一章 風と火の旅立ち

第9話 目覚め


 エビルは夢を見ている。

 父代わりの村長と喋りながら食事をし、家にやって来たソルと村長が酒を飲みながらなにやら語り出す。楽しそうな雰囲気なうえ、大人同士の話に介入しづらいエビルは外へ出る。


 熱い太陽光が照りつける白雲一つない快晴。

 外では村の住人達が笑って話をしていたり、子供が遊んだりしていた。エビルも自然と笑顔になって村中を歩いていると――突如、怪しい人影が現れた。


 シャドウだ、シャドウが来た。なぜかエビルはそう思う。

 直感の通り現れた人影はシャドウであり、黒ローブについているフードを捲ると黒剣を影から取り出す。楽しそうな笑顔を浮かべている村人達は誰一人として気付かず、それをいいことにシャドウは狂喜的な笑い声をあげながら村人達を斬りつけた。


「やめろ……やめろ!」


 騒ぎを聞きつけて村長とソルが家から出てきて対峙する。

 二人が走って近付いて、シャドウの強さになすすべなく斬られて倒れる。

 狂喜的な笑い声をあげているシャドウは次のターゲットを定める。恐怖して木陰に隠れている小さな子供だった。


「やめろおおおおおおおおおおお!」


 エビルは叫びながら右手を前に出し――ベッドから上体を起こす。

 夢だと自覚する前に「うおわっ!?」と驚愕の声が横から聞こえてくる。荒い呼吸をするエビルが声の聞こえた方向を見やると、見知らぬ兵士の男が驚いた表情で固まっていた。


「お、お、お目覚めですか」


「はあっ……はあっ……はい、一応……」


 中性的な顔をした男に見覚えはないが、男が着ている軽鎧には見覚えがある。

 燃え盛る炎のような刻印が胸の辺りにある軽鎧はアランバート王国兵士団のもの。ヤコンの着ていた軽鎧を少しかっこいいと思いながらまじまじと見ていたからか、そんな細かいところまで覚えていた。


(あれ、この鎧ってヤコンさんと同じ……じゃあこの人は)


「僕はアランバート王国兵士団三番隊団員、ドランっていいます。君が森の中にある村で傷だらけで倒れていたところを僕達三番隊が保護しました」


 やっぱりアランバートの兵士だったのかとエビルは内心呟く。

 傷だらけで倒れていたのはシャドウとの戦いの結果だということで疑いようもない。しかしエビルはどうやってシャドウを撃退したのか、そもそも撃退出来たのかさえ覚えていなかった。記憶の中ではシャドウが村長を捜しに行こうとしているところで途切れている。もしかしたらアランバートの兵士が助けてくれたのかもしれないのでエビルは頭を下げる。


「助けてくれてありがとうございます」


「いえいえっ、こちらとしては間に合わずに申し訳ないというか! 本来ならアランバート領内にある村や町は兵士である僕達が守らなければいけないのに、僕達が向かった時にはもう手遅れな状態でした……。本当にすみませんでした」


 あたふたしながらドランも頭を下げた。


「そんな、こうして保護して頂いただけでもありがたいですよ」


「うぅ……優しいですね。日々きつい鍛錬に勤しんでいるとその優しさが骨身に染みます。そしてそんな優しいエビルさんのいた村を守れなかった。自分が恥ずかしいです……」


 涙目になりつつ頭を上げたドランにエビルは苦笑する。

 こんな事態になってしまったのを目前の兵士やヤコンのせいにはしない。謝られても気まずくなるだけだし、悪いのは全てシャドウなのだから気にする必要はないのにと思う。


「あの、保護されたということは、ここってアランバートなんですよね? そんな長距離、気絶していた僕を連れて移動したならお疲れでしょう。それに僕が起きるまで待っていてくれたんですよね。ドランさんは自分に出来ることをしているじゃないですか」


「……移動したのはホーシアンですし、様子見は交代制なので大丈夫です。うわあ、何で僕ってこんなにダメダメなんだろう。兄さんとはえらい違いだ。ははっ、笑えないですよね」


 自虐しているドランにエビルは苦笑いするしかない。

 しかし話の流れで気になる点が一つあった。それだけはどうしても確認しなければならないと思い、表情が悲し気なものへ変化するのが自分でも分かった。


「……あの、さっき手遅れって言いましたよね」


「は、はい。エビルさんは襲われた後で村も焼けてしまっていて」


「僕の他に……生きている人って……」


「…………生存者は……エビルさんだけです。他の人達は全員……」


 あのシャドウの強さを実感していたエビルはなんとなく予想していた。

 一度も勝ったことがないくらい強い師匠のソルでも敗北したのだ。他の村人が対抗出来るはずも、逃走出来るはずもない。エビルが生き残ったのはまさに奇跡としか言いようがないだろう。理解しているからこそこの問いかけは胸が締まるように痛くなる。


 結局、父代わりの村長には別れの挨拶すら出来なかったことで胸の痛みは増す。


「……シャドウはどうなったんですか? やっぱりドランさん達が倒したんでしょうか」


 もう一つ気になるのは今回の襲撃者シャドウの件。

 尋常ではない強さでエビルは勝てないと思い知らされたが、殺さずに去っていくわけもない。アランバートの兵士団が討伐してくれたと考えるのが自然である。


「シャドウ? えっと、それは誰ですか?」


 きょとんとしたドランが不思議そうに問い返してくる。

 名前を知らない場合を考えてなかった浅慮を恥じ、エビルは具体的な容姿を覚えている限り伝えていく。黒いローブを着ていて、自分と顔や声が同じだったこと全てを話し終え、ようやく結末が聞けると思ったがドランの表情は変わらない。


「おかしいですね、そんな人とは会わなかったんですけど」


「え……? そんなはずは、奴が僕を殺さずに去るなんて……」


 恐ろしい殺意を溢れさせていたことをエビルは覚えている。村長を捜しに行ったことも覚えているが、まさかそのままどこかへ行ってしまったのかと考えた――そんな時だった。


『クックッ、殺さずに去るなんて有りえるかよ』


 憎い相手の囁きが確かにエビルに聞こえてきた。


「シャドウ!? どこだ!?」


「エビルさん……?」


 敵を捜すためエビルは周囲を警戒して首を動かし、声が耳に届かないのかドランは困惑している。だがシャドウの囁くような声が確かにエビルに聞こえている。


『どうした、まだ見つからないのか? 俺は最初からお前の一番近くにいるじゃねえか。俺はここだぜエビル……ここにいるぜ……?』


「くそっ、姿を現せ! ドランさん警戒を……ドランさん……ドラン……一番近く」


 周囲を見渡すエビルはドランを再度見て動きを止める。


『お前に真の絶望を与えるまで俺は死なねえよ。ククッ、故郷の次はどこがいい? といってもお前の数少ない友好関係のほとんどは村の連中だったわけだが』


「エビルさん、いったいどうしたんですか!」


 シャドウは一番近くに最初からいると告げた。ここに来てから一番近くにいたのは誰でもないドラン一人だろう。

 一瞬ドランとシャドウの姿が重なり、点滅するように交互に二人の姿が入れ替わる。


『残っているのはヤコンとかいう兵士に……レミとかいう女かな?』


 ドランが何かを言っているがエビルにはもう聞こえない。代わりに耳に届くのはシャドウの囁くような言葉だけだ。

 もう姿が完全にシャドウと一致してしまい心から怒りが溢れ出す。


「お前がシャドウかああああああああ!」


 白い掛け布団を勢いよく捲ってベッドから飛び出し、エビルは素早くドランに接近して首を両手で絞めあげる。

 血走った目と凶行に驚いたドランは迅速な対応が出来なかった。


「お前が、お前が、お前が、お前さえいなければ!」


「エビルさんっ……落ち、着いて……」


「もう誰も殺させはしない! 僕がお前を倒して、悲劇を終わりにしてみせる!」


 なんとか首から手をどけようとドランは藻掻く。だがエビルの力は予想以上に強くてびくともしない。力のなさを悔やみながらドランの意識は遠のいていく。


「レミも、ヤコンさんも守ってみせる……!」


 怒りに呼応するように、エビルの右手の甲にある風紋が淡い緑光を纏い出す。

 竜巻のような紋章が緑光で輝き――エビルの視界が激しく揺れる。意識がドランよりも早く遠のいていき視界が朧気になっていく。


 力は緩み、エビルは崩れるように石床へと倒れる。

 解放されたドランは荒い呼吸を整えようとして、動揺ゆえかいつまでも整わないので部屋を出て行った。



 * * *



 真っ白な空間でエビルは目を覚ます。

 ゆっくりと上がる瞼によって視界が解放される。手を握ったり開いたりして力が入ることを確認してから上体を起こす。


「無様な勇者サマだな、搾りカス」


 上体を起こしたエビルが初めに見たものは、冷めた眼差しで見下ろすシャドウの姿だった。

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