の波が収まった後で、改めて大きな歓声と拍手が湧き起こる。会場を包む陽気な空気を吸い込むように息をすると、不意に心が宙へ浮くように軽くなるのを感じた。これほどの人間が僕たちの演奏で、僕たちの音で楽しんでくれている。それがとても誇らしく思えたのだ。


 得意満面な表情を悟られないように僕は振り返り、アンプの側に置いているペットボトルを手に取った。常温の水で喉を潤しながらドラムが置かれたステージ後方を見る。そこにはにこやかにタオルで汗を拭う圭一が座っていた。続けて悠人に顔を向けると、彼もまた、どこか楽しげな空気を身に纏って調弦を再確認している。


 そのままの流れで彩音の方へ視線を滑らせると、彼女は一点の曇りもない笑顔で当然のように客席へ右手を振っていた。もうここには彼女の右手を嘲笑するものはいないだろう。安堵の気持ちを胸に、僕は正面を向き直る。


 会場全体を眺めた後、一つ呼吸を置き、再びマイクに近づいた。


「ええっと……今日は僕たちのライブに集まってくれてありがとうございます」


 簡単なMCを語り始める。特に内容は考えていなかったので、適当にありきたりな言葉を並べていく。


「短い時間ですけど精一杯演奏させてもらおうと思うんで、最後まで宜しくお願いします」


 僕が言うと、そこここから再び歓声と拍手が浮かび上がった。


「修志ーー!」


「すかしてんじゃねーー!」


「もっと面白いこと喋れーー!」


 その中から友人のからかうような野次が飛んできて、辺りに笑い声が生まれる。僕はマイクから少し口を離して「うるせえ」と笑い返した。


 客席の騒めきが少し落ち着いたところで「それじゃあ」と、僕は再びマイクに声を通す。


「次の曲、いきます」


 ギターのボリュームを戻して、エフェクターを踏む。


 そして僕たちは次の音を鳴らした。

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