第32話 山刀と断罪

街道を半日ほど進み小高い丘の上まで来た所で2人は足を止めた。遥か先に商人や農夫達の馬車が数珠繋ぎで渋滞している光景が目に飛び込んできた。


 恐らく軍による臨時の検問所が設営され通行規制を受けているのだろう。こうなう事は最初から予想していたが、ヴィノが今使っている街道は地元民が抜け道でよく利用している裏道で、この道まで軍の手が回っていると言う事は、他の街道や迂回路も同じだと容易に想像がついた。


「この道は使えないみたいね。こんな道までやるって事は連中の本気は相当なもんね。それで、どうするの? 順番を持っていても時間の無駄よ」


「問題ない。ここに来たのは確認の為だ。元々俺に道は必要ない」


「俺たち・・、ね。私もいるのよ忘れないでね。それでどっちから行くの? 右? 左? それとも夜まで待つなんていわないわよね」


 手持ち無沙汰に短杖の先を弄りながら指示待ちするリースを横目に、ヴィノは道脇の雑木林をジッと凝視していた。

 

 その視線の先に、小さな轍のような浅い窪みが跡のように森へと続いている。よく目を凝らさなければ見逃してしてしまうほどの跡だ。観る者が見ればそれは小動物達が通った獣道だとわかる。


 ヴィノはそれにそっと鼻を近づけ2,3度嗅いでみる。僅かだが大気中に舞う土の匂いとキツネの匂いが軽く感じられ、指先で地面を撫でてみると草木の水分が伝わって来た。


 普段ならいないはずの人間たちが大勢街道に溜まっている事で、森の小動物達が新しい獣道迂回路を造ったようだ。 


『ヴィノ、人間ノ世界ガアルヨウニ動物達ニモ世界ガアル。ソシテソレハ、人間ニハ関係ナイ世界ダ。ダガ、スカウトハ違ウ。スカウトハ彼ラト同ジ世界ヲ知ラナクテハナライ。ヴィノ…マズハ素直ニ感ジ取レ。彼ラハ常ニ私達ニ語ッテイル』


 指先についた青臭さの匂いが記憶と共に遠い教えをこだまさせる。そう彼らは常に語ってくれている。


 シグナルを見つけろ。草を踏んだ足の動きをイメージさせてその場に彼らを立体的に捉え構築していく。


 そして動きを加える事でイメージが完成する。


 やがてその場に白い影のようの姿が投影され、踏み敷かれた獣道の軌跡を辿ってい行く。


「暴れたいなら1人でしろ。俺はこのまま森を抜けるだけだ」


「危険よ。第一道なんてないのよ」


「道ならもうここに出来ている。彼らの後を追うだけだ。付いてこれないなら置いてくいくぞ」


「彼ら? ねぇちょっと一人で勝手に行かないでよ。待ってって。ねぇ!!」


 森に入るヴィノを追い掛けるようにリースもその後に続いた。



 今回の依頼内容は行方不明となったリリーの友人と同行している冒険者達の捜索となっている。


 リリーの友人の名はシェリーで護衛として同行している冒険者のパーティーは『レッド・ダガー』と呼ばれる中堅冒険者達だ。


 レッド・ダガーのメンバーとヴィノは直接面識はなかったが、ギルド内ではバランスの取れたパーティーだと耳にしている。冒険者稼業は常に危険と隣り合わせな職業だ。ほんの些細な油断が即死に繋がる事などざらだし、実際に何組もの新人パーティーが毎年消えている。


 その中でも中堅であるレッド・ダガーは念入りな下準備と慎重な行動でこれまで高難度の依頼を達成してきた有名なパーティーでもある。


 そんな連中が行方不明になると言う事は、余程の事態が発生したか想定外の何かに遭遇したのだろう。


 何はともあれヴィノは彼らに何が起こったのか調べなくてはならない。結果として最悪な事態になっていたとしても何かしらの形見ぐらいはリリーに還してあげなくてはと決めていた。


 森を進むにつれ木々が深くなってきた。2人の侵入を拒むように枝や蔦が複雑に絡まり天然の防護柵のように阻んでくる。


 普段歩きなれたヴィノにとってはそんなものは取るに足らない事で、器用に弱い箇所を見つけては剣鉈で上手く切り開いて進んでいく。しかし随伴するリースは、所々で枝がローブに引っ掛かり顔を曇らせていた。


 半日ほど森を歩いた所でようやく人が通ったと思われる不自然な轍を見つけた。


 しゃがみ込んで土を触り湿りや硬さを確認する。一列に草の上から踏まれてはいるが二足歩行の歩幅で3~4人が固まって行動した足跡で間違いない。それと草と地面が若干濡れている、この地域で最後に雨が降ったのは2日目だ。この足跡はその前に付けられていることから少なくとも2日以前に通った事になる。


 時期的にレッドダガーのパーティーがここを通った可能性は高いだろう。


「おそらくこれだな」


「へぇ~コレが痕跡? 思ったより早く見つかったわね」


「今回はたまたま運がいいだけだ。ある程度場所を絞り込めていたからな。普段ならこんな早く見つけられねえよ」


「それじゃ後を追ってみましょう。もしかしたら今日中に見つかるかもしれないわ。これなら思ってたより早く終わりそうね」


「………そうだな、早く終わるだろうな」


 ようやく彼らの痕跡を見つけたリースは浮足立つが、何故かヴィノの表情は硬いままだった。


 歩幅の間隔からして歩いていたとは言い難い、かといって走っていたとしては足跡が綺麗にまとまっている。考えらえるのは競歩のような速さで行動していた事になる。そして所々で振り返った痕跡がある。


 それは何故か?


 逃げる訳でも追っている訳でもないのに、何故わざわざこの森の中で早歩きのように行動する必要があったのか? 彼らレッド・ダガーの目的が見えてこない事にヴィノは一抹の疑問が妙に引っ掛かった。


 だが、そこから先の追跡は予想以上に順調に進み、彼らが野営したであろう焚き火の跡も見つかった。綺麗に後始末をしているが、小さい炭の欠片をまとめていた事で見つける事が出来た。


「時期的に考えて3日前後位かしらね。足跡の数と地面の窪みでこの時までは全員無事なのはわかるわね」


「本当にそう思うか」


「なによ。どいう意味よ?」


「お前魔術師だろう、周りの木をよく見ろ。こんなにわかりやすく痕跡が残っているのが気が付かないのか?」


 ヴィノの指摘にリースが辺りの木を見ると直ぐにそれは見つかった。周りの太い幹に紐で括ったような跡が見て取れた。その跡をリースが手で触れてみると、あっと何かに気付いた。


 これは普通の紐ではなく、恐らく対魔獣用の忌避紐で括った跡に間違違いない。


 ロープにほどこされた魔力付与の影響で幹の表面が若干変色しているし、リースが鑑定眼を使って鑑定してみる。結果はそれほど強い結界用ではなく対人用の認識阻害程度の忌避紐の様だ。


「そこの焚き火は囮だ。一度点けて消したんだろう。自分たちは移動したと思わせてな。本物は―」


 焚き火から20歩程離れた場所で短い倒木を蹴り飛ばすと、掘られた様な跡が見つかった。


「ダコタファイヤーホールだ。コイツの良いところは周りから炎を察知されにくい事だ。たぶんあの焚き火の周りにある足跡は自分たちはさっきまでココに居たが、もう移動したと相手に思わせる罠だ。連中はこっちで潜みダコタファイヤーホールを背中で囲みながら全方位警戒をして夜を過ごしていたんだ」


「全員が寝ずの番をしたって事は、余程警戒する何かに追われていたってこと? 何に追われていたのかしら?」


「さあな、この森に中堅冒険者が対処できないような魔獣や魔物がいるなんて報告は無かった。もしいたとしてもコイツ等は新人じゃねぇんだし、不測の事態に一番気を使っている連中がヘマをするとも思えねぇし、何かあったら直ぐに戻ってるだろう。戻れない何かがあったのかも知れねぇな」


「一体何があったのよ?」


「わからん、だが・・・」

 

 言いかけた途中でヴィノが何かに気づいたようで、焚き火の周りの土を嗅ぎ始めた。スカウトのヴィノは普段から嗅覚トレーニングをしている為嗅覚が常人以上に敏感になっている。


 その嗅覚がリースの鼻では感じ取れない小さな痕跡を捉えていた。


 匂いは人間の五感の中で一番記憶と直結している。そしてその刺激が過去の記憶と直結した時、昔嗅ぎ慣れたその正体が浮かび上がってきた。ゆっくり頭を上げると、そこから少し先で横に転がっている倒木の樹皮の一点を凝視した。


 そこには樹皮に絡まっていた繊維状の短い毛を見つけて手にとり調べ始める。


「それは何?」


「なあ、お前レッド・ダガー連中の容姿に詳しいか?」


「えっ? まあ…一応。あそこの回復士の子と何度かギルドで話した事があるわね。他の仲間は1,2度話した程度はあるわ」


「その中に黒髪の奴はいたか?」


「…いないわよ。みんな赤毛と金髪ぐらいね。あっ、でもいつもフードを被っていた回復士の子はたしか銀髪のはずよ。それがどうしたの?」


 少し思案顔のリースの答えにヴィノは指先でまとめたソレをリースに見せる。


「リリーの友人シェリーの髪は栗色だ。つまりココにもう一人いた。捜索名簿に載ってないもう一人…黒髪の謎の人物が一人ここにいたんだ。そして回復士なら薬師の心得があるな、この焚き火の周りにリフレ草を煎じた時にでるハッカのような独特な残り香があったぞ」


「えっ!? リフレ草ってたしか…解熱沈痛に使う薬草でしょう」


「それは根の方だ。これは葉を煎じた時にでる匂いだ。そしてその効能は別用途で使う、その使い方は一般的には余り知られていない」


「何に使うの?」


「抗幻覚薬だ。それもかなり強力な奴に使う」



 日が傾き始めた為今日の捜索は一旦中止とした。彼らの野営したであろう場所で今度はヴィノ達が野営することになった。


 リースは石と土で竈を造っている間、ヴィノは周辺を周り一晩もつくらいの薪を集めてきた。


 ローブの裾を少し捲し上げた格好のリースの姿は、前回の反省を活かしいろいろと工夫をしていた。


 まずは、その服装だ。今回みたいに道無き道を進めるようにローブは厚く丈夫な生地で仕上げてもらい、着こむ肌着の上に丈夫な上下の上着に革ベルトを通して簡単に脱がせなくしている。


 そして移動時の重要アイテムの革靴を悪路踏破用にしっかりと編み上げのロングブーツに靴底にはチェーンで取り外しできる簡易アイゼンを装着している。


 そして今回あたらに毒による状態異常に対処するように、腰の小ポーチに万能中和薬を蜜蠟でコーティングした錠剤を忍ばせていた。万が一前回のような麻痺状態なる前に錠剤を噛んで舌下錠として体内に素早く吸収させるように対策を立てていた。


 前回の反省を自分なりに活かして装備を準備したが、ヴィノからは何の指摘の言葉も言って来ないので、気付いてないのかと軽く溜息を溢してみせた。


 火打石で焚き火を熾す頃には辺りはすっかり真っ暗になり、焚き火の光源だけが、静まり返った夜の森をわずかに照らしていた。


 温かいスープと保存食用の干し肉を無言のまま頬張る2人。焚き火の爆ぜる音と2人の咀嚼音だけが静かな森に響いていく。


「変だな」


 長い沈黙の末ようやく口を開いたのは、リースが3本の枝で作成したトライポットに引っかけたケトルのお湯が沸いた時だった。


「そうね。捜索していたパーティーの痕跡を辿って行ったら何故かもう一人情報に無い人物がいて、しかも抗幻覚薬の薬草を調合した痕跡まであったのよ。コレが変じゃないわけないじゃないのよ」


 手に持ったケトルを傾けククサに注ぐ。疲労回復のハーブ茶の香りが湯気と一緒に鼻腔に漂う。


「違う。俺が言ってるのはこの森の事だ。わかねぇのか? さっきから獣の気配も虫の声も聞こえない。静か過ぎるんだよ。良くない兆候だ」


「やめてよこんな時に…………………」



 縁起でもないと話を止め塩気の強い干し肉を咀嚼し始める。ヴィノはそれ以上何も言わず再び沈黙が続いた。


 無駄に長い沈黙に飽きてきたリースは、この同伴依頼の目的でもあるヴィノの呪いについてどう切り出そうかと考えを巡らせ始める。


 親友から聞いた呪いの種類や呪いを解くために女性が必要な事、それは一体どんな呪いなのか、魔導士特有の好奇心と探求心が勝り今回思い切った行動を取ってしまったと内心反省はしている。


 それと、これは探求であって決してヴィノの人間性を少しでも知りたい訳では決してないと強く肯定もした。


 これは誰が何と言っても呪いについて知りたいだけだなのだ。余計な邪念はふり払い、問題はどう切り出すかだ。迂闊に聞いて警戒されてしまっては元も子もない。


「ねえ、アンタって結構な数のお見合いが流れてるって本当なの?」


 それは他愛もない会話の一貫のつもりだったのかもしれないが、本人にとっては最悪なタイミングでの発言だった。


「………答える必要はない」


「いいじゃないのよ。これまでお互い距離を縮めて来てたのに、ここでもっと縮めてみても、ほら。お互いの事をもっとよく知って損はないわよ」


「縮めてどうする? お互い腹を割って気持ちを打ち明け、絆を深めたら次に信頼だ、友情だと口にして、助け合って深め合って一緒に冒険を歩もう等とほざくのか? 大道冒険喜劇や薄い英雄叙事詩を演じたいなら勝手にやってろ。少なくとも俺は個人的な事情を勝手に根掘り葉掘り調べる相手と仲良くする気はねぇな」


「はいはい、勝手に調べた私が悪かったわ。でもね、忘れたとは言わせないわよ。アナタ! 私の唇を強引に奪って無理やり裸にして朝まで同衾どうきんしたのを私は忘れてないからね」


 軽く下す視線と圧を込めるリースに、ヴィノは相手にするのが面倒臭いっといった感じに溜息を溢して反論を続ける。


「事実を脚色するな。薬を飲ませて副作用の低体温に俺が身体で温めただけだ。お前を助ける為にな。それに、お前が言ったんだぞ『生きたい』とな」


 最後の言葉をワザと強調して言うと、何故か紅潮したリースが言葉を詰まらせながらも口を動かす。


「………ほっ、ほっ本当の事を言うと、私はそっちのお見合い話の結果なんて全く興味ないのよ」


「…話を変えるな」


「興味があるのはお見合いじゃないくて、何でアンタがそこまでしてお見合いにこだわってるかって事よ」


「黙れ」


「妻が欲しいなら別にお見合いじゃなくて、奴隷を買った方が手っ取り早いはずよ。奴隷紋で絶対に主人は裏切らないし、実際冒険者で伴侶が奴隷なんて結構いるじゃないの」


「…」


「これって私が考えるに奴隷のような強制婚姻じゃなくて、本当に婚姻した伴侶が必要なんでしょう。じゃあその理由はなに?」


「…」


 教えてもらったヴィノがかけられて呪いの種類。ヴィノの様子から解呪に必要に素材に伴侶が必要なのは間違いないだろう。問題はその伴侶の選別だ何故奴隷ではダメなのか?


 解呪に奴隷紋が影響されるのか? そとも純粋に相手を思っている心情が影響されるのか? いずれにしても興味深い呪いである事は間違いないだろう。


 自分の考えを口に出している内に次第に思考が熱くなり、様々な憶測や仮説を下に載せて語り始めてしまった。


 そしてその行動は自分に身に帰ってくるまで止まる事は無かった。


「ほぇッ!!?」


 突然立ち上がったヴィノに、リースはドキリとした。身構える彼女を尻目にヴィノは黙って踵を返えして森へ入ろうとする。


「ねぇ、…ちょっと、どこ行くのよ!!」


「小便だ。なんだ来たいのか?」


「なっ!! ………こっちに聞こえない所でやれ!! ったく」


 更に紅潮した彼女はククサに残っていたハーブ茶の残りをヴィノの方へと撒き捨てる。


 それから一人残されたリースは静かに焚き火を眺めていた。生き物のように揺らめく焚き火の炎を眺めていると何故か心地よく安心できた。


 おそらく、自身の生い立ちに関係しているのだろう。豪雪地帯で知られる北方都市群トゥーリス出身の彼女は、錬金術師の両親を持ち、幼少期から両親の研究を手伝っていた。部屋中に置かれた大小様々なアルコールランプの器具や暖炉の前で日夜繰り返される実験の日々は、まだ幼い彼女の心に熱を持たせ昇らせていった。


 あの時、実験中に偶然魔法適性がわかっていなかったら、今頃両親と同じ錬金術師になって一緒に実験をして街の誰かと結婚していただろうと哀愁にも似た郷愁が込み上げてくる。



 ―パキンッ―


 暗い森の中から枝の折れる音が響くと視線がそこに注視した。一瞬ヴィノが戻って来たのかと思ったが、音は正反対の方向から聞こえた。


 咄嗟に短杖を握り詠唱を唱え始めと、闇の中から慌てた様子の兵士2名が現れた。


「待て待て俺達は敵じゃない。街の兵士だよ。焚き火が見えたから同じ部隊の奴かと思って来ただけだから」


「あれ? おいちょっと待て、どういう事だ? なあ、今ここは行軍演習場だぞ。軍関係以外は立ち入り禁止のはずだぞ?」


「お前冒険者か? ここで何してる?」


 現れた2人の兵士は重い背嚢を背負い標準的兵士の軽鎧と槍を持ち、腰に短刀を下げていた。


「あなた達こそ何言ってるの? 私はギルドの依頼でココにいるのよ。ここが軍の演習地なんて初耳よ。一体どういう事よ」


 さも何も知らぬ存ぜぬの態度で受け答えするリース。微塵も躊躇いを見せない彼女の演技力はこれまで荒くれ者達を相手に自然と身に付けた一種の能力スキルと言っても過言ではない。


 今回軍から立入禁止の場所に無断侵入しているのだから、見つかればタダでは済まない。最悪変な嫌疑をかけらえて投獄される事も十分考えらえる。


 その為、万が一の保険で今回リリーからギルド発行の依頼書の写しを渡れていた。その内容は4日前に捜索場所付近の薬草採取の依頼を受けている事になっている。 しかし、途中同伴したリースはこの写しを持っていない。その為少しでも怪し疑いが掛かると、同じ仲間としてヴィノも一緒に捕縛される危険も考えられた。


 用足しに出たヴィノが戻ってきて、この隣の女は自分とは何も関係ない。森で偶然あったら変に付きまっとてきた怪しい女だと言われたら、まず言い逃れは出来ない。


 何とか当たり障りない返答で交わそうかと思った瞬間。


 一人の兵士の背後から黒い影が現れると、そのまま兵士の首に巻きつき鈍音と一緒に首が折られ崩れ落ちた。


 突然の事で呆気に取られている間に、拳大の石がもう一人の顔面にぶち当たり大きく仰け反りながら倒れた。そのまま間髪入れずに悶える男の首に踵で思いっきり踏み付け頸椎を砕く。


 男達はその場で数回痙攣を見せたあと動かなくなった。


 後に残ったのは事態を飲みこめない顔で固まるリースと、素知らぬ顔のヴィノが立っていたが、その眼は深く眼光鋭い冷たい眼差しを向けていた。


「あっ…アンタ……気でも狂ったの!!」


「何がだ?」


「何がじゃないわよ!! 今アンタその兵士を殺したのよ!!」


「だから何だ?」


「だから何がじゃないわよ!! 兵士殺しは重罪よ!! 突然襲って………殺して一体どういうつもりなの!! なっ、…何でこんな………こんな…」


「お前大丈夫か?」


「うるさい!! 見てわかんないのォ!! これが大丈夫に見えるの!! 馬鹿じゃないの!! アンタ頭おかしいわよ!!」


 パシーン!!


 散々まくし立てるリースの頬にヴィノの平手打ちが入った。


「馬鹿はお前だ。誰の尻ぬぐいをしていると思ってる。お前今回の依頼を何だと思ってるんだ。本来俺達はココに存在してはいない事になっているんだぞ。誰にも俺達の存在を知られてはダメなんだ。もし知られたら手段を選ばず徹底的に排除する。そんな事もわからずに俺に付いて来たのか?」


 熱をもつ頬を抑え、涙ぐむリースは食いしばっていた歯を開く。


「でも…その為にあの子から依頼書の写しを貰ったでしょう…」


「コレの事か」


 呆れた様子でリースの前に今朝リリーから貰った依頼書の写しを見せる。四日前に発行されたと記した依頼書だ。コレがある事で万が一、兵士に見つかった時に言い訳ができる為のだ。


「お前こんな紙切れ一枚で、自分の身の安全が守らると本気で思っているのか? 街の中じゃ有効かもしれねぇが、ここは森だ。森の中までコレが有効なわけねぇだろうが。森という完全密室の中で誰が犯されようと、誰が殺されようと関係ねんだよ。こう言ったらわかるか。バレなきゃ犯罪じゃねんだよ。弱い奴、油断した奴、騙された奴から殺される。そしてそれを誰も裁く事なんて出来ねぇんだよ。わったかい、お嬢ちゃん」


 ヴィノの言葉に反論せずに俯くリース。確かにその通りだ。森の中で何が起ころと全ては森の中で終わる。誰にも分らない。さらに言えば何をされても証拠が無ければギルドは何も出来ずにお手上げなのだ。


 自身も犯されそうになった経験からその意味が痛い程よくわかる。それ故反論するなんて出来ずにいた。


「強いて言うなら、俺が法律だ。さて―」


 ヴィノは腰の山刀の留め具を外すと、鞘から鈍色の刃をゆっくりと引き抜いた。


「今俺は正直迷っている。顔を見られ言葉までも交わし、その存在を相手の記憶に強く認識されたこのマヌケな女を、生かすべきか殺すべきか」


 怯えた表情のリースの瞳にその刃が向けられ、断罪のときが迫っていた。

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