第2話 初めての旅路


 おつかいを頼まれたエビルは、目的の焼き菓子があるというアランバート城下町を目指して歩いていた。

 アランバートまでは森を一直線に抜けるだけ。とはいえ単純に距離が遠く村長からも二日はかかると言われている。現在もう一日は歩いたので折り返し地点は通過しているだろう。


 初めて行く場所に緊張しているエビルの服装は、村の人間が好んで着用する平凡な布の服。幼少の頃から身につけている白いマフラー。ついでに護身用の木刀と、金や食糧が入った袋二個を、落ちないよう腰回りに巻いている布と紐で固定している。


 旅となんら変わらない道中。暗くなれば木に寄りかかって睡眠をとり、食事は村長に持たされた干し肉などで済ませた。一部の動物除けに火を起こすのは硬い枝同士を擦ってどうにかした。幸いなことにそれは村でもたまにやっていたので多少苦戦する程度で済んだ。


 ただ今までは温かいお湯で体を洗っていたが、当然森には風呂などないので近くにあった川で洗うしかない。冷水で洗うのは初めてだったので体が無意識に震えるほど寒く慣れない。


「あ、マイの実だ」


 マイの実。それは図鑑でしか見たことがなかったもので青と白の波のような模様を持つ。決して大きいとはいえないその身に蜂蜜のような甘さが染みている果実だ。動物に食べられているからか発見したのはこれで二個目である。


 木に生っている実を採ろうとエビルは五メートル程の高さまで軽く跳び、見事マイの実を掴んで着地する。


 適度に甘いマイの実は食後のデザートに丁度いい。

 腰に布と紐で固定していた袋の内、干し肉の入ったものを開けて中身を取り出しては食べ、硬めの肉をよく噛んで飲み込んだ後にマイの実を口に放り込む。口いっぱいに蜂蜜と似た甘さが広がりエビルは幸福感に包まれた。


(くぅ~甘い。たまに村長が採ってきてくれるけどやっぱりいいなあ)


 幸せそうな表情で歩き出すエビルだがその足はすぐに止まる。

 木の枝が折れたようなパキッという音がしたのだ。自然に鳴らないだろう音の発生理由として考えられるのは――近くに何者かがいる可能性。


 警戒して周囲を見渡しつつ、エビルは腰に布と紐で固定している木刀に手を添える。

 また音、というより地面が軽く揺れた。

 後方に気配を感じたエビルは勢いよく振り返って木刀を構える。


「ま、魔物……!」


 振り返った先には高さ三メートル以上ある筋肉質な猿がいた。口元には鋭い牙が見え、青い体毛を持つその生物は普通の動物ではない。

 この世界には魔物と呼ばれる存在がいる。その多くは人々に害を与えるだけの危険な存在。この世にいる理由はもう滅んだ魔王のせいだと人間達には伝えられている。


「確か、村にあった魔物図鑑で見たことがある。ブルコング、力の強い猿型の魔物だ。群れじゃなくて一匹なのは運が良かったのかな……てうわっ!?」


 ブルコングは勢いよく跳び上がり殴りかかろうとしてきた。それを察してエビルは前方に転がり込んで何とか回避する。

 つい先程までエビルのいた場所の地面に軽く亀裂が入った。直撃すれば相当なダメージを喰らうのは考えるまでもない。


(あ、危なかった……でも動きは見えるし戦えるはずだ)


 エビルは立ち上がりブルコングと正面で見つめ合う。

 じっと動かない時間が続いていく。動いた方が隙を晒し負けると両者は本能的に思っていた。


「グオオオオオオォ!」


 ブルコングが吼える。我慢できなくなったのか現状を打破するために自身から動き、ブルコング再び勢いよくエビルに飛び掛かる。

 エビルはそれを見て、ブルコングの体の下を素早く潜り抜けて近くの木へと駆けた。そして勢いそのままに木を駆け登る。


 殴打を躱されたブルコングは後ろを振り向くが、そのときには既にエビルが木から跳んで木刀を振りかぶっていた。


「うおおおおおおお!」


 エビルは叫びながら木刀を力強く振るう。

 木刀が折れかねない勢いで顔面に振り下ろされた一撃は、ブルコングを絶命させるのに十分な威力だった。頭の骨が砕けるような感覚をエビルが感じた後、白目を剥いたブルコングが前のめりに倒れる。


「ふぅ、やったぞ。一人で魔物を倒せた……!」


 初めての魔物討伐でエビルは一人喜びに打ち震える。しかしそんな喜びに浸る暇もなく前方から轟音が発生した。


 一本の樹木に亀裂が入って倒れていく。その原因は一体の魔物の裏拳。

 一瞬ブルコングかとエビルは思ったが違うと思い直す。体格が一回り大きく、体毛が青でなく紫のその魔物はブルコングよりも強個体の――キングコング。


 さらにキングコングだけでなく、その後ろに十を超えるブルコング達まで出没する。さっき一体倒したばかりのエビルにとっては絶望的な状況になってしまった。


(き、キングコング……。何か怒ってる……? 仲間をやられたから?)


 鼻息が荒く興奮している様子の集団を見てエビルは思考する。

 キングコングは何かを訴えるように、先程マイの実があった若木を指して唸った。


(……まさか、マイの実か! そうだ、さっき僕が採ったのはこいつらの好物だったんだ。そうとは知らず迂闊にも食べてしまったのがいけなかったのか)


 怒りの表情を浮かべているキングコングが接近してきて殴りかかる。

 咄嗟に木刀で防御したものの吹き飛ばされたエビルは後方の樹木に叩きつけられた。ブルコングとは威力も速度も段違いの殴打は体の芯に痛みを与える。


(速い……! 強い……! 技術なしの力押しで勝てる相手じゃない!)


 キングコングは軽く吹き飛んだエビルを嘲笑し、休む暇を与えることなく追撃しようと素早く駆けて来る。

 細かく考えている暇などないエビルが取った行動はソルの教えに則ったもの。


 相手の斜め上からの殴打に合わせ、流水のような滑らかな動きで木刀を相手の腕へと振り下ろして軌道を逸らす。そして雄叫びを上げながら木刀を振り上げてキングコングの顎を打ち上げた。


 顎を攻撃したことでキングコングはふらつき、その隙を逃さずエビルは腰を深く落として突きの構えをとる。


「喰らえ、師匠直伝――〈疾風迅雷しっぷうじんらい〉!」


 足腰の柔らかさ。力強い踏み込みと突き。

 それらが重要となるソルが以前一度見せてくれた必殺の突き技。

 雷のように素早く、吹き抜く風のように鋭いソルの技と比べると数段劣るが、未完成とはいえ全身の力が一点に集中した突きを繰り出せた。


 キングコングの胸の中心に木刀が突き刺さり筋肉を破壊する。悲鳴を上げたキングコングから力が抜けて両膝を地面に付き、背中から地面へと倒れた。

 群れのリーダーが倒されたことでブルコング達が怯えだす。


「ふううぅ……。マイの実を食べてしまったことは悪いけど、襲ってきたのはそっちだ。僕は自分から君達を殺さない。命が惜しいなら君達は今すぐ住処に帰るといい」


 十体以上いるブルコング達はジッとエビルを見つめ、数秒してからリーダーを置き去りにして各自逃走した。


 エビルは全員いなくなったのを確認してから、キングコングに刺さった木刀を引き抜きつつ横を通って先に進む。予想外の戦いがあったとはいえ受けたダメージは少ない。アランバートまで進むのに障害とはならず、エビルは目的地目指して歩き続ける。


 しばらくして道の先の光が強くなる。先に木々が見当たらないので森を抜けるのはもうすぐだ。つまりそれはアランバートは目と鼻の先ということで――。


「あれは!」


 なんだか嬉しい気持ちになりエビルは駆け出して森を抜けた。

 そこで見た光景に目を見開く。

 森から出て見えたのは立派な城と、城下町へ入るための大きな門。

 そして――城の頂点から勢いよく出ている赤い炎だった。


 やっとの思いで森を抜け、疲労を顔に出したエビルが目にしたのは燃えている城だった。頂点だけが燃えているとはいえすぐに燃え移りそうなほど勢いが強い。

 声も出ない程動揺したエビルはこのままではいけないと思い、とにかくこの事実をアランバート城下町入口にいる兵士に知らせようと全速力で駆ける。


「うわっ! な、何だお前!?」


「た、大変だ! 城で火事が! もしかしたら誰かに襲われているのかも!」


 エビルは慌ただしく兵士に火事が起きていることを伝える。そしてとにかく早く現場に行かなければと思い再度走り出す直前、伝えた兵士に肩を掴まれて足を止める。

 焦燥に駆られたエビルは荒々しく「なんだ!?」と振り返ると、呆れた様子の兵士がため息を吐いているところだった。


「いるんだよなあ……。聖火を火事と見間違える奴」


「せい、か……?」


 兵士は自分の頭を掻きながら面倒そうに喋り出す。


「――聖火。このアランバート王国のシンボルともなっている聖なる炎さ。あれがある限り、眉唾もんだがこの国は平和が約束されてるとも言われてる。あれは火事じゃなくて勝手に燃えてるんだよ。あの火の下にを発生させる道具があるらしい……分かったか?」


 兵士の男の説明でエビルの顔からは焦りの色が消えてようやく冷静になる。

 まだ故郷以外を見たことがないので知識不足。そう痛感したエビルは苦笑して「すみません」と一度頭を下げ、すぐ上げる。


「……僕も冷静じゃなかったみたいです。今見れば燃え広がってないことは分かりますし」


「いや、さっきも言ったけどよくあることだからな。誰にでもある間違いだよ。建物燃えてるのを見たら冷静じゃいられなくなるもんさ」


 エビルの言う通り、聖火は城の頂点から空に立ち昇っているが一向に広がらない。ずっと同じ範囲で燃え続け、その勢いが弱まることも強まることもない。


 エビルは「ありがとうございます」と教えてくれたことに感謝し、今度は軽く頭を下げてから門を通る。

 今、ようやく村以外に初めての人が住む場所へと足を踏み入れたのだ。

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