First ensemble(4)

 七月に入り一週間が経った日の放課後。


 僕は再びスタジオを訪れていた。もちろん以前と同じようにバンドメンバーの三人も一緒だ。


 しかし、今日は先日と決定的に違う点がある。ロビーではなく実際に演奏スタジオの中に、そして自身の手にギターを携えて立っていた。それはつまり、今からこの場でバンドとして初めて音を合わせるということだ。


 一ヶ月という期間で僕は、石川が初めに作った五曲のうち三曲はそれなりの合奏ができると思えるレベルにまで至っていた。当然、それが真実かどうかは実際に合わせてみないと分からない。ただ少なくとも一人で演奏する分には、曲の頭から終わりまで問題無く弾くことができていた。ボーカルを交えるとなると、正直まだ不安は残っていたが。


「いやあ、ちゃんとバンド全体で合わせるのは初めてだから少し緊張するなあ」


 とてもそんな風には見えない微笑を浮かべながら圭一はドラムのセッティングを進めている。軽い力で動かすスティックは以前よりも先端部分が削れていた。着実に練習を重ねていることが見て取れる。


「俺も誰かと合わせるのは久しぶりだな」


 悠人がベースのチューニングを行いながら言った。泰然とした態度を保っているようには見えるが、どこか感慨深さも感じさせる呟きにも聞こえる。


 僕は相づちを打つこともできずに、軽く弦を弾いて音を確認する素振りを見せる。この後に待っている出来事を考えると、どうにも落ち着かない。そう思いながら隣に立つ石川に目をやった。


 今日の彼女は不自然なほどに静かだ。いつもの目が眩むほどの溌剌さは鳴りを潜めている。まるで悪事を働いたあとに後ろめたさを感じている子供のように、沈鬱な表情でギターを肩に吊るしていた。


 らしくない佇まいに違和感を覚えながらも、その理由は既に分かっていた。僕が知っていて圭一と悠人が知らない、石川に隠された一つの秘密を、彼女は今から明かそうとしているのだ。


 石川がチラリと僕の顔を窺ってきた。その瞳にはおぼろげに不安の色が映されている。大丈夫、と呟く代わりに僕は小さく頷いた。彼女の顔からほんの少しだけ緊張が取り除かれる。


 圭一と悠人が彼女の秘密を知ってどんな反応をするかは分からない。けれど、どんな結果になろうと、僕は彼女の味方になると心に決めていた。


「……あの」


 圭一と悠人を視界に収めるように石川は体の方向を変えた。二人は声に応じて同時に顔を向ける。視線を寄せられた彼女は体を強張らせた。


「どうしたの?」


 圭一が問うと、石川は戸惑うように肩を窄める。


「えっと……その、訳あって篠宮くんは知ってるんだけど、まだ二人には言ってなかったことがあって……」


 ぎこちなく言葉を紡ぎながら、自身の左手で、秘密を隠したその右手を握った。


「バンドに関する話か?」


 悠人がベースのネックに手を添えたまま尋ねる。


「いや……うん、そうだね。バンド活動をする上では言っておかないといけないこと、かな」


 どこか真剣な空気感を察したのか、圭一と悠人はそれ以上問いかけることはせずに石川の返事を待った。息苦しくなる静けさが訪れる。


 彼女は一度深呼吸をして、弱々しい声で続ける。


「えっと、本当はもっと早く言うべきだったのかもしれないけど」


 そして、右手を包んでいた白色の手袋をゆっくりと外した。


「私ね……その……右手が、義手なんだ」


 露わになった銀色の右手が、室内の照明を受けて光る。普通の人間からは放たれることの無いその鋭い煌めきを目の当たりにした圭一と悠人は分かりやすく目を丸くした。驚愕といった様子だ。その目線に狼狽えたのか、石川は俯いてしまう。一瞬、スタジオ内の時間が止まったような感覚がした。


 しかし、それは本当に一瞬だった。


 次の瞬間には、驚きに染まっていた二人の面持ちはいつも通りの表情に戻る。圭一は涼やかな微笑みを、悠人はしかめ面を取り戻していた。


「ああ」と、圭一が先に口を開く。その声に怯えるように石川の肩が小さく震える。


「やっぱりそうだったんだね」


 彼は事も無げにそう言ってのけた。慮外の言葉だったのか、石川はハッとして跳ねるように顔を上げる。


「御堂くん……気づいてたの?」


「うん、なんとなくだけどね。年中手袋を付けてるってことは、何かしら見られたくないものがあるっていうことだろうから。義手か、もしくは大きな傷跡でもあるのかなって思ってたんだ」


 まるで世間話でもするみたいに軽やかに圭一は語る。そんな彼を前に石川は言葉を無くして両目を瞬かせていたが、僕はその反応を少しだけ予想できていた。圭一は明確な言葉にはしていなかったが、今までも時折、彼女の右手について何か思い至っている雰囲気を醸し出していたからだ。


「まあ、そんなに大袈裟な話でもないんじゃないかな。たしかに義手を付けてる人はそうじゃない人に比べたら少ないけど、たまたまその一人がここにいたってだけでさ」


 圭一らしい妙に達観した意見である。


 続けて、悠人が不機嫌そうな顔のまま少し刺のある低い声を漏らした。


「お前、それでちゃんとギター弾けるのか?」


 その言葉を聞いた僕は思わず胸中でため息を吐く。


 義手を付けた人間への興味や戸惑いよりも、義手のギタリストが及ぼすバンドサウンドへの悪影響を憂慮する思いの方が、悠人の中では勝っているらしい。僕は呆れざるをえなかった。薄々気づいてはいたが、やはりこいつは重度の音楽バカなのだ、と。


 どうやら石川もその反応に肩透かしを食らったようで、唖然と目を丸くしたままだった。すぐに答えが返ってこないことに懸念を持ったのか、悠人は石川を睨んだまま、いったいどうなんだ、と視線で問いを重ねる。


 すると数秒の間を置いた後、石川の表情がふわりと変わった。二人が自身の右手を嘲弄する様子が無いことを理解したのだろう。先ほどまでの憂色は一切消え去り、花が咲きこぼれるように顔を綻ばせる。屈託無く爛漫とした、いつも通りの彼女が目の前にはいた。


 そして、少し悪戯っぽく口の形を変えて言う。


「それは今から合わせてみてのお楽しみってことで」


 挑発的な返答に悠人は怪訝そうに目を窄める。しかしすぐに「まあ、いいけど」と呟き、セッティングを再開した。


 秘密を告白し終えた石川が僕の方を向いた。その満面には安堵と喜びを交えた柔らかな笑みを浮かべている。僕も軽く口角を上げて応えた。


 そこから石川は慌ただしく準備を進めていった。銀色の光沢を放つ右手を堂々と動かして、チューニングを行い、シールドを繋ぎ、アンプのイコライザーを調整していく。煩いが消えた体から繰り出される一つひとつの動作はとても軽やかに感じられる。


 その姿を一瞥した後に、僕は自分の足元へ目を落とした。そこには淡黄色の長方形の箱が置いてある。手のひらサイズのそれは下半分がペダル、上半分が三つのダイヤルで形成されている。石川に借りたエフェクター、ギターの音を歪ませる『オーバードライブ』だ。


 左右を見ると石川と悠人の足元にも同じようにエフェクターがセッティングされている。しかし僕と比べて種類は多い。特に悠人はエフェクターボードを備えているほどだった。それを眺めた後に自分の足元へ目を戻すと随分と寂しげな光景に感じてしまう。


「よし、準備オッケー!」


 間も無くして、朗々とした石川の声が響いた。促されるように顔を上げて彼女の方を向く。石川がスタンディングでギターを持つ姿を見るのは屋上以来だが、その時と同様、ボディが腿に重なるほどの低さで構えている。これが彼女のスタイルなのだろう。


「それで、最初はどの曲からやるんだ?」


 尋ねると、石川は一切迷う素振りを見せずに即答した。


「じゃあ『A beautiful day』からで!」


 それは以前、奏原公園で彼女が『黄色』というイメージカラーを付けて聞かせてくれた曲だった。底抜けに明るい情調が漂うメロディは、たしかに記念すべきバンドでの初セッションの一曲目に相応しいとも思える。


「分かった」


 僕は答えて、エフェクターのペダルを踏んだ。アンプから漏れるノイズが僅かに大きくなる。


「いつでもいいよ」と、背後から圭一の声が聞こえ、同時に悠人も小さく頷く。


「よし、じゃあやろうか!」


 石川が言うと同時に、僕は指板の上に添えた左手指の形を変えて、曲の一小節目であるAのコードを押さえた。指先に細く固い弦の感触が伝わる。


 一度深呼吸をして、ピックを持つ右手に力を入れた。


 ここから、僕たちの音楽が始まる。

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