第5話 親と子、そして第三者
神奈と笑里が出会ってから三日。
宝生小学校三年一組教室。時刻は十五時三十分。
「みんな聞いてね、来週にある授業参観は道徳です」
小学校ならではの道徳の授業の時間であり、大抵の生徒は興味なさげにしている。耳を傾けている生徒は教室にいる三分の一くらいなものだ。因みに神奈はあまり授業を聞かない不真面目な方に入る。
「ということだしせっかくなので、授業の内容は作文の発表にしまーす」
教室にいる生徒ほとんどが「ええぇ……」という嫌そうな声を漏らす。
授業参観だからと特別なものをやるなど求めておらず、生徒達は普段のように退屈な授業を受けているだけでいいと考えている。作文という無駄に面倒なことをするよりも、少し眠くなる授業の方がマシなのだ。なにせ作文は考えることが面倒というだけでなく、発表するという人によっては恥ずかしい試練もセットなのだから。
「はいはい、えーとか言わないの。日頃のお父さんへの感謝とか、お父さんはこんな人ですっていうのを書いてきてください。これはすごくいいことなんだからね? お父さんお母さんも喜ぶこと間違いなしだよ!」
作文の内容を聞き笑里の表情は一層暗くなる。
父親が既に死んでいることについて、以前ホームルームで聞かされた生徒達の大半は気にしていない。自分のことではないし、気にしたとしても笑里に気を遣うのは数日程度だ。それ以外のまだ気を遣い続けている生徒も、教師の言うことなので異議を唱えることはしない。
「先生、とてもいいことだと思います! 僕は感動しました。血と涙、そして努力を重ねて、誰もが感動する最高の作文を仕上げると約束します! 全人類を感動の渦に巻き込むぞおおおお!」
「心悟君、そこまでは求めてないですけど、言ってくれると嬉しいですよお。作文用紙は後で配ってもらいますので、来週の水曜日までに書いてきてください。これで授業は終わります。号令お願いしますね」
日直当番の生徒が「起立、礼」と口を開き、授業終了を告げるチャイムも丁度よく鳴る。
担任教師は日直当番の生徒に作文用紙を渡して教室を出ていく。神奈は急いで追いかけて、教師を引き留める。
「あの、先生! ちょっと待ってください!」
「はい? おや珍しいですねえ、なんですかあ神奈ちゃん」
「……笑里の、秋野さんの家庭事情は先生も知っていますよね。父親への作文なんて、父親を亡くした秋野さんには酷な内容じゃないですか?」
社交的とは言えない神奈がこうして教師に質問するのは珍しい。
女性教師は表情をパアッと明るくさせ、質問の内容を聞いて暗くなる。
「確かに私も酷い時期になっちゃったなって思ってるの。私だって校長先生に授業参観の日にやる授業内容を変更してもいいですかって、許可を取ろうとしたわ。……でも申し訳ないんだけど、校長先生は何がなんでも変えないつもりみたいで。私なんかじゃ無理だったのよ……」
交通事故で風助が死亡したのは三週間ほど前。授業参観の内容を変えることは可能な日にちであり、彼女も内容を変えようとした一人だったらしい。それはありがたいが結果が出ないなら意味がない。
「だったら、だったら私が直訴します! 偶然とはいえ時期が悪すぎるんですよ。校長だって笑里の事情を知れば……いや、知っているのか? 知っていて、その上で……?」
「校長先生は頑固だから。お父さんとの思い出を振り返ることで、心に変化が起きるんじゃないかって言っててね。私もどうしようもなかったから、そうですねって受け入れちゃって……。それと神奈ちゃん、先生の私でもダメだったから、生徒のあなたじゃ無駄だと思うの。ごめんなさい」
申し訳なさそうな表情で謝罪する教師に、神奈は何も言えなかった。
出来る限りのことはやってくれたのだ。笑里のことを無視していたわけではないことにホッとしている。問題は校長先生だ。明らかに考えが浅い。頑固なのはいいが、もっと良案を出してくれなければ好感度爆下がりである。
父親との思い出を振り返る程度で元に戻るなら、もうとっくに元気を出している。作文の話を聞いていた時、笑里の顔は見ていられないくらい悲しそうだった。せっかく神奈と居る時は元気出てきたのに、下手すればここ最近の努力が水の泡と化す。
教師が立ち去って行くのを見送った神奈は教室に戻る。
目的としては笑里の様子を見つつ、接触することだ。
どういう状態なのか、心情はどうなのか、全て本人にしか分からない。実際に接して分かることは微量だが、接しないよりは遥かに感じ取ることができる。
「じゃあこれが作文用紙だから。……ねえ、秋野さん……元気を……」
教室に戻った神奈の視界に、席に座っている笑里に話しかける少女が入る。
黄色い髪でゆるふわパーマの少女は、教室で笑里に気を遣い続けている生徒の一人だ。先程の作文の話を聞き、作文用紙を渡すついでに様子を確かめようとしていた。しかしどうすればいいのか分からないようで言葉に詰まっている。
「……いえ、なんでもないわ」
少女は俯き、ゆっくり自分の席へと戻っていく。
(あれって確か、藤原さん? やっぱ気にかけてくれる人はいるんだな)
意外にも気にかけてくれる人間が多いことに、神奈は温かい気持ちになる。
そして自分も話しかけようとし、ふと考える。思えば神奈自身も人生経験が少ない。精神年齢は同じ教室の生徒の誰よりも高いが、修行のために人間関係をほぼ絶っていたため会話能力は相当低い。今すぐうまく話しかけられる自信はなく、話をするのは放課後の公園でと決めた。
少しして帰りのホームルームも終わり、生徒達はそれぞれ帰っていく。
笑里は落ち込みながらも一足先に夜見野公園に向かい、神奈は荷物を家に置いてから公園に向かった。
まだ空が明るい時間。砂場で一人遊んでいる笑里に神奈は話しかける。
「笑里、待ったか?」
「ううん、全然待ってないよ」
振り返りすらせずに笑里は告げる。その態度に多少の苛つきを覚えるが、神奈は気にしないように心がける。
合流したはいいものの沈黙だけが続く。
しばらく二人共話さないでいると、神奈は笑里がしていることに疑問を持つ。
「なあ、どうして笑里は毎日砂場で遊んでるんだ?」
「……これだよ」
覇気のない声を出すと笑里は手を止める。
何かがあると思い神奈はさらに近付き砂場を見る。
砂場で笑里の手元にあったのはサンドアートだ。
作られているのは歪な形の人間。
風助と、神奈が見知らぬ女性、そして笑里本人が仲良く手を繋いでいるものだった。芸術の天才でもない子供が作ったものなのでサンドアートとは呼べない代物だが、込められた想いだけは強く感じられる。
ふと、それに水滴が落ちる。
一つ、二つと落ちていくのは笑里の涙だ。
「ここに来る理由……私のお父さんさ、少し前に交通事故で死んじゃったんだよね。ここに幽霊が出るって聞いて期待したの。私は……お父さんと話したいからここに来るの。幽霊なんて全くいないけど、ここならいつか会えるかもって思っちゃうんだ」
ゆっくりと笑里が立ち上がり、空に右手を伸ばして空気を掴む。
(そうだね、なんせ笑里の父親は目の前にずっといるからね。でもそうやって手を伸ばしてると秋野さんの腹を手が貫いてるから。そして幽霊なら秋野さんの他に三十人くらい居るし……もはやパーティーでもやるのかってくらいだから)
悲しい顔をしながら涙を流す笑里。
娘の手が貫通していることに落ち込む風助。
二人の状況を見て困惑する神奈。
三者三様という言葉がぴったりと当て嵌まる。
三人の考えは清々しいほどにすれ違っていた。
神奈は数秒目を瞑ると、オレンジに染まりかけの空を見上げる。
「……きっと会えるよ、いつかな」
「うん、そうだよね……! お父さんに会えたら言いたいことが山ほどあるもん……!」
実際のところ会いたがっている父親はもう傍にいる。それなのに霊力も魔力もないせいで、見ることも感じることもできない。見えている神奈にとっては傍にいることが分かっていて、その父親と会話すらしている。笑里が生まれつき幽霊が見えたなら、父親と別れる悲しい想いは軽減されていたはずだった。
最初は他人事だった神奈だが、今は風助に会いたいと言う笑里を見て、刃物で刺されているように酷く心が痛む。
この世界は残酷だ。求めている人には求めているものが手に入らない。
笑里の手は空を切ってばかりで、風助に触れることすら出来ないのだ。
それからも話をしていると遅い時間になったので、笑里は挨拶をして家に帰っていった。
残った神奈達は今後の方針について話し合う。
「笑里の精神は回復傾向にあるみたいだな」
「確かにね、そこは感謝しているよ。神奈ちゃんと会っている間だけとはいえ、多少元気は出てきているからね。でもこの公園が危険なのは変わらない。なんとかして、ここにはもう来ないようにできないものか……」
「笑里がここに来てる理由って秋野さんだろ? どうにか姿見せられないのか?」
「神奈さん。笑里さんは特別な力がありません。幽霊は霊力か、一定以上の魔力がないと見えませんよ」
学校にいる間は元気を取り戻せていない。神奈といる場合でも、多少元気になる程度だ。根本的な解決には笑里が寂しさを克服するか、風助が姿を見せて再会するかのどちらかしかない。しかしそのどちらもが実現不可能という事態に陥っている。
「とりあえず、また明日もここに来るから」
「うん、まだ笑里は公園に来るだろうからね」
「それではまた明日、笑里さんを公園に近寄らせない作戦を考えましょう」
腕輪の言葉を最後に解散し、神奈は帰路を進む。
暗くなってきた道路を電灯が照らし始めた頃、腕輪が質問をぶつける。
「そういえば神奈さん。どうしてほぼ初対面だった笑里さんに、あそこまで関わろうとするんですか? 最初はそこまで乗り気じゃなかったですよね? まさか百合展開に持ち込もうと」
「してない」
電灯が照らす場所を抜け、暗い場所に入ると神奈は立ち止まる。
「……私は前も今も両親がいないから。寂しい気持ちって少し分かるんだよ」
前世では両親二人共が、今世では父親が交通事故で死亡している。母親については顔すら知らないので、記憶を取り戻す前に死んだのだと神奈は推測していた。
魔法への執着理由が両親の死であったことは強く胸に刻み込まれている。
「なあ腕輪、死んだ人間を生き返らせる魔法ってあるのかな……」
「ありえませんね。神奈さんのためにも言いますが、死者が蘇るような力は禁忌です。神の定めたシステムを揺らがせる愚行です。くれぐれも、くれぐれもそんなことを実行しないでくださいね。フリじゃないですよ」
「……分かってるよ。この世界での両親に未練はないし、前世での両親は異世界じゃ生き返ることなんてできない。私はもうとっくに割り切ってる。……そうじゃなきゃいけない」
暗い道を抜けて神奈は自宅へと足を進める。
翌日も、その翌日も、笑里を公園から遠ざけることはできなかった。
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