第29話 新人研修その⑤ 反抗が許されと思うなよ。
しばらくしても3人は起きる気配を見せなかったので、1人ずつ腹を蹴って起こす事になった。
軽く咳き込みふらふらしながらやっと身体を起き上がらせると、ヴィノは間髪入れずカーリーの顎を蹴り上げた。奥歯同士の打音が響き痛みに悶絶するが、彼女だけは気絶しなかった。
口元を押さえ何かを訴えるような目で睨みつけてくるカーリーに先刻の言葉を伝えた。
今日から3人の背に各々の責任が重く圧し掛かると、2日目の研修が始まった。
「貴重な時間を無駄にした。起きたらまずはエサの時間だ。豚共ありがたく食えよ」
3人の前に大きな鉄製鍋が置かれた。温かい湯気が立ち上り中に蒸かしてペースト状に潰したジャガイモが入っている。
それを見た瞬間、3人の胃袋が目を覚ましたかのように一斉に鳴り出した。漂う香りに刺激され渇いた口内が唾液に満たされていく。ようやくまともな食事にありつけると3人は期待に胸躍らせた。
双眸の眼差しを向けながら木匙で掬われ皿に乗せられるのを今か今かと待っていると、すくい上げた木匙をそのまま向けられ―
「食え」
半ば強引に蒸しあがったじゃ芋ペーストが口に突っ込まれる。
「「「Ψ§Φ〇ΓΔあb!#&$hegぐあぁべΛΣΣ!!!!!!」」」
絶叫と一緒にソレを吐き出すと、すかさずヴィノの鉄拳が3人の頬に打ち込まれた。
「黙って食えねぇのか? それにエサを粗末にするな」
「…せっ、せめて…何かによそって下さいまし…これは熱すぎますわ…」
「そんな物はない」
「…ならせめてコレに」
エルザが両手を器の代わりにして前に差し出しすと、それを見た2人も同じように差し出し始めた。
だがヴィノはそれを認めたかった。
「豚が手を使ってメシを食うのか? 蛆虫から豚になったから調子乗ってんじゃねぇぞ。お前らは自分達が人間になれたと思ってるんじゃねぇだろうな。言ったはずだ、今のお前らは家畜だと。家畜は家畜らしく出されたエサに涎垂らしながらブヒブヒ言って食ってろ。ほらッ!!」
再びよそった木匙を強引にエルザの口に入れ込むと、今度は吐けないように手で塞いだ。
「吐くなよ。吐いたら吐いた分また食わせるからな」
また同じように熱と痛みが口の中で暴れ始めると、それから逃れるかのように身体をバタつかせるもヴィノの手からは逃れる事は出来なかった。残る力を振り絞りヴィノを手を放そうとするが、抗う事は出来なった。
やがて涙と鼻息を荒くしながらエルザは熱いペーストじゃが芋をゴクリっ、ゴクリっ、と飲み込み終えた所でようやく解放された。
唇が真っ赤に腫れ、ゼェーゼェーと肩を大きく上下させながら荒息をする。舌と喉を熱せられ息を吸い込むたびに激しく咽込む状況に、まともに言葉を発する事が出来ない。
ヒリヒリと舌が痺れ回らなくても、エルザのむせび泣く唸り声は、嗚咽のようにも聞こえてくる。
「よし、あと2匹か。時間がねぇからどんどん行くぞ。ほらっ!! 早く食え。食ったら次の研修だ」
「「いっ…いやだ…」」
それは掠れほどの声だった。
エルザの惨劇を一部始終見ていた2人は逃げもせずその場で動かずにいる。内心諦めているものの、その顔には怯え悲壮の顔が浮かんでいた事は言うまでもない。
この悪夢が早く終わってくれと願うも虚しく、悪夢は醒める事はなかった。
そして数秒後―
二つの嗚咽のような悲鳴が辺りに響いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「よし、今日は一日中泥泳ぎだ。お前たちの汚れに汚れたその汚ねぇ身体は見ていて不愉快だ」
―汚くしたのはお前だろうが!―
と、思う気力も湧かずに3人は首輪を付け四つん這いのままヴィノの後に付いていった。口の中と喉が焼かれ、唾を飲み込むのにも痛みが走る。まだ一日しか経っていないのに、3人の気力体力精神力は限界を超えていた。
朝から軽い頭痛が続いていたが、時が経つにつれ徐々に鈍く重い痛みに変わっていった。胃がキリキリと痛み出し数分前に食べたじゃが芋が外に出せっと言わんばかりに食道へと昇ってくるかのがわかる。
途中何度かヴィノが言葉を発しているが、その声が遠くのなっていくのと同時に3人の意識は地面の小石や雑草を無心で凝視する事へと変わっていった。
身体の不調は思考力にも影響を及ばし始めていた。リコルはもうすでに自分で考えるのを放棄し、言われがままヴィノの命令に対して『ブヒ』と鳴き従い始めた。
リコルだけではない、エルザもカーリーも死んだような瞳で地面に視線を落す。頬がこけ、赤く腫れた口元はカサカサに乾き、汗と土と小便で固まった髪がバサバサと鬱陶しく揺れている。
ずっと北へと進み続け膝の感覚が無くなり始めた頃、ようやくヴィノが足を止めた。
そこは鬱蒼と生い茂った森に出来た沼地だった。沼地の中には幾本もの木が並び、明らかに人為的に沼地を造ったのは明白だった。
事実、この沼地は前日にヴィノがコリンに頼んで造って貰った沼地だ。魔法で水分を少なく泥が身体に纏わりつくほどの粘度にしろと注文を入れた特別な沼地だ。
一度この沼に足を踏み入れば水分を含んだ泥が足に絡みついてくる。進めば進むほど重く纏わりつき動きを鈍らせ体力を削いでいく。それはまるで懸命に藻掻く者達を沼の底へと引き摺りこむ蟻地獄のような光景が3人の目の前に広がっていた。
「よし全員淵の前で横並びだ」
3人は言われた通りに淵に並ぶと、これから始まる次の事が何となく予想できた。呆然と黒茶色に染まる沼地を眺めているとそれは始まった。
ヴィノが3人のケツを力一体蹴っ飛ばし沼地へと蹴り落としていく。
うつ伏せので沼に落ちると、さっそく泥の洗礼を受けた。エルザの顔が泥沼にはまり上手く顔を上げる事が出来なくなった。
藻掻くエルザ。それに気付いた2人が直ぐに近づこうとするが、両手足が泥に絡まり、動かそうにも疲労困憊した身体にでは近づく体力も気力も無かった。
泥から頭だけを出した2二人は必死に藻掻くエルザを呆然と眺める。近づく事も助けようとせずに、ただ眺めていることしか出来ずにいた。
「ぶはぁッ ゲホゲホ…ハァっハァ…ハァ…はぁ」
藻掻くエルザの髪を乱暴に掴み上げたのはヴィノだった。泥に覆われた顔から必死に口を開け呼吸を繰り返す。
何とか危機を脱しはしたが、それで終わるはずはない。膝まで泥に使った片足を上げると、それでリコル、カーリーの頭を踏みつけた。
「お前たちは最悪だ。仲間が死にそうになったているのに、それをただ見ているだけとはな」
「ブハッ…うぇ…ペッ…ペッ…しゃ、しょうがねぇーだろうがぁ。もう力がはいらねぇんだよ」
「…そうよ。 もう無理よぉ…こんなの研修じゃない。シゴキよ、なにが楽しいのよぉ!! お前なんて人の皮を被った
「楽しいだと?」
ヴィノの眉がピクリと痙攣すると、掴み上げていたエルザの髪にカーリーの髪を一緒に絡め、もう片方の手でリコルの髪を掴みながら片手で岸に放り投げた。
ブチブチと数本の髪が千切れ、全身泥まみれのままうち上がった。かなり痛かったのか手で頭を摩りながらうずくまっていると、ゆっくりと沼から上がってきたヴィノが硬いブーツの底で3人の爪先を踏みつけた。
瞬間、森に3つの悲鳴がこだまする。
「オメェーいい加減にしろよ!! こんなの只の憂さ晴らしのシゴキだっ―、がぁッ」
今度は腹に重たいひと蹴りが打ち込まれた。連帯責任と言わずともわかるだろうが、続けてエルザ、カーリーにも蹴りが入った。
「折角泥遊びをさせてやったら不満ばかりほざきやがる。それに楽しいだと? 主人の命令一つ満足にこなせねぇ豚共を相手に楽しいわけねぇだろうがぁ。なにが楽しいだ、不愉快この上ないな」
蹲っているカーリーの頭にブーツを乗せると、底の泥を落すように上下に動かしてみる。
「おいメス豚。どうだ俺が楽しんでるように見えるのか? だったらお前の目は何にも見えてねぇな。去年この街の新人冒険者が何人死んだと思う」
「…知らないよ」
「ギルドの公式発表は17人だ。ただし依頼中行方不明者は41人だ。これは公式記録には加算されてねぇ、あくまで生死不明というだけだ」
今度はエルザの頬を踏みつけ上下に動かして泥を擦りつけるように落していく。
「この際ハッキリ言ってやる。今のお前らの実力は今年中にギルド死亡者数か依頼中行方不明者数を増加させるだけだ。運が良ければ来年位までゴブリンやオーク達の孕み袋で生かされるだろうな。言葉通り奴らの繁殖用家畜だな今と変わらんな」
ヴィノの言葉に、エルザもカーリーも歯を食いしばって聞いていた。反論した所でたった一人の人間に、人としての尊厳を奪われ理不尽を押し付けられているこの事実を変える事が出来ないからだ。
すでに自分たちの無力さを嫌と言う程味わっている分、ヴィノの言葉が深く刺さる。
何も出来ない。
それが正しい。
しかし―
「ふざけんなよ…ざけんなよぉ…何が豚だよ、何が家畜だよ…俺達は人間だ…」
「それじゃ教えてくれ。人と家畜、いや…人と獣の違いはなんだ。自分が人間だと言うのなら、自分が人間だという証拠を出してみろ」
しばしの沈黙が生まれた。ヴィノは言葉を続けた。
「昔、世間知らずのガキに同じように質問をしたことがあった。そいつはドヤ顔で信仰を持っているかどうかとほざいたぜ。思わず鼻で笑っちまったよ。しかも神を信じていねぇ俺は獣だと堂々と言ってのけたんだから」
軽く俯いた口元が僅かに吊り上がる。
「さて、答えを聞かせてもらおうか。自分が人間だというならその証拠を出せ」
「あなたに…そんなのないですわ」
「答えがられないならお前らは家畜だ」
「違う、エルザが言ったのは。お前が私達を家畜と決めつける証拠もないって事よ。リコルの言った通り私達は人間よ、人間なのよ」
「今こうして服も付けず、裸の四本足で動き回り、ご主人様が出したエサを食らい、首輪で繋がれ豚のようにブヒッ、ブヒッ、と鳴き声を上げているじゃねぇかよ。それを家畜って言うんだろう」
「違うですわ…あなたがわたくしの服を破き、這いつくばらせたのですわ」
「そして無理やり口にクソマズイ泥芋を入れた」
「首輪を強要して従わないなら暴力で従わせただけだ。俺を、俺達を何度も弄って何がご主人様だ。ふざけんなぁこのサド野郎が」
力の入らない足を震えながら踏ん張り立ち上がる。ヴィノが立つなと命令しても3人は立ち上がる。
「これが最後の警告だぞ。今すぐ地面に伏せろ。そして豚の声で鳴け」
「「「うるせぇェェェ!!」」」
絶叫と同時に一斉に動き出した。リコルが真っ先に突進するが、軽く交わされるも次のエルザがヴィノの腰にしがみ付きそのまま後に押し倒そうとする。
しかし、力も体格差も全く足りずヴィノの身体を押し倒す事は叶わなかった。
「腰が入ってねぇんだよ。ほら、さっさと落ちろ」
難なくエルザの腕を解くと、右腕と脇でエルザをヘッドロックした。首を絞められるエルザだったが、間髪入れずヴィノの背後にリコルが飛びつき腕を首に絡みつけた。
形成逆転と思いきや、ヴィノは慣れた動作でリコルの脇に肘を打ち込み、腕が緩んだ所で髪を掴むとそのまま背負い投げた。
投げ落とされた身体が沼に沈み込むと更に上からヴィノが踏みつけて深く沈めた。手足をバタつかせ藻掻きはじめ何とか顔を上げようとするが、ヴィノはそれを許さない。
「どうした豚は泥遊びは好きだろう。好きなだけ泥にまみれろよ。遠慮するな楽し―ッ」
「うわあぁぁぁぁぁぁっ!!」
―バギッン―
後頭部に衝撃音と鋭い痛みが走る。振り返るとカーリーが拾った木棒でヴィノの頭に一撃を加えた後だった。
剥き出しの犬歯、荒い息使い、血走った瞳。ヴィノと視線を合わせると再び木棒を振り上げた。その眼にはもう迷いわない。振り下ろされた木棒は真っすぐヴィノの額に向かうが、すぐに左腕に防がれ砕け散った。
「まだあぁぁっぁ!!」
諦める事無く残った部分を逆手に持ち直し、突き刺さそうとする。しかし、行動虚しく手首を持たれ止められると、硬いブーツの踵が柔らかい腹部に蹴り込まれた。
「ブッゥ」
込み上げた胃酸を吐き膝から崩れ落ちた。そのままヴィノの足がカーリーの頭を踏みつけ泥沼へと沈めた。
「どうした? 蹴り一発でのびるなよ。それとも威勢がいいのは最初だけか」
ボコボコと泡をたてながらカーリーが藻掻く。このまま失神するかと思いきや踏んでいた頭部から足を上げると、そのまま後へと回し蹴りをかました。
丁度そこには人の頭ほどの石を持ち上げて向かって来ていたエルザの左頬に打ち込まれ、本日2本目の奥歯を飛ばしながら沼地に倒れた。
「馬鹿が。同じ手を使うな、学習しろ」
半ば呆れながら倒れるエルザに手を伸ばすと、真横からリコルが突っ込んできた。流石に交わして相手するのも面倒だから、そのまま腕を掴み一本背負いでエルザの上に投げ落とした。
間髪入れず今度はカーリーがヴィノの右足にしがみ付くと、腰を入れて持ち上げようとしている。
だが、そこでもヴィノは動じる事の無くカーリーの首後に手刀を打ち込んだ。
「ガハっ…」
一瞬で目の前が真っ暗になっり意識が飛んだ。崩れ落ちる寸前に髪を掴まれリコルの上へと倒される。
あっという間に3人は打ちのめされ山にされた。
パンっパンっと手を叩きながら、ヴィノは次はどんな風に追い詰めようかと思案し始める。
その口元は少しだけ緩んでいるようにも見えた。
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