バンド名を決めよう(3)

 放課後の談論風発は続き、時計の長針が一周した。しかし一向に全員が納得する答えは出ない。結果として築かれたものはボツ案が書かれたルーズリーフの山だけだった。


「うーん、なかなか決まらないねえ」


「序盤はほとんどふざけてたからな」


 伸びをする石川に僕は白い目で返した。


「いやあ、意外と難しいものだね」


 そうこぼす圭一は最初こそ悪乗りに興じていたが、途中からは真面目に思索していた。しかし彼が挙げる案は、どこか語感がしっくりこなかったり、既に存在するバンドの名前に近かったり、採用に至らないものばかりだった。気のせいかもしれないが、わざとそんな絶妙なラインを選び抜いているようにさえ思える。


 悠人はというと、椅子に背中を預けたまま腕を組んで顔を俯かせていた。一瞬、熟考を始めたのかと期待したが、じきに静かな寝息が聞こえてきた。


 その隣で、「やっぱこれじゃない?」と、石川がパロディシリーズの紙を持ち上げたので僕は片手で一蹴する。


「どうしたもんかな」


 僕は苦悩の息を一つ吐く。その直後「でも実際さ」と、圭一が口を開いた。


「他のバンドってどうやって名前決めてるんだろうね。アマチュアにしてもプロにしても。ちゃんとした意味があるものとか語感が良いものもあれば、ちょっとぶっ飛んだ名前とかもあるしさ」


 たしかに常人の頭では考えつかないバンド名はたまに見かける。ああいうものはある種前衛芸術に近いと思う。


「まあ、あれだ」と、僕は答える。


「こういうバンド名って案外、その場の思い付きで決まったりすることが多いらしいぞ。その時のメンバーの気持ちを表したりする、とかな」


「……その時の気持ちを表す、か」


 ふと目の前で、僕の台詞を繰り返すように石川が呟いた。どこか真剣な面持ちでルーズリーフに目を落としている。


 次の瞬間、彼女は弾かれたようにペンを走らせ始めた。その勢いに気付いたのか、悠人も重たそうな瞼を開いて顔を上げる。


 今の会話からどんなアイデアが浮かんだのだろうか。気になって覗こうとしたが、それよりも先に石川は書き終わり、紙を持ち上げた。表彰状を授与するような構えを取って、一度自身でその文字を確認する。


 そして、ルーズリーフの表面を僕たち三人に向けて、そこに書かれたバンド名を満足そうに読み上げた。


「『special thanks』っていうのはどうかな?」


 それが存外まともな名前だったことと、彼女が英単語のスペルを間違わなかったことに対し驚きながらも、その意味を僕は尋ねた。彼女は頷いて答える。


「深い意味があるわけじゃないんだけど……さっき篠宮くんが『その時の気持ちを表す』っていう決め方があるって言ったでしょ? だから私の今の気持ちを表したの」


 そして呼吸を一つした後、幸せそうに顔を綻ばせた。


「私のわがままに付き合ってバンドを組んでくれてありがとうって、みんなへの気持ちを込めたんだ」


 受け取る方が気恥ずかしくなるほどに真っすぐで純真な感謝。それは完全に石川の一存による案だった。メンバーの総意ではない。


「いいんじゃないかな」


 しかし、少しの間を置いた後で圭一が軽やかに答えた。隣で悠人も無言のまま首を縦に振る。そして、最後の関門と言わんばかりに石川がこちらを向く。


「……ああ、良いと思う」


 僕はなんの逡巡も無く、同意した。むしろ不思議なほど自然と、その名前を受け入れることができていた。まるで明確な答えの有る数式を解き終えた感覚に近い。それ以外、正解は無かったのだとすら思えた。


 もしかするとそれは、石川が口にしたものと同じ感情を、少なからず僕も彼女に抱いていたからかもしれない。


「決まりだね」


 石川は嬉々として声を上げ、跳ねるように席を立った。教壇へ上がり、黒板にチョークを滑らせていく。その白い軌跡が作り上げた文字を僕は目で読む。


『special thanks』


 胸に心地よく響く良い名前だと、改めて思った。

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