バンド名を決めよう(2)

「では今からバンド名を決めます!」


 一学期最後の放課後、二年二組の教室にそれは響いた。


 石川の宣誓に対して、圭一は軽い拍手を送り、僕は呆れるように目を細める。そして悠人が面倒くさそうにため息を吐いて言った。


「バンド名なんて別に無くてもいいって。さっさと練習行くぞ」


 しかし石川は「いやいや」と首を横に振りながら、今にも席を立ちそうな悠人を制した。


「これはとても重要な案件だよ。名前次第でバンドのイメージが変わってくるからね」


「さっきまで忘れてたくせに」


 僕の指摘を軽やかに聞き流し、石川は自分の鞄からルーズリーフの束を取り出した。それを数枚ずつ分けて僕たちに手渡してくる。


「というわけで、思いついたら人から紙に書いて発表すること」


 そこから各自シンキングタイムが始まった。正しくは悠人以外の三人だ。悠人はどうでもいいといった様子で、椅子に背中を預けて気怠そうなペン回しを繰り返している。


 正直、自分もさほど真剣に考えるつもりは無かったが、意気揚々としている石川を前にしてそれは口にしづらい。僕は腕を組み、程々に思考を巡らせた。


「はい!」


 最初に声を上げたのは石川だった。


「我ながらなかなかロックバンドっぽい名前を思いついたよ」


 得意げに口角を上げ、勢いよく紙を顔先に掲げる。そこには丸っこい文字で『ベトナム600』と書かれていた。


「なんだその沖縄出身のスリーピースバンドみたいな名前は」


 僕は堪らず即答する。


「ね? ロックバンドっぽいでしょ?」


「パロディー的な意味でじゃねえか。却下だ却下」


 退けると、石川はむくれて新しい紙を手に取った。納得いかない表情を浮かべるということは本当に採用されると思っていたのだろうか。


「よし、じゃあ次は僕が」


 圭一が続けてペンを置いた。爽やかに笑いながら紙を持ち上げる。


「自信は有ると言っても無いと言っても嘘になるね」


 ちょっと意味が分からない、と思いながら僕は端正な字で記されたバンド名を目で読む。


『ネパール700』


「いや、いい。乗らなくていい」


 有無を言わさず却下した。


 良いと思ったんだけどなあ、と圭一は冗談っぽく微笑んだまま次の紙にペンを走らせ始める。


「はいはい! 次は私!」


 間髪入れずに石川が挙手した。彼女はそのまま勢い込んで言い放つ。


「次のはもうバッチリだよ! モロッコきゅうひゃ――」


「大喜利じゃねえんだよ」


 彼女が言い切る前に僕はシンプルなツッコミを発した。まだ三案目だというのに綺麗に道が逸れてしまっている。


「……悠人は何かないのか?」


 僕は助け船を求めるように顔を向ける。案の定悠人は眉をひそめた。


「無い」


「そう言うと思ったけど……」


 やる気が無いのは重々承知だが、今は少しでもまともな意見が欲しい。


「なんでもいいから、とりあえず一つ出してみてくれよ」


 僕は縋るように続ける。すると悠人は深いため息を吐いた後で器用に回していたペンを掴み、意外にもすらすらと文字を書き始めた。そしてあっという間にペンを置く。そのまま雑に持ち上げられた紙面には険のある字で『BAND』というバンド名が刻まれていた。


「いやいやいや」と、否定が思わず口を衝いて出てしまう。


「それはさすがに、バンド名として無しだろ」


「お前がなんでもいいって言ったんだろ」


「いや……まあそうだけど、だからってそのまま過ぎだ。『会社』っていう社名の会社があるかよ」


 そう切り捨てると、悠人は不服そうに紙を手放しペン回しを再開した。我ながらそこそこ正論を吐いているつもりなのだが、なぜか僕が悪者のような光景になっている。


「そういう篠宮くんはどうなのさ」


 不意に石川が口を開いた。何か胡散臭いものを見るように、薄くした両目をこちらへ向けてくる。


「何か良い案あるの?」


「……そうだな」


 未だ何も思いついていなかった僕は思わず言葉を詰まらせてしまった。その沈黙に何かを察したのか、圭一と悠人もこちらへ目を向けた。文句を訴えるような視線が僕に集まる。


「まさか、みんなの意見を切り捨てておいて自分は何も考えてないなんてことはないよね?」


 それを言葉として石川が表した。図星であるために返答に窮する。


 心の内で唸りながら僕はペン先を紙上に触れる。何か意味を持った名前の方が良いか、それとも単純に字面や口にした時の響きを重視すべきか。あまりクサく感じるものは避けたいし、かといって悠人のような簡素過ぎるものも良くない。真剣に考え始めると、想像以上に気の利いた案は浮かばない。


 その間にも沈黙は教室の中に凝然と佇んでいた。視界の端に映る三人からは僕を試すような空気感が滲み出ている。


 その時、一つの閃きが頭に過ぎった。やっと手にした思い付きが霧散してしまう前に、すぐにペンを動かす。僕が書き出したのは、メンバー全員の苗字をローマ字表記にしたものだった。そしてその頭文字を組み合わせて何か単語にならないかと見つめる。


「あ」


 次の瞬間、僕はアルファベットの羅列から一つの答えを掬い上げた。


「MISTってのはどうだ」


 ほら、とそれぞれの頭文字を丸で囲む。シンプルながらも悪くないのではないだろうか。少なくとも先ほどまでの案よりは。しかし――


「えー、なんか地味じゃない?」と、石川。


「ちょっと発想が安直過ぎないかな」と、圭一。


「響きが中二っぽくてダセえ」と、悠人。


 三者三様の否定の言葉を、僕は投げつけられた。

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