special thanks(8)

 ゆっくりと坂道を上っていく。五ヶ月ぶりに見ても相変わらず急な勾配だ。そう思いながら空を仰ぐ。秋という季節らしく、明るい星は少ない。


 不意に夜風が吹き、全身へ布越しの淡い冷気が伝った。思わず肩を窄める。薄手とはいえ長袖のシャツを着てきたのは正解だった。


 坂道を上り切ったところで二つの道が姿を見せる。どちらを選んでも到着地は同じ。この前とは逆を選んでみよう、と僕は再び坂となる右の道を選んだ。ここを進めば奏原公園に繋がる。


 家を出た僕は適当な方角に向かって歩き始めた。目的地は決めていなかったが、少し歩を進めたところで奏原公園の方へ近づいていること気づいた。結果、今、理由も無く公園へ続く道を歩いている。


 濃紺のアスファルトが敷き詰められた道の左右は隙間無く木立が並び、繁茂した枝葉が頭上を覆っている。街灯が一つも無いため視界は夜闇に浸されていた。スマホのライトを点けるのも面倒臭いので夜目をきかせて一歩一歩慎重に地面を踏んでいく。足の動きに合わせて呼吸をすると、冷たく澄んだ緑の匂いが鼻先を過ぎる。


 ――ジャーン


 坂の中間辺りまで進んだ時だった。


 響き渡る秋虫の音の中に、別の音が一つ浮かび上がる。まるで一瞬だけ頬を撫でるそよ風のように、小さく耳に入った。


 ――ジャーン


 数歩歩いたところで再び同じ音が鳴った。天然自然から生まれるような無作為なものではない。意思を持って整然と並べられた音の羅列。


 これはチューニングを整えた六本の弦が震える音色だ。


 僕は立ち止まり、音の源泉へと頭を向ける。この坂道を上った先、公園の方向から聞こえた筈だ。


 こんな時間にこんな場所まで来てギターを弾くとは、どこの誰だろうか。そんな疑問が思い浮かんだが、すぐに答えが分かる。


 次の瞬間、視線の先から流れてきたものは、あまりにも耳に馴染んだ一つの楽曲だった。


 精緻に描かれた水彩画のような鮮やかさと、春の木漏れ日のような温かさを織り交ぜたギターの音色が連なり、底抜けに朗らかな旋律が生み出されている。その音に吸い寄せられるように僕は再び歩を進めた。

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