誓いのロック(5)

 翌日。僕たちバンドメンバーはラジオ体操へ向かう小学生よろしく、飽きもせずいつも通りの集合時間にスタジオに集まっていた。今日もまた、音楽を奏でる時間が始まる。


 僕は昨晩から不思議な感覚に身を浸していた。胸中が妙に凪いで、五感が研ぎ澄まされているような気がする。それは新しい力を手に入れたというよりは、見失っていたものを再び探し当てた、という状態に近い。チューニングを行う指先の感触が鮮明に頭へ伝わる。弦が震える音の輪郭が色濃く耳に届く。そうして早々に調弦は終わった。


 三人を見ると、まだそれぞれセッティングの最中だった。珍しく自分が一番早く準備を終えたらしい。


 僕は待っている間に、ピックを右手で握りしめながら軽く呼吸をする。いつからか体に染みついた、ギターを弾き始める前のルーティン。昨日までは、焦りや不安からくる緊張を解消するためのものだった。


 しかし今日は違う。全身を駆け巡る漠然とした自信と、少しの期待で逸る気持ちを、いつも通りの所作を取ることで落ち着かせようとしていた。


 間も無く全員の準備が整い、圭一が口を開く。


「じゃあ今日はどの曲からやろうか?」


 普段であれば、これに彩音が答えて演奏を始めるのが慣例となっているが、今日はそうはさせないと、僕は振り向いた。


「『誓いのロック』からやろう」


 そう答えると、圭一は目を丸くする。昨日までは意見を受け入れるだけだった人間が提言したことへの喫驚か。それとも実力不足の奏者が自ら選曲したことに懸念を抱いのだろうか。


 しかし、今の僕にはどちらでも良いことだった。例え演奏技術が劣っているとしても、劣等感や自己嫌悪に塗れるとしても、僕はここで音楽を奏でることを選ぶ。そんな意思表示を、その歌に乗せようと思った。


『音楽に関わる人間が不幸になってはいけない』


 彩音が強い感情を込めて口にしていた言葉を思い起こす。それに倣うのであれば、僕だって音楽に触れたことで不幸な思いをしてはいけないし、そしてその端緒を誰でもない自分自身で作ってたまるものか、とも思う。


 圭一は何かに気がついたようにニヤリと笑った。その表情は僕の胸裏に灯った思いを見透かしているようにも見える。


「分かった。じゃあそれからいこうか」


 圭一が承諾した後に、僕は彩音にも目で問う。彼女は『是非とも喜んで』と満面の笑みで返してきた。僕は軽く口角を上げて正面を向き直る。悠人には賛否を聞かなくても大丈夫そうだった。彼の沈黙は肯定である。


 僕はエフェクターのペダルを右足で踏み、左手で始まりのコードを押さえる。


 そして、圭一が放つダイナミックなフィルインを皮切りに、その瞬間は始まった。

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