第4話 手を洗うのにも一苦労
夜見野公園に毎日向かっている同級生、笑里と話すために神奈は昨日と同じように公園へ向かう。
重要なことを聞き出せないで昨日は帰ってしまった。
今日こそはそんな失敗をしないよう笑里の心内を探っていきたい。
学校での様子からもヒントが得られるかと思い、神奈は一日中笑里を気にしていた。
暗い表情で辛気臭い雰囲気の少女には誰も近寄らず、神奈と同じように一人で過ごしていた。以前は明るい性格だったと学校で風助に聞き、できればその明るさを取り戻してほしいと神奈は思う。
(秋野さん、そう呼ぶとややこしいし私は笑里と呼ぶことにしよう。笑里は私を呼ぶとき神谷さんだけど……こういうのは自分から呼んでいかないと)
黄色い紙袋を手に持ちつつ神奈は、公園の砂場で昨日と同様に遊んでいる笑里へと声を掛ける。
「今日もいたんだな」
「……うん」
夕方、夜見野公園の砂場に笑里はいた。
神奈が声を掛けたのに一瞥もせず砂を固めている。
砂場で何を作っているのかまだ分からない。訊こうにも友情レベルが足りていない。
「砂で遊ぶのもいいけど、これ買ってきたから食べようよ」
神奈は手に持っていた黄色い紙袋を開いて、中から白い包装紙に包まれたどら焼きをとる。
もっと何か仲良くなれる方法はないかと模索した結果、辿り着いたのは一緒に何かを食べることだった。食事はみんなで食べると美味しくなるとよく言われ、神奈も少し期待して買ってきたのだ。
なぜどら焼きだったかといえば、普通に神奈自身が食べたかったからである。
どら焼き店〈りんごの皮〉という場所。粒あんの餡子が甘くて美味しいどら焼きが主だが、その他にもりんごクリームなんて変わり種もある人気店だ。売り切れになる前に神奈はカスタードなどを五種類ほど、好みも考えて選んできた。
「……どら焼き? ありがとう」
「どういたしましてってえええええええ!」
「え?」
笑里は差し出されたどら焼きの包装紙を砂まみれの汚い手で開けようとした。さすがにそれはダメだと神奈は思い、風を切る音が大きく鳴るほど速く奪い取る。
持っていたどら焼きが忽然と消えたため、笑里は目を丸くして驚く。
「ダメだろ手を洗わなきゃ! 砂が付くだろ!?」
「あ、そうだったね……そういえば、そんなことをよくお母さんからも言われてたなあ」
笑里は青い空を見上げそんなことを呟く。
(え? まさか……お父さんだけじゃなくてお母さんも? おいおい聞いてないぞ。つまり笑里は今一人で暮らしてるのか?)
普段の笑里の顔に既視感があると密かに思っていたのだが、今理解する。
少し前まで鏡で何度も見た顔。
自分と同じ、寂しそうな顔。
腕輪と出会って寂しさは紛れた自分は今の笑里と表情が違う。
それを考えるとやはり、笑里に必要なのはいつも傍にいてくれる誰かだろう。
母親不在を黙っていた父親へと睨むような目を神奈が向ける。
睨まれた当人は慌てて首を横に振るだけだ。
「そうだったのか、大変だな……」
「うん、帰ったらお母さんにもどら焼き分けてあげないとね」
「生きてるんだね! それは良かったよ紛らわしいな!」
汚い手を洗うため、笑里は公園にある水飲み場に向かう。
緑色のコケがあちこちに生えており、スイッチを押して噴出する水は濁っていて汚い。そんなことを笑里は気にせず、出てきた泥水のような水で手をよく洗う。
「お待たせえ」
「ううん待ってないいいいい!? お前手に虫付いてるじゃん!?」
今度こそどら焼きの袋を渡そうとし、神奈はすぐに手を引っ込める。
「あっれえ? おかしいなあ」
不思議そうに首を傾げて笑里は自分の両手を見る。
その手にはムカデや芋虫などがうねうねと動き回っていた。
虫が手についてしまった原因は間違いなく水飲み場。神奈が目を向ければ大量の虫が水飲み場に集まって、何か大好物でもあるのかと思わせるくらいに下の方にも大群が這っていた。
「どうしよう……そうだ、砂場の砂で洗えば」
「それただ砂で汚してるだけだからな! ああもうどうすればいいんだよ!」
「そんな時こそこの魔法の出番です! 〈
神奈達は突然聞こえた第三者の声に目をパチパチとさせて周囲を見渡す。
謎の声だ。幽霊の声は笑里に届かないので自動的に排除されるし、生者の声なのは間違いない。しかし公園には神奈達以外生きている人間はいない。世にも不思議な事象を神奈達は今体験している。
「いやここですよ! そもそも神奈さんは知ってるでしょ!?」
「……あ、忘れてた」
「忘れます!? 腕に付けてるのに!?」
「悪い悪い、存在を抹消させたくてついな」
「……え? 神谷さん、誰とお話してるの?」
平然と神奈が腕輪と話していると、笑里が不思議そうに問いかける。
傍から見れば誰もいないのに話をしているのだから当前である。人によっては可哀想なものを見る目を向けられる。
「私は万能腕輪と申します、挨拶をするのは初めてですね秋野笑里さん」
「……え? 腹話術?」
「そう考えるのが普通だよね! 普通腕輪が喋るとか思わないもんね! ……でも言っとくけど私は腹話術出来ないからな。事実腕輪が喋っているんだよ。私の声とは違うだろ?」
目を丸くした笑里は頷く。
仮に腹話術だとしても、腕輪が本当に喋っていても、どちらでも笑里からすればすごいことである。
「どら焼きが食べられなくて残念がっている笑里さんにいこの魔法うぅ! 〈
「さっきから言ってるけどそれどんな魔法なんだ? なんか服の汚れ落としてくれる店みたいな名前なんだけど。何、人体の汚れも落としてくれんの?」
「そう、まさにその通りなのです! 〈
意気揚々と魔法の効果を言い放つ腕輪に、神奈はまたろくでもない魔法なんだろうなと考える。そもそも効果が本当だとしたら石鹸を使うようなもの。あの〈デッパー〉同様くだらない効果である。
腕輪の言うことを笑里は疑っているが当然の反応だ。この腕輪を信じるということは魔法を信じるということ。一般人からすれば非常にバカバカしい話である。
「さあ神奈さん、どら焼きを食べるには使うしかありません! まずふわふわな泡をイメージして、それを増やしていってください!」
「そういうイメージね。〈
どら焼きを入れた黄色い紙袋を、泡で汚れないように神奈は地面に置く。
言われた通りに想像を膨らませ、頭の中が泡だらけになってから魔法名を呟いた。
神奈の手のひらからは真っ白な泡がコップから溢れるように出てきている。それを見て笑里が目を輝かせながら、口を半開きにして驚きの声を漏らす。
「わあぁ……!」
「ん? あれ?」
頓狂な声を神奈は上げる。
両手からは絶え間なく泡が溢れ続け、地面に零れて泡風呂のようになっていた。
「神奈さん、ちなみにこの魔法には欠点がありまして」
「へぇ……ど、どんな?」
「泡の出る量がランダムなんです。その泡は自分の意思で止めることが出来ません。最悪の場合、この星が泡で埋まります。あ、でも人体には無害の泡なので大丈夫ですよ。世界中が綺麗になって寧ろハッピーかも」
「この腕輪〈デッパー〉に続いて悪質な魔法を教えやがって! ランダムじゃなくて適量にしろよ! もう泡風呂作れるっていうか、これ本当に惑星が泡の塊にならないだろうな!?」
どら焼きの入った紙袋にはすでに泡に埋もれようとしていた。急いで神奈が避難させようとするが、手からは泡が出ているために掴めない。仕方なく足で蹴飛ばして、黄色い紙袋を公園の端の方にある大木の影にまで移動させる。
「え、笑里! 今のうちに手を洗うんだ!」
「う、うんっ……!」
笑里は困ったように返事しつつ、神奈の手を掴んで擦って洗っていく。
(これ私の手に汚れ擦りつけてない? 泡がそこから出てるからって私の手で洗わなくてもよくない? 虫が潰れてるような感覚あるんだけど気のせいだよな? ねえ気のせいだよね?)
気のせいだと思わなければいけない。だが実際のところ笑里の手を這っていた虫達は、二人の手に挟まれて潰れ、泡によって汚れが落とされている。密着している状態だから見なくて済むこともあるのだ。
「きれいになったよ!」
「あ、止まった」
手を洗い終わった笑里は光沢の帯びる手を見て喜ぶ。
それを神奈が確認していると、出続けていた真っ白な泡も止まった。
「笑里さん、手を洗えて良かったですね」
「お前のせいでどら焼きが泡だらけになるところだったけどな!」
「いやですねえ、泡の量はランダムなんですから私のせいじゃないでしょう?」
「ほんっとうに質が悪いよ! こんなの使用済みティッシュと同価値だろ!」
公園の地面は泡だらけ、幽霊にも迷惑そうな視線を向けられていた。
全ての泡は時間が経てば消えていき、神奈達はどら焼きの入っている包装紙を改めて手に取り開けていく。包装紙を取るまでにここまでの苦労をする人間など、神奈達以外にいないだろう。
神奈が手に取ったのは買った商品の中で一つしかないどら焼き。餡子の代わりにりんごクリームが入っている、他の店では売っていない限定どら焼きだ。笑里が手に取ったのも一つしかないカスタードだった。
「……なあ笑里。これ、あげるよ」
じっくりとどら焼きを見てから神奈は半分に割ると、片方を笑里へと差し出す。
一つしかないものを独り占めするのに罪悪感が湧いていた。自分が買ってきた物とはいえ、一緒に食べようと買ってきたものだ。どうせならば二人で分け合いたいという考えが神奈の頭をめぐっている。
「……どら焼き? くれるの? ……じゃあ、私のもあげるね」
それならと笑里もどら焼きを半分にして神奈に差し出した。
お互いに半分のどら焼きを受け取ろうとするが、その前に神奈は絶好の機会だと願いを口にする。
「名前、神谷さんじゃなくて、神奈でいいから」
「……わかった。ありがとう……神奈ちゃん」
差し出されたどら焼きにお互いが同時に齧りつく。どちらもとろりとした黄色いクリームが中に入っており、舌に乗って柔らかい甘みが口全体に広がっていく。
神奈達はその日、美味しいどら焼きで満足して家に帰ることにした。
「……あ、また何も聞き出せてないや」
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