新・風の勇者伝説
彼方
第一部 序章 目覚めの風
第1話 勇者に憧れし少年
――風の勇者伝説より一部抜粋。
昔、この地は魔王と呼ばれる邪悪な存在に支配されていた。
あらゆる生命は苦しみに満ちて絶望し、闇に飲まれた空を見上げては心を閉ざしていた。
そんな時代に突如立ち上がった少年。その少年は魔王によって活性化した魔物達を薙ぎ倒して様々な町や村を救い、果てには神や仲間の力を借りて魔王にも勝利しこの地を救った。
人々は彼を勇者と称え、困った者の元へまるで疾風のように駆けつけることから風の勇者と呼ぶ。
そんな風の勇者である少年も自分の寿命には勝てずに死んでしまう。
人々は立派だった勇者のことを忘れないでほしい。そのためこの本に私の知る限りの活躍を記す。
風の勇者の英雄譚は永遠に語り継がれていくだろう。そう、永遠に……。
* * *
アランバート王国領。周囲を木々に囲まれている小さな村。
白いマフラーをした優しそうな雰囲気の少年が木造の剣術道場で本を読んでいる。つい先程まで稽古をしていた現在休憩中の少年――エビルは静かに持っていた本を閉じた。
「本を貸してくれてありがとうございます。師匠」
師匠と呼ばれた着物姿の中年男――ソルは笑って言葉を返す。
「いいっていいって気にするな。それにしてもエビル、お前その本が好きだよなあ。確か【風の勇者伝説】だったか?」
「はい。なんていうかこう、この本に出てくる風の勇者みたいに人助けの旅をしてみたいんです」
「なるほどなあそれなら村長に相談してみろよ。まああの保護者様は許さないだろうけどな。よし! じゃあ休憩はそろそろ終わりにして稽古の続きをやるぞ」
エビルは「はい」と大きな声で返事して、素早く読んでいた本を壁際にある本棚に戻す。そして道場中心に立つソルの元へと小走りで向かう。
「ほれっ、お前の木刀」
ソルが二本持っていた木刀のうち一本を投げ渡してきたのでエビルは受け取る。
木刀を体の中心で構え、ソルの「打ち込んでこい」という言葉を皮切りに駆けて振り上げる。そのまま渾身の一撃を振り下ろすもあっさりと防御され、続けて打ち込むも全て防御された。
「おお、いい感じの攻め具合だな。でも今度はこっちからいくぞ」
余裕な態度のソルが軽く木刀を振ってくるのをエビルも木刀で防ぐ。
一見互角かもしれないが、まだまだ余裕そうなソルと必死な様子のエビルを比べると実力差は明らかだ。
まるで流れる水のように華麗な動き。吹き抜く風のように鋭い突き。大胆に力強い攻撃。途端に発揮される雷のように素早い移動速度。いつものこととはいえ、ソルの戦闘技術の高さにエビルは翻弄されっぱなしになってしまう。
木刀で何度か打ち合いをしていると、エビルは手を叩かれたことで痛みから木刀を離してしまった。これにより稽古は一時中断となる。
「うんうん、結構いい感じに強くなってきたな」
「は、はい……師匠のおかげです」
少し赤くなっている手の甲にエビルは息を吹きかけた。軽い怪我をしたときに村の人間がよく行うので癖が染みついてしまったのだ。息を吹きかけたところでヒリヒリする痛みは消えないのでエビルは我慢する。
「俺が教えた四つのこと言ってみろ」
「えっと、確か……流れる水のように滑らかな剣で受け流せ。吹きぬく風のように鋭い突きを放て。燃え上がる炎のように大胆に渾身の一撃を入れろ。落雷のように素早く動け。の四つでしたよね」
「なんだ覚えてやがったか。それじゃあそれを実践してみろよ」
静かに頷いたエビルは木刀を拾い、再び稽古へと戻る。
エビルの攻撃は全て受け流されるか回避され、逆にソルから攻撃は先程より鋭く速いので回避しきれない。そこでエビルは振り下ろされた木刀を受けた後、斜め下に振り払って相手の体勢を崩した。
驚きで目を丸くするソルに向かってエビルは振り払った勢いで回転斬りを繰り出す。今度こそ当たると思い気が緩んだ瞬間、視界からソルが消えて背後から首元に木刀を添えられる。
「勝負ありだな」
初めて一撃入れられると思い込んでいたエビルは「ぷはあっ」と息を吐いてから木刀を落とす。およそ十五分は集中して戦っていたので一気に呼吸が乱れた。
「はあっ、はあっ、まだやれますよ?」
「息上がってるじゃねえか。やめとけやめとけ、もう頃合いだよ」
「え、でもっ、まだ日はっ、暮れてませんよっ?」
いつもなら完全に日が暮れて暗くなるまで稽古を続けている。今はまだ道場の窓から見える空は茜色であり、時間に余裕があるのに終了することにエビルは納得出来ないでいた。
「お前な、今日はお前の誕生日だろ? 村長が家でご馳走作って待ってるぞ」
「そうかっ……今日だっけっ、僕の誕生日」
エビルは誕生日のことを言われて思い出す。
どうでもいいわけではないがそれほど稽古に対して夢中になっていたのだ。
「十七歳の誕生日おめでとさん。十七歳といえば俺はそのときもう外へ出ていたっけな。ダメだろうけどよ、帰ったら村長に旅がしたいって言ってみろよ」
「あはは、許可してくれたら嬉しいなあ。それじゃあ僕はここで失礼します」
エビルは道場を出ていくと自宅である村長の家に向かう。
村は人が滅多に来ない辺鄙な場所にあるからか、店と呼べるものは少ない。一通り自分達で生活に必要なものを揃えている。特別な場所も人間もいないが全員が笑って日々を過ごしている穏やかな村だ。エビルも村のことは気に入っているが旅というのは魅力的であった。
一度も村周辺から出たことのないエビルは知らない土地に行ってみたいといつも思う。薪集めなどで森の中に少し入りはしても他の村や町に行ったことなどないのだ。一番近いのはアランバート王国だろうが見たことすらない。
密かに旅の許可が下りることを期待しながら歩いて帰る途中。
道中で色々な道具を売っている店を営んでいる男がエビルに声を掛けてくる。
「よおエビル! 今日お前の誕生日だしこれ持ってけ!」
道具屋の男は緑色の葉を五枚投げて渡そうとするが、距離が開いていたし、所詮葉っぱなので真っすぐ飛ばずに店の前に落下する。
エビルは苦笑いしながら店の前に歩いて行き、落ちた葉っぱを拾うと土を払って見つめる。
「薬草ですか」
「おお、その通り! 少しの傷なら治るから大事に使えよ!」
「あはは、ありがとうございます。でもいいんですか? 売り物でしょこれ」
「大丈夫だ! 全く売れないから!」
それは大丈夫じゃないんじゃと思うエビルだが、親切でくれた物なので素直に受け取っておく。
店を離れた後も通りすがる村人から誕生日を祝われた。なんだか嬉しい気持ちになりながら気分よく家に向かった。
* * *
家の前まで歩いてくれば、エビルは料理の良い匂いが漂ってくるのに気付く。
軽く笑みを浮かべながらエビルは勢いよく扉を開けた。
「ただいま村長!」
「ああ、何だ早いな。いつもより三十分は早いぞ?」
帰って来たエビルに声を掛けたのは椅子に座る二十代近い外見の若い男だった。この男は村長と呼ばれるこの村のリーダー的存在であり、エビルの育ての親の大恩人だ。
村長宅には壁に四つほど松明が取り付けられており夜でも明るく照らされている。机には落ちそうなほどに料理が並んでいた。白く丸みのあるパン、芋と野菜のスープ、鳥の唐揚げ、芋のコロッケなど、どれもエビルが幼い頃からの大好物ばかりだ。
「村長、そのわりには料理は出来てるみたいだけど……もしかして分かってた?」
「まああの妙に気を遣う剣術馬鹿ならば早く帰らせると思っていた。まあ座って食べようじゃないか」
エビルは座って料理を食べ始める。
もちもちとした柔らかいコロッケは舌触りがよく、芋の香りが十分に鼻を通過してくる。白く丸みのあるパンはそのまま食べても美味しいが、野菜スープに浸して食べると野菜の味が染みこんでさらに美味しく感じた。
それからも二人は美味しい料理を食べ続けた。空腹から満腹になるまで食べて満足した二人は口を開く。
「今日で十七歳、お前がこの村に来てもう十六年か」
「……そうだね。もう村の人たちとは仲良しだよ、毎日挨拶だってするし。今日なんて誕生日プレゼントを道具屋の店主から貰ったし、通りすがった人からはお祝いされちゃったよ」
「そうだな、それはお前が良い奴だからだろうな。素直だから皆と早く打ち解けられたのだろう。剣術バカも褒めてたぞ、嫌な顔もしないで毎日稽古しているうえ上達していることをな」
「師匠が!? それは嬉しいなあ……!」
喜びに頬をほころばせるエビルは少ししてハッと思い出す。
師匠のソルから旅の許可を求めてみろと言われていたのだ。村長は十分すぎるほどの愛を持って接してくれているし、エビルが旅に出たら悲しむだろう。しかし世界中を旅するという夢も捨て難い。心の中で葛藤していると浮かない表情であったのか、村長から「何かあったのか」と問いかけられる。
「……僕、旅に出たいんだ。風の勇者みたいに世界中を」
「風の勇者みたいにだと?」
ソルの言う通り反対なのか村長が険しい表情になる。
「絵本を見て憧れたんだよ。困っている人を助けながら世界中を旅するなんて凄いじゃないか。僕もあんな風に世界を見て回りたいんだ」
「――ダメだ! 旅なんか出るな!」
滅多に怒らない村長が俯いて叫び、テーブルを強く拳で叩く。拳に当たったせいで皿がテーブルから数枚落ちて音を立てて割れた。
ここまで強い怒りを見せたのは今までなかったのでエビルは怯む。
「村長……どう、したの」
「……すまないな、つい叫んでしまった。……とにかく旅に出ることは許さん」
村長は自分で落として割ってしまった皿の破片を集め出す。
割れてない皿もあったので破片の数は少ない。手伝いは不要と判断したエビルは口だけを動かす。
「あの、どうしてダメなのさ。師匠は十七のとき村の外には出たって」
「エビル、お前は旅の過酷さを知らないんだ。強い魔物や賊に会ったら死ぬかもしれないんだぞ。ましてや人助けの旅なんて、そういった強い奴らを相手にすることが必然的に多くなる。あまりにも危険だ」
「で、でもこの村の外を僕だって見てみたいんだ。この村に不満があるわけじゃなくて、純粋に世界を見たいと思って」
エビルだってこの村で暮らし続けろと言われても不満はない。全員良い人間ばかりだし、十六年も暮らしてきた故郷には愛着がある。どうしても旅に出るなというなら夢を捨てるつもりだ。
しかし世界はこの村の中よりも遥かに広い。文明など様々なものが違う場所を見てみたいという気持ちは、幼い頃に絵本で知ってから憧憬が年々強くなる一方であった。
「ならん、この村にいろ」
「…………うん。……分かった」
本当は納得したくないが大恩人である村長が言うのなら仕方ない。夢は所詮泡沫だったのだと思い諦めるしかない。
「だがそうだな。旅は許可しないがちょっとしたおつかいを頼もうか」
エビルは「おつかい?」と不思議そうに呟く。
「七日後、俺の知り合いが村にやって来る。奴はアランバート城下町の焼き菓子が好物でな。俺が買いに行こうと思っていたんだがお前が行ってみろ」
「いいの!?」
アランバート城下町までの短い道のりとはいえ旅といっても過言ではない。今まで森の中ですら村から近い部分までにしか行かなかったのだから、エビルからすれば自然と笑みが浮かぶくらいには嬉しかった。
「ああ、あそこなら二日あれば行けるだろうし、魔物も強いやつはいない。今のお前にはピッタリだろう」
「ありがとう村長! 必ずその焼き菓子を買ってくるよ!」
明日から楽しい旅が始まるぞとエビルは今から興奮している。
その日、エビルは早くに布団に入り就寝しようとするも、アランバート城下町への道のりが楽しみすぎて眠るのに一時間を要した。
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