第28話 乙女の篝火と憤怒

 巡礼中のレベッカ一行は中央大陸と南大陸の国境付近にある、人口約1万7千人程の交易城塞都市『パジャール』を訪れていた。この都市は中央と南の文化が綺麗に融合し独自の建造物や都市開発が行われた。


 それに文化だけでなく多種多様な人種との交流が盛んに行われ繁栄を維持している交易都市でもある。大陸中の様々な商人や巡礼者、旅人達からは文化の坩堝と呼ばれている。


 華やかな都市の中心地になるフラーム教の教会で祈りを捧げ、神官長に巡礼の報告と挨拶を済ませると、この都市の領主代行に会う為一筆お願いを済ませる。


 レベッカの本名、フィリカ・スンディラ・フラームの名を告げれば相手側から脱兎の如き速さで拝謁に訪れる程だが、今は巡礼中である為身分を伏せ一介の修道女レベッカのまま正当な手順を踏む必要がある。


 パジャールの神官長はレベッカの申し出に心良く応じてくれたが、現領主代行はいささか癖の強い方だから、気を悪くしないようにと忠告してくれた。


「神官長様の心使い感謝致します。フラーム神の導きに感謝を」


 礼と一緒に書状を受け取ると、レベッカ達は教会を後にした。


 馬車が領主代行の屋敷に到着するまで車内では沈黙が続いてた。フィリカとオルフェンは目をつむり、ネネは窓から景色を眺めていた。


 他の国境都市は皆隣国からの進行や、民族、差別以外にも大小様々な問題を抱えている。表面上は平穏を保っていても人々の心内には、欺瞞と猜疑心を忍ばせているものだが、このパジャールは見るからに違っている。


 ネネの視線の先には、行き交う人々の顔は皆明るく屈託のない笑みが溢れていた。 国境沿いの都市の中でもこの都市は随分上手く秩序が保たれていると、内心関心しながら窓枠に肘を乗せ頬杖をつきながら眺めていた。


 すぎる景色と活気ある市場の石畳みを馬の樋爪が鳴らしながら車輪を転がしていくと、前方にひと際大きい建物が見えてきた。


「おぅっ!? レベッカ様。着いたみたいニャ」


 瞼を開いたフィリカとオルフェンの視界に入ってきたのは、重厚な石造りで建てられた要塞のような屋敷だった。


 それは城のような無骨さを醸し出しながらフィリカ達を迎えていた。石門をくぐり赤く重量感のある鉄扉の前で馬車を止めて3人が降りた所で、丁度若い使用人が扉を開けてきた。


「この度は当家にどのようなご用件でしょうか?」


 やや不審な顔で対応する使用人ではあるが、それは仕方がなかった。いくら人の交友が多いとはいえ、こんな南方の端の国境都市にメイド服を着たダークエルフと獣人が現れること自体珍しい事なのだ。


 そんな彼ではあったが、二人の後ろからあられた端麗で艶麗さを醸し出すフィリカの姿を見た瞬間一瞬で言葉を失った。


 風になびく金髪に英雄叙事詩に現れる女神や聖女のような存在感が、早鐘のように彼の心音を激しく鼓動させた。


「私はネネと申します。こちらにいるフラーム教の巡礼者レベッカ様の侍女をしております。巡礼の途中にこの『パルージャ』に立ち寄り、私達は巡礼の慣習に従いここに挨拶に参った次第です。つきましてはこの街の神官長様より書状をお預かりしております。どうかお目通りを願います」


 ネネが流暢な現地語でここの訪問理由と教会で貰った紹介状を渡すと、はっと我に返った使用人はすぐに来賓室へと案内してくれた。


 来賓室に通され腰を下ろすと、使用人は直ぐに主人を呼びに行くと言って部屋を後にした。出る際に何度か奥に座るフェリカの顔を名残惜しそうに何度も一瞥しながら扉を閉めた。


 その様子を笑いを堪えながら耐えていたネネは遂に噴き出してしまった。


「にゃハァハァハァハっハッ!! またネネが純粋な雄を惑わしてしまったニャ」


「ネネ…貴方本気でソレ言ってるの? まあそれが本当ならどんなにお嬢様が助かる事か、始めて貴方の有益性が生まれたわね」


「ムムっ、オルフェン。冗談でも傷つくニャ。ネネは下世話な視線を受けたレベッカ様の心情をおもんぱかって言ってるつもりだったニャ」


「あら!? そんな難しい言葉まで使って空気を読む芸が出来たなんて少しは成長したのね。関心したわ」


「うっ、酷いニャ」


「殺気も出さない怒りなんて無駄よ。それにお遊びはその辺にして私とお嬢様はここで、ネネは手はず通り動きなさい。大した事ない仕事でも侍女らしくきっちりと遂行してみなさい」


「勿論ニャ。オルフェンからもらった玩具さっそく試してくるニャ」


 軽く胸を叩き、長い八重歯を不敵な笑みと一緒に輝かせると部屋を後にした。


「まったく、もう少し緊張感を持たせないと。これは遊びじゃないのよ。戻ったら再教育よ」


「オルフェン。あれはネネの、あの子なりの気の使い方なのよ。大目に見て上げて」


 独りごちたつもりだったオルフェンの言葉にフィリカが反応してしまった。慌てて頭を下げようとするオルフェンを手で制止すると、淡いコバルトブルーの瞳がオルフェンの瞳を捉えている。


 表情こそ変えないが、その瞳から温かいオーラのような感情が漂いオルフェンはフィリカの真意を汲み取った。


「お嬢様、今後も信頼に超えるように精進いたします。」


「貴方のそういう所は好きよ。無理に聖域守護室から連れてきてしまったけど最初から信頼しているわ。だけどもう少し肩肘を緩めてくれと嬉しいわ」


「努力いたします」


 フィリカは黙って頷くと視線をドアの方へと移した。フィリカは気配察知でオルフェンはエルフの高い聴覚でこちらに向かってくる人物を確認した。


「オルフェン、仕事よ」


「かしこまりました。お嬢様」


 フィリカの前に立ち居住まいを正すように姿勢を直すと、ノックもなく勢いよくドアが開いた。奥から現れたのはここの領主代行ラーハイトその人だった。


「私がこの都市の領主を任されているラーハイトだ。家名は省かせてもらうぞ。家名を聞きたければもっと時間のある時にでも来れば教えてやってもいいぞ。領主は暇ではないのでね。一介の修道女など本来なら会う気など無いが、教会からの頼みなら断るわけにもいかんしな。少しは知恵が回るようだな。そこまでして私に会いたいようだからこうしてわざわざ来てやったぞ」


 見た目は中年の小太りな体格で、白髪交じりの茶髪は綺麗に整えられてはいるがその表情と仕草からは威厳は全く見られない。むしろ横柄な態度が目立つ。


 無愛想な表情をテカらせているのが汗なのか油なのか分らないが見た目の印象が良いとは言えない。さらに入った瞬間から強烈な香水が部屋に漂いオルフェンは思わず顔をしかめてしまった。


 そんなラーハイトの垂れ目から注がれる視線が真っ先にオルフェンに向けられた。ここでは珍しいダークエルフである為やや好奇の目で見られるのは仕方ないが、このラーハイトの視線はその類ではなかった。


 まるで目踏みでもするかのに頭の先から爪先まで舐めるように眺めると、頭の中でその身体の価値を勝手に弾きだし始めた。


「ふ~ん…銀髪も悪くないな」


 顎に手を当てながら小声で一人納得する。何を考えているのかラーハイトの思考を考えるまでもなく容易に想像が出来てしまう。


 軽く頷くと今度はオルフェンの胸部に視線を下げる。服の上から控えめな主張を示す2つの膨らみを確認すると、服を無くした裸体へと想像を膨らました。


「ラーハイト様」


 オルフェンの一言にハッと我に返る。


「一つ確認したいのですが、先程貴方は領主と仰いましたが私共は領主代行と聞いております。実際はどちらでしょうか?」


「やれやれ少しは察するものだぞ。確かに現在の所私は領主代行だが、私が領主になるのはもう決まっているのだよ。領主と名のなった所で問題あるまい」


「しかし今はまだ領主代行ですよね。現領主であるハリガン卿から任命がない限り領主を名乗るのはいかがなものかと」


「たかがメイドの分際でこの私に口答えする気かぁ!! 最初に思っていたが名乗りもせずに質問を飛ばしてくるとは躾がなってないな。貴様はどこの家の者だ。例えメイドであってもその態度は高貴なる者に対する不敬であるぞ。貴様の家門はどこだ、主人の名を今すぐ申せっ!!」


 顔を真っ赤にし罵声を浴びせながら捲し立てるラーハイトであったが、オルフェンはどこ吹く風とばかりに眺めていた。


 まだ探りも軽い挑発もしていないのに、このザマは一体なんなの?と半ば呆れてしまっていた。


 こんな低能で沸点の低い馬鹿が本当に今回の標的なのかと逆に疑問さえ浮かんでしまった。まさか本当はこっちが間違っていたのではとさえ思い始めていると、オルフェンの背中越しに軽い溜息が聞こえた。


「オルフェン、もういいわ。下がって」


「はい」


 下がったオルフェンの後にソファーに腰かけたフィリカの姿が現れると、罵詈暴言を続けるラーハイトの口が硬直した。言葉を失ったと言った方が正しいだろう。修道服を着た見目麗しい女性に一瞬で憤怒は消滅し心奪われてしまったのだ。


「おっぉぉ…」


 思わず吐息がこぼれる。ラーハイトの人生の中でこれほど美しい女に出会ったことがなかった。この女は一体誰で名は何というのかと思うよりも先に、この女を何としてでも手に入れたいと醜い欲が沸き起こっていた。


 この女を自分の所有物に出来たらと思っただけで、身震いする程の支配欲が込み上げ全身を駆け抜ける。


「おっおま、いや…君は…誰だ…? 名を名乗れ」


「私は巡礼女のレベッカと申します。『光の聖都』ペテナ神殿に仕えています」


 フィリカは神殿の作法に則り、修道女の作法で礼をする。


「ほう、先程は声を荒げてしまいお見苦しい所を見せてしまった。まずは非礼をお詫びする。聖都から…しかもペテナ神殿からお越しとはさぞ長旅でお疲れでしょうから、今夜は当家でお休みになられては如何かな」


「いえ、お気遣いいただきありがとうございます。これでも私達は野営には慣れております故、お気になさらずに」


「そうはいきません。当家を訪ねられた…しかもあのフラーム教の総本山と言えるペテナ神殿に仕えているお方をお返しするなど、当家の家訓を汚す事になります。どうか今宵は当家でお休み下さい」


 平身低頭で丁寧な口調で話してくるが、欲情を混ぜた視線をフィリカに向けていた。


 ここで逃がしてなるものかと、ラーハイトはこの後どうやってこの女を家に繋ぎとめておくかを思案し始める。


 侍女の不敬かそれとも教会の資金支援を盾にするか、それとももっと確実に薬を使ってむりやり手籠めにしてみせるのは最後の手段等々と巡らせている。


 たかが修道女一人、メイドを2人しか付けずそれ程大きくない貴族だろう。恐らくは子爵程度だろうと考え、それなら純潔を奪っても金で何とか手を打てる筈。ここで逃がさず今夜にでも手を打とうと結論をだした。


「ありがたい申し出ですが…私臭いブタと一緒に寝る気はございません」


「はっ…?…」


「聞こえませんでしたか? ならもう一度言います。醜いブタにこの身を汚される気はさらさらありませんわ。先程のオルフェンや私に向けているその不快で醜悪な視線に気付かないとでも。身の程をわきまえなさい白ブタ」


「きっ貴様ぁ!! たかが修道女の分際で不敬であるぞ」


「その言葉そのまま返すわ人間」


「グゥッ」


 いつの間にかラーハイトの背後に回っていたオルフェンに組み伏せられ、床に頭部を押し付けれた。

 

 腕を逆手に取られ頭蓋骨がミシミシと音を立てるほどの力で床に押し付けられる。足掻こうにもピクリとも身体が動かせない。オルフェンの細い腕の一体どこにそこまでの力があるのか見当もつかなかった。


 押さえつけるオルフェンの周りでは凍ったよう冷気が漂い、フィリカは殺気を宿した海碧コバルトブルー瞳でラーハイトと見下ろしていた。


「さっきから頭が高いぞ人間。このお方をどなたと心得る。この方は光の聖都ウィルゴール・リブラの聖域において最古の『始まりの眷属』スンディア家の末裔。そして初代聖母の直系にして現聖母の姪にあたるフィリカ・スンディア・フラーム様よ。本来なら貴様のような矮小な人間がそのお姿を視界に入れる事させ畏れ多い存在なのよ。理解できたか人間」


「ま、まさか…あの御髪おぐし様?」


「そう呼ばれる事もあるわ。ただしその呼び名はフィリカ様は好きじゃないのよ。二度と口にするなよ人間。それと警告は一度だけよ人間」

 

「今の私は『漆黒の乙女』と呼ばれているわ。それでもその名も余り好きでなないのですけれどね」


 ゆっくりと足を組みなおすと冷たく言い放つ。


 事の重大さに気付いた時はすでに遅かった。ラーハイトの顔から血の気が引き、大量の脂汗が顔から滴り落ちる。


「あっ…わたしは…わたしは…なんと愚かのなことを…フィリカ様っどうか、どうかお慈悲を…」


 ガタガタを震えるその姿はまるで、主人に叱られる子犬のように可愛くなどなく。これから屠殺とさつされる家畜が最後の足掻きのようにも似た震えだった。


「慈悲もなにも、まだ何も始まってないわよラーハイト領主代行。せめてそれを聞いてから慈悲をこいてみたら如何かしら。オルフェン説明して上げて」


「はい。…おい人間、お前にはハリガン卿暗殺未遂の首謀者としてこれより『乙女の断罪』を行う。少しでも長く生きたければ大人しくしておけよ」

 

 乙女の断罪とは、漆黒の乙女にだけ許された権限のひとつ。『漆黒の乙女』は別名『楽園の庭師』と呼ばれている。それは楽園を犯すあらゆる害悪と根の腐った木を自身の判断で伐採できる事からそう呼ばれた。


 言うなれば『乙女の断罪』は『即死刑判決』そのものなのだ。


「いっ、いやだぁ!! なぜだぁ? なぜ? 私が断罪されなければならない。暗殺未遂? 何のことだ。冤罪だぁ!! 私は何も知らない!! フィリカ様ぁ本当だぁ信じて下さい」


 高々と命乞いをするラーハイトにフィリカはゆっくりと立ち上がった。


「その言葉をフラーム神の前でも誓えますか? 私は『乙女』とは言え聖域の末席。私がいるこの空間はフラーム神の居る祭壇でもあるのよ」


「誓います。私は生まれた時からフラーム神を信仰している生粋のフラーム教徒です。誓って言えますこれは冤罪です。もう一度調べ直してください。それか…せめて弁明する機会を下さい。私が冤罪である証拠を集めて御覧に入れますから」


「見苦しいわね人間。ほら証拠ならあるわよ。コイツはお前から金を貰って指示されたって」


 組み伏せるオルフェンが片手を伸ばすと手首までが空間へと消えていった。オルフェン指にはめている空間収納アイテムボックスの指輪魔道具が発動しのだ。その手が空間収納アイテムボックスから出したのは、樽のような酒瓶に入った男の頭部だった。見るからに盗賊風の頭部が入った酒瓶をラーハイトの前に置いた。


「この近くを根城にしていた盗賊団の頭よ。ネネが片腕を引き千切って五月蠅かったから、上級回復魔法エクストラ・ハイ・ヒールをかけてやると言ったら、ペラペラ喋ってくれたわ。ちなみにちゃんと上級回復魔法エクストラ・ハイ・ヒールはかけて上げたわ。でも、助けるなんて言ってなかっけどホンっと協力的だったらこうして酒漬けにしてお前に会わせてやる事にしたのよ。腐ってちゃ誰かわからないでしょう」


「うっ、嘘だぁ!! その盗賊が私をハメようとして嘘をついたんだ。きっと別の黒幕がいるに違いない。私が死んで一番喜ぶ奴が犯人なんだ。私は無罪だぁ!!」


「あらそう。それなら私が黒幕という事になるのかしら?」


「へぇ?」


「貴方が死んで一番喜ぶのはこの私ですもの。だって―」


 フィリカが歩み寄るのに合わせて、オルフェンがラーハイトの右手を前に差し出した。


 床上に伸ばされた右手の甲にフィリカが手を向け詠唱と唱えると、その甲に黒い紋章が浮かび上がってきた。


「私たちが狩り過ぎているから最近では人材不足でこんな小物でさえにも門徒を広げているようね。喜ばしい事なのだけどなかなかしぶといわね」


「あの…こっ…これは…ちっ違います…違うんです…」


 不味いものを見られてしまった。声が上ずり、必死に弁解しようとするが思考が上手くまとまらない。


「何が違うの? この『グラディウスの右腕』の紋章を持ちながらフラーム教を信仰するとは虫酸が走るわ。今回の件は貴方がどんな言い訳を並べようと、貴方が『グラディウスの右腕』の仲間である以上生かす理由はないわ。恨むならこのハリガン卿の納める領地に手を出そうとした事を恨みなさい」


 フィリカの伸ばした手の先から、小さく仄暗い蒼炎が灯る。これはフィリカが『漆黒の乙女』の名を賜った際に聖母様から付与された加護のひとつ『冥府の篝火』だ。


 例え生きていようと死んだ亡者であろうと関係なく、その肉体が灰になるまで決して消える事のない蒼炎として燃え続ける。 


「安心しろ人間。遅かれ早かれ私達は『グラディウスの右腕お前たちクズども』を皆殺しにする。ただし、お前の魂は冥府へとは送らんぞ。私やフィリカ様をその卑猥な目で嘗め回した罪は、元死霊魔術ネクロマンサー端くれとして念入りに砕いてから滅してやる。冥府で仲間と再開はなく輪廻の法則から外れ、文字通り消滅するんだからな」


 オルフェンの言葉はラーハイトの耳には届いていなかった。すでに彼は死の恐怖に支配され極度に怯えきっている。しかも股の間からジワリと生暖かい小水が漏れだしてもいた。


 その姿を興味なく淡々な表情のままのフィリカは、細い指先に灯る『冥府の篝火』をラーハイトの額に押し当てた。


「うぐぅぅぐぐぐぅぅがあああぁぁっぁぁぁっぁぁぁ!!!!!!!!1」


  ゆっくり頭部から全身に広がる蒼炎はまるで意思を持つかのように喉や鼻周り生命維持に必要な場所を避け、人間の一番痛い場所、苦しむ場所をゆっくりと侵蝕していく。それは燃えると言うよりも溶け崩れるといった表情が正しかった。蒼い熾火のように皮膚が焼かれ焼かれた部位が溶けて沈むように陥没していく。骨まで焼かれている間もラーハイトの絶叫がさらに勢いをましていった。


 部屋全体に肉の焼ける香ばしい匂いが漂い始めると、それに刺激されたのかオルフェンの腹が『ぐるるぅ』と可愛くなりだした。思わず腹を押さるオルフェンに、フィリカはさほど気にする様子もなく眺めていた。


「穂祈祭の時の七面鳥の匂いがするわね。あの子と再開したら七面鳥でお祝いましょう。鶏料理に関してはオルフェンにお願いするわ。貴方の料理が一番美味しいから」


「恐縮ですフィリカ様。おっと、レベッカ様に戻しますか?」


「必要ないわ。これで聖都からの使いは終わったわ。それに8年ぶりに再会するならフィリカのままで会いたいのよ」


「かしこまりました。フィリカ様」


 ―コンっコンっ―


 ラーハイトの身体が灰になった頃、軽いノックの後にネネが入って来た。


「戻ったニャ。おっ、なんかいい匂いがするニャ」


「おかえりネネ。首尾は?」


「ばっちりニャ。執事も『グラディウスの右腕連中』の仲間だったニャ。そしてこっちが本命だったようニャ。ここの領主代行を裏で操っていたようニャ。早速オルフェンの玩具が役にたったニャ」


 意気揚々と親指を立てるネネの後から、ゆっくりとした足取りで執事が入って来た。

いや正しくは執事だった男が正解だろう。


 男の頭には頭半分を覆うように、赤黒く膨れたクラゲのようなグロテスクな生き物が乗っかっている。


 全体がもごもごと動くと、顔の境目辺りから血が滴り堕ちる。今まさに脳を捕食さているのだ。


「すごいニャこれ。見た目はあれニャけど、脳みそ食って同化してるから全部答えてくれたニャ。拷問する手間が省けて助かったニャ。ただ…痛みもなく食われるのがしゃくだけどニャ」


「ネネ、必要な情報は手に入ったのならもうここに用はないわ。オルフェンと一緒に片付けて準備が終わったらその足で村に行くわよ。遅くなって野営は遠慮したいわ。煙臭くあの子に会うのは正直嫌なのよ」


「えっえっと……レベッカ様…」


 股の上でもじもじを指を動かしながら口ごもるネネ。張っていた耳が見事に萎れてバツの悪そうに顔になった。


「フィリカでいいわよ。もう巡礼名は必要ないわ。どうかしたのかしら?」


「その…その村のことニャんですが…この執事に確認したら…今朝ごろちょっと問題があったそうなんですニャ…」


「問題ってなに?」


 フィリカがネネに詰め寄ってくる。一歩足を進めるごとにネネの額に脂汗が滲み視線が激しく動揺する。


「ええっと…奴隷信仰のガーネ・エレム教の一行が…今朝…村に収穫・・に入ったそうですニャ」


「………そう、それで『影』達からの報告は?」


「あっ、ありません…ニャ」


「ならあの子は収穫されなかったって事でしょう。無事でいいのよね?」


「おっ…そそそそっ…おそらくは…ニャ…」


 言葉がしどろもどろに変わり、目が泳ぎまくるネネ。後のドアに背もたれた事で自分が後ずさっていた事に気が付いた。


 決してネネに危害が加えられるわけではなく、フィリカを中心にこの部屋全体の空気が段々と重苦しくなってきているのだ。加えて無表情なフィリカの顔を直視できない殺気が漂い始め、それがネネの獣人として野生の本能に危険を知らせてくるのだ。


 背中全体に嫌な汗を浮かべ何とか平静を保とうとするオルフェンだったが、この威圧の続く空間に溜まらず声を掛けた。


「フィ…フィリカ様…ひっ…!?」


 ゆっくりと振り向いたフィリカの顔に、一瞬だけ憤怒の表情が見えた事をオルフェンは見逃さなかった。ほんの一瞬だった為いつもの無表情に戻ってはいるが、それはオルフェンが始めて見たフィリカの感情だった。


「オルフェン」


「…はい」


「至急あの村にいる『影』達に連絡をとって、あの子が無事ならそれで構わないわ。でももし、万が一報告を怠っていたというのなら…ペテナ神殿の円卓祭壇に全員の首が飾られると思ってちょうだい」


「かしこまりました…至急確認致します」


 ゴクリっと唾を飲み込み急いで事実確認に走るオルフェンをよそに、ネネはその場でしゃがみ込んでいた。ふと股に違和感を感じて確認すると、案の定肌着を少し汚していた。


「ネネ。替えはもってるでしょう。着替えたらその壊れた人形を片付けてちょうだい。その魔虫はまだ秘匿なのよ。オルフェンの確認が終わり次第村に行くわよ」


「はっ、はいニャ」


 隣を見ると、さっきまで執事の脳を食っていたクラゲもどきは白く硬質化していた。フィリカの気に当てらえれて完全に死んでしまっているようだ。


「はははっ…こえーニャ…」


 あの短い圧だけでこの魔物クラスの命を奪える事にネネは苦笑いするしかなかった。

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