誓いのロック(6)

 ――全能感というものを、初めて理解できたような気がした。


 左手と指板との間にまるで磁力が働いているかのように、弦を的確な位置で、的確な強さで押さえることができている。コードチェンジやスライドの際に余計な音を鳴らすこともない。右腕は軽く、しなやかに動き、寸分の狂いも無いテンポでピッキングを繰り返している。前日までミスが続いていた箇所も驚くほど無意識に弾けていた。


 鳴らしたい音を、鳴らしたいタイミングで鳴らせる。指先の感覚とリンクして放たれる流麗な弦の震えが、晴れやかな音色となって響き渡り、清々しい情調を旋律に足し加えていく。自らが演奏しているとは思えない音楽に包まれて、まるで、茫洋とした夜道に点々と煌びやかな灯りが灯されていくような情景が脳裏に浮かぶ。


 ボーカルの調子も良い。上手く喉が開いて十分な声量を出せている。低音も高音も思うように発することができていた。


 苦難の奔流の中でもがきながらも、胸に湛えた夢を誇示するような、瑞々しさに満ちた歌詞を僕は揚々と音に乗せていく。体の奥底から止めどなく湧き上がってくる感情を溢れさせるように歌い続けた。


 他の三人の演奏も申し分なかった。元より非の打ち所がなかったはずだが、僕の演奏からアクが抜けたことで、より全ての音が調和された気がする。


 それは、パズルで探し続けていた一つのピースが見つかった時の感覚に近かった。それさえ見つけてしまえば、あとはひとりでに完璧な作品が完成されていく。スタジオは一片の隙間も無く、僕たちの華やかな音で満たされていた。


 奇跡のような瞬間だと思った。


 言葉にすれば随分と大仰かもしれない。この先練習を重ねていけば、それぞれの演奏技術は更に磨かれる。それに比例してアンサンブルもより洗練されていく筈だ。きっと今よりももっと素晴らしい演奏ができるようになるだろう。


 しかし、未来にどれほど希望に満ちた可能性が待っていようと、今という瞬間に存在する奇跡が霞むことは無い。この演奏は、この音は、この感情は、この瞬間だけのものだ。今、僕たちは確かに奇跡の中にいた。


 間奏に入ったタイミングで、僕は何気なく彩音の横顔を盗み見た。彼女はこの世に存在する負の感情なんて一つたりとも知らないのではないかと思うほど、満面に愉楽を湛えてギターを掻き鳴らしている。その姿は、溌溂としていて、格好良くて、そしてとても美しく、僕の目に映った。


 ふと、以前笹崎が口にしていた言葉が脳裏を過ぎる。


 自分にとって音楽とは何か。


 彩音を見ながら、僕の中でその問いの答えが確かな輪郭を持ち始めた気がした。

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