第31話 夜の住人と同行者

 外灯りが消え街が完全な闇に包まれた頃、街の片隅から夜の住人たちの姿が疎らに現れ始めた。


 善良な市民が決して関わらない存在。何かしらの事情がある者やその筋の人達しか相手にする事が出来ない存在。


 ここでは様々なモノが取引される。情報であったり現物や人物だったりと多種多様であるが、ただ一つ確かなのは内容次第では自身の行動と結果が、瞬時に死に直結することだ。


 そんなハイリスクな品物を扱っている集団を相手にするには、自分もその集団の接し方を知らなければならない。


 間違っても彼らの存在を、軽はずみな行動で覗き込んではならないのだ。


 暗い路地裏をヴィノは右手にランプを持ちながら進んでいた。ある一角まで来るとそこで手にしたランプを足元に置いて、ある決まったリズムで口笛た吹いた。


 その口笛を合図にすぐに数人の黒い集団に囲まれる。彼ら慣れた手つきでヴィノの身体をまさぐり始める。


「いつからルガルはこんなに警戒するようになったんだ」


「黙れ」


「武器は持ってねぇよ」


「黙れッ」


 低い声と一緒に軽く小突かれた。理由は知らないがこの連中が相当ピリピリしている事は理解できる。いつもなら合言葉だけで済んでいたのに今日は何故が様子が変だ。


 武器を持ってないと事を確認すると、今度は頭から布袋を被らされ視界を遮られる。そして手を引かれながら歩みを進めた。


 方向感覚が無くなるように入り組んだ通路を何度も周りいい加減頭が酔ったような感覚を覚え始めた頃にようやく足が止まった。


「袋を外せ」


 その言葉で布袋が外れヴィノの視界に入ったのは、まだ外だと思っていた感じだったが、いつの間にか仄暗い倉庫の中に入っていた。

 

 目の前のテーブルを挟んで小柄でローブで顔を隠した人物が立っていた。いつの間にか一緒に入ってきた連中の姿は消え、変わりに幾つもの不気味な視線を肌で感じていた。


「買い物に来たぞ、エカシ。今日は随分と気が立ってるじゃねぇか」


 いつ来てもここの連中の視線は慣れないなと内心思いながら話を始めると、エカシと呼ばれる眼前の人物が話し出した。


「間が悪いな。最近、この界隈で得体のしれない連中が動き出しててな。一応警戒してる時なんだ」


ルガルあんたらでも手を焼く連中なのか?」


「いいや、ただ目障りなだけだ。実害がないと分かれば放っておくさ。でっ、今日は何を買いに来た。魔弾の補充か? それかサイエンスパウダー類か? それとも情報か? それとも奴隷オンナか?」


「サイエンスパウダーといつもの気付け薬…それと、サリファネグト製のナイフを数本だ」


「パウダーの種類は?」


 ヴィノは黙ってメモ紙を差し出し、受け取って内容を確認したエカシは鼻を鳴らした。


「ふっ、これはまた…火遊びもほどほどにな。…用意しろ」


 エカシが脇から伸びた手にメモ紙を渡し指示を送る。その腕が消えると同時にヴィノがテーブルに金貨25枚を重ねて置いた。


「最近は下の錬金術士達も喜んでるよ。口の堅いお前は彼らのお得意様だからな、俺にとっては払いのいい客でもある。だが…金貨が少し多いように思うんだが、それは何故だ?」


「最近、衛兵の駐屯地や騎士団の中で何か変わった事が起こらなかったか?」


 成る程情報料かっ、とエカシは納得した。


「そうだな、内容によるな。お前が連中の何を知りたいかだ。まさか連中のくだらない世間話まで寄越せって言うんじゃないだろうな」


「最近、連中の中で『配達の隠語』が使われなかったか?」


「ああ、………それだったら4日くらい前に特定の騎士団員に『東のシュナ教徒にザッハートルテを送れ』と指示がでたそうだ。不都合な事でもあったんだろう」


 シュナ教は大陸の中で一番戒律が厳しい宗教だ。その中でも嗜好品に対する欲も厳しく禁止されている。もし口にでもしたなら死罪だ。そんなシュナ教徒に甘い菓子を送る事など出来ない。つまりこれは『非常に難しい相手を殺せ』と意味する命令に他ならない。


「それで十分だ」


「こっちも聞きたい事がある。ここ最近隣のリンド村に来た商隊の馬車一台が村の近くで消息を絶ったそうだ。何か知ってるか?」


「いいや。どうして俺に聞く?」


「お前達がこの前の依頼で丁度帰ってくる時期で消えている。何か知ってると思っただけだ。他意はない」


森で・・商人達が消える事はよくあるだろ。サイコロの出目が悪かったか、過ぎた欲で身を亡ばしたんだろう」


「………ああ、そうだな…よくある事だったな。災難だな」


 ヴィノの返事にどこか含みのある返事でエシカは返した。それで十分だった。語らずとも察すれば答えは出たのだから。それ以上の言葉は不毛にしかならない。


「それともう一つ、お前さんについてだ」


「俺か…!?」



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 東の空が薄っすらと開け始めた頃、冒険者ギルドの裏口に隠れるようにして2つの人影が見える。


「よろしくお願いします」


「ああ」


 ギルド受付嬢リリーは組んだ手を不安そうに胸に押し当てている。いつもなら愛くるしいブルーの瞳のその下に、深い隈が表れそれが彼女の不安の強さを物語っていた。

 

 恐らく一睡もしていない彼女の不安を少しでも和らげる言葉を伝えてやるべきではあるが、確証もない未来に余計な期待を持たせる必要はないとヴィノはいつも通りの返事で返した。


 リリーの依頼は、行方不明になった親友を見つけて欲しいとの事だった。ただの人探し程度なら他の冒険者で人探しに長けた人物に頼めば済む話だったが、今回は話が違った。


 そのリリーの親友は護衛用にすでに冒険者を雇っていて、そして彼らの消息を絶った付近が今現在駐屯軍の行軍作戦範囲に入っているのだ。冒険者ギルドとしては衛兵と騎士団に余計な溝を作りたくない為、ギルドは前冒険者に行軍作戦が終わるまで捜索活動を禁止する布令をだした。


 リリーから話を聞いた範囲だけでも、冒険者が消息を絶った周辺で軍による作戦行動が実施されるなんて出来すぎた話だ。きな臭くヤバイ雰囲気が漂っている事で、普段なら規則破りしている幾つかの冒険者パーティーは日和見を決め込んでいた。


 いつもなら断る依頼だったが、借りがあるリリーの頼みとあれば受けない訳にはいかない。それにヴィノ自身にも一つ気になる事がある為、この依頼は受ける事にした。


 ただし3日間の期限付きではあるが。


「少し寝ておけ、親友が帰って来た時にそんな顔で出迎えする気か」


「…はい、そうですね…頑張って少し休みます。今日は休みをもらいました。これから家に帰って休みます。ですからー」


「受けた以上は仕事をこなす。手は抜かない。これだけは約束する」


「………はい…」


 縋るような顔で何か言いたそうなリリーだったが、ぐっと言葉を飲み込んだ。


 帰路に就くリリーの後姿を見届けると、ヴィノはギルドを後にし街の正門を目指して足を進める。こんな早い時間に起きて活動する冒険者は少ないが、街の屋台商人達は所々で既に屋台の仕込みを始めていた。


 煮込まれる野菜鍋、鉄板で焼かれる肉の香り、香辛料のスパイの風味が乾いた風に乗って胃袋を刺激する。嫌でも香りが途切れる事なく鼻につく。


 この時間帯はヴィノが一番嫌う時間帯だったが、この時間帯が街を出るのが一番早いのだ。夜と朝の門番が引継ぎ交代で忙しくなる時間帯。殆どが顔パスかせいぜいギルド証の提示だけで済む。


 ここで鼻を麻痺させるわけにはいかず、口呼吸のまま速足でその場を後にした。


「あら、早かったわね。丁度良かったわね」


 聞き覚えのある声に思わず足を止めた。視線を向けるとそこに居たのはウェーブの掛かった赤毛の魔術師、リーフ・シャフスクだった。今回は深緑の厚い生地のローブを羽織っている。


「………」


「!? なによ?」


「なぜお前がいる? そして明らかに俺を待っていたセリフだな」


「別にいいじゃない。なに? 私がここにいたんじゃ何か不都合なの?」


「ああ」


「ハッキリ言ってくれるじゃないの。アンタのそう言うとこ好きになれないわ」


「別に好きになる必要なないぞ。何か用か、悪いが相手にしてる時間がない。これから仕事だ」


「知ってるわよ。だからアタシも付いていくのよ」


「何だと? 断る。これは俺の依頼だ」


「あらそう。ならこのまま冒険者ギルドに出向いて、アンタが受付嬢のリリーから個人依頼を受けたって言ってもいいのよ。ギルド職員の個人依頼って服務規程違反に入っていたわよね。そしたらリリーは間違いなく解雇になるわよ。それでもいいのかしら?」


「覗きとはいい趣味を持ってるな」


 厳しい顔を向けるヴィノにリースは怯む気も見せずに脅しを掛ける。どう考えてもヴィノに分が悪い。ここで押し問答をして時間を無駄にするのはもったいないと判断したヴィノはリースの要求を呑む事にした。。


「勝手にしろ、その代わり遅れも知らんからな」


「ええ、勝手にするわ」


 ヴィノの背中を追うようにリースがその後に続く。どことなしか彼女の口元が吊り上がっているようにも見えるのはたぶん気のせいだろう。


 その指はしっかりと無事の帰還を意味する指印を組むことを忘れてはいなかった。

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