2章 A beautiful day / 凡人たちのセッション

A beautiful day(1)

 夕飯を済ませると時刻は午後八時を回っていた。


 リビングのテレビには他愛も無いバラエティー番組が映し出されている。箸を進めている間はぼんやりと眺めていたが、食後にわざわざ見続ける内容でも無い。麦茶を汲んだガラスコップを持って早々に自室へと戻った。


 部屋の扉を閉め照明を点ける。学習机にコップを置くや否や、その隣に据えたスタンドにもたれているギターのネックを掴み、持ち上げた。メーカーのロゴが刺繍された黒色のストラップを頭から通し左肩にかける。ズシリとした重みを体に感じながらベッドへ腰を下ろした。


 枕元に放っていたピックとチューナーを手に取る。洗濯バサミで挟むようにギターのヘッドにチューナーを取り付け、六本の弦を順に鳴らして調弦を進めていく。


 ペグを回すことで緩やかに変化していく細い音を聞きながら、鮮やかな橙色に艶めくボディへ目をやった。その色と、丸みを持った輪郭が相まって温かみのある印象を与えられる。ボディの上端から伸びるネックの指板には濃い茶色のローズウッド材が使われている。


 高校一年の夏休みから始めたアルバイトの給料。そして正月に貰ったお年玉を合わせてつぎ込み、年始に念願であったこの『Gibson Les Paul Standard』を購入した。といっても新品には流石に手が出ず、選んだのは町の楽器屋で売られていた中古品の一本だ。しかしそれでも十分過ぎるほど高価な代物で、白熱の値引き交渉の末、なんとか予算ギリギリに収めることができた。


『初心者なんだからとりあえず廉価な入門モデルから始めてみろ』と、父に再三説得されたが、僕は絶対に譲らなかった。『チェリーサンバーストカラーのレスポール』というものに強い拘りがあったのだ。理由は至極単純。憧れのロックバンド、ソニアモルトのリードギターであるヒロトが使用していたモデルだったからだ。僕のギターに関する動機はほとんどがソニアの影響を受けている。


 チューニングを終え、右手に持った黒色のピックを六弦の上に当てた。表面に小さな凹凸のある金属とプラスチックが擦れ、ざらついた感触が指に伝わる。そのまま右手を振り下ろし六本の弦を同時に弾いた。正確に調律された音の集合が室内に響く。


 演奏の準備は整った。本当はアンプに繋いで音を出したいところだが、さすがにこの時間ともなると近所迷惑になりそうなので躊躇われる。


 僕は左手でネックを掴み、親指を除く四本の指を指板にかざす。本来であれば先週から練習をしている一曲を弾き始めるところだったが、今日は違った。


 放課後の屋上。そこで耳にしたメロディに引き寄せられるように、指が動いた。


 四弦の2フレットに人差し指、三弦の2フレットに中指、二弦の2フレットに薬指。『朝、目が覚めて』の弾き始めであるAのコードを押さえる。


 頭の中でオープンハイハットを四回叩いて、僕は勢い良くストロークを始めた。


 手の感触とリンクして放たれる音に鼓膜を震わせながら、とうに暗譜した五線譜に沿って指の形を変えていく。思い出しながら、というよりは勝手に体が動く感覚に近い。見慣れた道を歩くように、幾度と無く聴いた旋律を自身の手で辿っていく。


 しかし、駄目だ。弦を弾く度、沸々と胸中に暗雲が立ち込めていく。


 運指は譜面通りに行えているが、所々で余計な弦を弾いてしまい音が淀む。そこで焦ると押弦の力が弱まって、乾いた音色が生まれてしまう。なにより、演奏の速さがあまりにも遅い。原曲の八割ほどのテンポしか維持できていない状態だ。


 昨日まで、もとい今日あの屋上に足を踏み入れるまではこれで十分だと感じていたのだが、今はどうにも満足できない。彼女の――石川彩音の演奏を見せつけられてしまった後では。


 演奏のテンポと、そのリズムキープ。ピッキングやフィンガリングの正確さ。彼女が披露したギタープレイは、それら全てが完璧だと言い切れるほど華々しいものだった。


 そんな妙技が脳裏を掠め、思わず自分の演奏と比較してしまう。片やギターを始めて半年足らずの初心者、片や何年も弾き続けている熟練者。技術の差があることは歴然で、自覚もしている。だがそれでも同じ楽曲を奏でてみると、どうしても自身の演奏の拙さが際立つように感じられ、嫌気が差す。何度か繰り返して曲の頭出しから弾き直したが、同じ音色と感情がループするだけだった。


 僕はため息を漏らすように右手を止めた。弱々しい残響が数瞬だけ空気を伝う。いまひとつ演奏に身が入らない。分不相応な劣等感に苛まれて練習に支障をきたすという状況に陥ることで、追い打ちのように自己嫌悪が襲ってくる。一度、そんな負の感情から逃げるためにギターを置いた。


 机上のコップを手に取り、嫌な乾き方をした喉を麦茶で潤す。飲み干した後で、学習椅子の上に置いた通学鞄へ視線を落とした。僕はその中からMP3プレーヤーとイヤホンを取り出す。イヤーピースを両耳に差し込みながら再びベッドに腰をかけた。


 人が何か悩みを抱えたりストレスを溜めたりして気が塞いだ時、その鬱憤の晴らし方は多種多様だ。知人への相談。運動を通してのリフレッシュ。あるいは他の趣味に没頭したり、大人になれば酒に頼ったりするという手もあるだろう。


 僕にとって、その存在は音楽だ。


 音楽は現代において日常生活の一部と化した存在で、身近にあり、手軽であり、どんな時でもすぐに頼ることができる。不安や焦り、怒りや悲しみといったその時々の感情に合わせて、救いの手を自由に求めることができるのだ。


 僕はプレーヤーの画面を立ち上げ、アーティスト一覧を開く。馬鹿の一つ覚えと言われんばかりに選んだのはソニアモルトだ。表示された四項目の中から、唯一のアルバムである『ordinary end』の名前に触れ、そしてその中から『真夜中の群青』を再生する。


 ソニアの楽曲の中では珍しくキーボードの音を混ぜた、ゆったりとしたイントロが流れ始めた。他の曲と比べてギターの音色をやや淡くしてあり、ベースラインが際立っているメロディ。涼やかかつ優しげな雰囲気を保ったバラード調の一曲だ。


 爽やかな旋律と相反して音に乗せられるのは、深い哀愁を帯びた歌詞。夢や願いといったものにかける意志が押し潰されそうになるような、索漠とした言葉が綴られていく。人生に待ち受ける様々な挫折や失意への懊悩。あまりにも大きな理想と現実の相違。しかしどれだけ絶望を繰り返したとしても、その先に自らの望む未来があることを信じて生き続ける。そんな情景を描いた歌。そのメロディと歌詞を、悲観的な思いを抱いている今の自分自身に重ねながら聴いた。


 幼い頃からいつだって僕はソニアの曲に心を動かされている。陰影に富んだ音色に、時に励まされ、時に慰められ、時に奮い立たされる。心の拠り所と言ってもいい。


 しかし、一つひとつの曲の完成度は高いソニアだが、楽曲の数自体は他のアーティストに比べ極めて少ない。自分のMP3プレーヤーに収録しているのもたったの十五曲だ。それは僕がCDを全て持っていないからというわけではない。


 三枚のシングルと一枚のアルバム。


 それだけを残し、彼らはバンドを解散した。

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