第25話 疑惑と冷笑

 ベルドの街は中央大陸でも数少ない冒険者達が開拓した街だ。最初は小さな交易所の防衛に冒険者が雇われ。物流が多くなるにつれて人が増えていき、それに伴って多岐にわたる依頼が増えれば必然的に冒険者が増えて行った。


 当初街の防衛は冒険者が行っていた。度重なる魔獣や野党の襲撃から街を守り抜き、それ故に街の住民達が冒険者に対する信頼は厚かった。


 数年前に領主が変わるのと同時に領地の治安維持の為領主の私兵達が街の防衛を担うようになった。


 街の防衛任務を解かれた冒険者は本来の仕事に専念する事が出来たが、街の住民達からの防衛隊に対する信頼は薄かった。


 ここしばらくは街で大きな問題もなく日常が過ぎて行った。問題らしい問題は酒場の喧嘩や、家畜の盗難、物取りといった微罪ぐらいだ。しかし先日街の防衛を任せれた新任の十士長じゅっしちょうは頭を抱えていた。


 彼は首都の騎士隊で分隊長を務め上げた後、戦闘での負傷でベルドの街へと移動となった。名誉の負傷での左遷は珍しい事ではなかった。むしろ彼のように分隊長まで務め上げた者がその能力を辺境地域で活躍させようとしている。


 騎士団の中では栄転と捉える者も少なくなかった。しかし、彼は着任早々の重大問題に直面していた。


 衛兵詰所の執務室で1人書類整理をしている時、ノックがして入室してきたのは若い衛士だった。


「失礼致します、十士長殿。先程昨晩発した殺人事件について追加報告が入り、至急こちらにッ―」


「前置きはいらん。本題を話せ。例の身元は分かったのか?」


 若い衛士の言葉を遮り十士長はペンを止めた。堀の深い顔から睨みを利かせる双眼に気圧され衛士が背筋をピンッと伸ばす。


「はい。所持品の一部から所属クランが判明し。向こうの責任者と遺体を確認したとの事で、本人で間違いないとの事です」


「それで誰なんだ?」

 

 表情を変えぬまま十士長の低い声が響く。


「はい、この街に所属していクランの『鋼の旅団』にいるマッシュと判明しました。一応遺体の損傷が激しい為、念のため統合ギルドでも確認を行いましたが間違いないそうです」


「よしその判明したマッシュの周辺をくまなく洗え。どんな些細な事でもかまない、必ず何かあったはずだ」


「あの…お言葉ですが十士長。本当にアレが殺人なのでしょうか? 自分にはどう見ても何か獣に襲われた遺体にしか見えないのですか」


 若い衛士の言葉に十士長は睨みを向ける。


「若造。お前にはアレが食害された遺体に見えるのか? それなら貴様の目が節穴だと証明されたな。アレは殺しだ。それも相当悪趣味な殺しだ」


「しかしそれなら…何故あんな惨い…」


 遺体の惨劇を思い出しているのようで、衛士の顔色が段々と血の気が引いていく。

昨今冒険者がクエスト中に死亡する事は珍しくない。死体に慣れている冒険者でも例の遺体は目を背けたく成る程の凄惨な状況だった。


 ましてや普段から死体など見慣れていない衛士が直視できる光景ではない。現場で吐く衛士を叱責はしたものの、それを責める気は十士長には無かった。


「普通に殺せばいいのものを、何故あんな殺し方をしたのか?っだろう。おそらく何か目的があるはずだ。我々でない誰かに向けて警告メッセージを送りたかったのかもな。どっちにしても人の所業ではない。野放しには出来んぞ」


「はい…いずれにしても十士長殿が殺人と仰るなら我々はそれに従います。さっそく聞き込みを開始します。恐らく統合ギルドから始めた方が早いと思いますよ」


「ほう、それは何故かね」


「はい。遺体確認に同行したギルド職員から、このマッシュが別の冒険者と揉めていたと聞きました」


 十士長の眉の端が僅かに動く。


「それは有益な情報だな。それで、その揉めたと言う冒険者は分かっているのか?」


「はい、同じ総合ギルドに所属している『スカウト猟兵』のヴィノと言う男です。何でも前回の仕事でこのマッシュに酷く暴行を加えたそうです。あとこのヴィノという男ですが、これまでにもきな臭い噂がある男のようです」


「ふんっ、それは怪しいな。ここに連れて来い。たっぷりと時間を掛けて調べてやれ、尋問が楽しみだ。」


 顎に指を当て薄笑いを浮かべる。すでに十士長の中で犯人の目星を付いたようで、あとはどう自白させるかにを思案しているようだ。



◇◇◇◇◇


「それでは良き出会いを。本日はありがとうございました。」


 最後のお客を見送ったカティアは外の扉に閉店の看板を掛けた。すでに夜は深まり街灯がポツポツと通りを優しく照らしている。


 ここはベルドの街に唯一ある領主直営の結婚相談所だ。その責任者を任せられたカティアがここに来てもう5年になる。最初は慣れなかったハイヒールにも慣れ、シルクの刺繍の施された衣服を纏った佇まいには、自然と気品がその姿勢に現されていた。

 

 いつも通りに戸締りを済ませると、閉めたはずのドアが開きパイプチャイムが来訪者を告げた。


「…こんばんはカティア」


 そこに居たのは新調したローブを羽織ったリースだった。


「あらリース。やだぁ久しぶりじゃないの!? 元気にしてたかしら、貴方からここに来るなんて珍しいわね」


「えぇっ、ちょっとヤボ用ってわけじゃなくて…相談というか…んっ、ちょっと…ねっ」


 少し歯切れの悪い返事に、カティアが何かを悟ったらしくニヤリと笑みを見せる。


「おめでとうリースっ!! やっと決心したのね、それでどんなお相手をお探しで?」


「えっ!? ちっ違うのよ…そうじゃなくて、いや…そうなんだけど、でも…ちょっと違くて、どう説明したもんか…」


「いいのよそんなに緊張しなくたっても、皆最初は緊張するけど直ぐに慣れるから、さあさあ、まずは座って話はそれからよ」


 テーブルに上げていた椅子を降ろすとカティアは嬉しそうに促した。


「ええ、ごめんなさいね。終わった後に」


「いいのよ、貴方ならいつでも大歓迎よ」


 カティアが束ねていた髪を解き、ふわりと降りてきた白髪に幾つもの光線が放たれる。


 すっかり遠慮気味なリースであるが、カティアはリースが思っている以上に親しい間柄だと思っている。


 2人の出会いは1年前、急な研修からベルドの街に戻る際に雇った馬車護衛の冒険者が彼女だった。7日間の帰路で同じ女性同士親しくなるにはそう時間は掛からなかった。


 街に戻ってからも二人の交流は続き、今ではプライベートまで深く過ごせる数少ない友人関係を築けている。


 最近ではカティアの職業上年頃のリースに結婚相手を進めてはいるが、当のリースが当たり障りのない感じにやんわり断る日々が続いていた。そんなリースが突然カティアの職場に現れたことだから、そういう事だと容易に想像が出来るだろう。


 笑みを浮かべるカティアの頭の中で今現在独身男性候補者リストが組み立てられ、彼女に一番相応しい相手をどのタイミングで伝えるか算段を付けていた。


「それでカティア、その…お願いがあってね」


「ええ、任せて。今ちょうど優良物件があってね。本っ当に良いタイミングだったわ。三区のドーラ商店の長男が今朝ウチに相談に来たのよ。歳も貴方と近くてね、何より老舗の跡取りよ。しかも私が個人的に調べてみた所どうやら今まで妹さんの事が心配でいいお相手が出来なったよいうなのよ。あっ、妹が問題ってわけじゃなくて、妹さんの嫁ぎ先が無事見つかって本人もこれを期に落ち着こう思っているらしくのよ。それで今お相手を―」


 矢継ぎ早に言葉を並べられリースが口を挟む隙が無くなってしまった。苦笑いを浮かべるリースにさらに畳みかけるみたいにカティアが続けてくる。


「それでねリース。彼結婚しても妻を縛る気はないらしいのよ。子供さえ生んで貰えれば稼業は信頼ある従業員が皆でやってくれるから、もし続けたい事があるなら本人の意思を考慮するっていいわ。これはもう買い間違いなしよ!! まさに千載一遇のチャンスよッ!! リースどうかしら!!」


「あっ、ごめん…相手を見つけに来たわけじゃないのよ………ちょっとそんな悲しい顔しねいでよ、ちょっとカティアに教えて欲しい人がいて」


 カティアは深いため息を溢した。


「リース。婚活目的でない人にココの個人情報を教える事は出来ないのよ、いくらリースのお願いでもそれは出来ない相談ね」


「…そうよね」


「個人的な興味で聞くけど、誰のことを知りたいの?」


「………ヴィノよ、彼の事知ってるかしら?」


 その言葉を聞いた瞬間、カティアは天井を仰ぎ両手で顔を押さえた。よりにもよって一番聞いてほしくない事を聞きに来るなんてと、カティアはどうしたものかと頭を抱えた。


「う~ん…ねえリース、私と貴方の仲だから言うけど、彼は止めた方がいいわよ。アレはダメよ」


「何か問題があるの?」


「問題と言うかね…むしろソレを私が知りたいくらいなのよ」


「どういう意味?」


 首を傾げるリースをよそに、カティアはテーブルに肘をついた手に頬を載せて語り出した。


「彼…ちょっと取っつきにくい感じの強い人なのよね、でもそれは冒険者だしその辺はそういう人だと割り切っているのよ。それでも問題らしい問題はないし、酒や賭博に溺れてないし、借金もないし。それに娼館の浮いた話もないし、旦那候補としては高ランクに位置ずけられるわね。ただ、ちょっと…ねっ…どう言ったらいいのかしら、これまで私が100人近くの相手を紹介してみたのだけどね」


「えっ!? ひゃ、ひゃく人!?」


「そうなのよ~でもね…最初はお相手も結構乗り気でいるんだけど、次の段取りの為に連絡を取ろうとするとね…音信不通になったり、突如向こうから断ってきたり、酷い時なんてその日の内に泣いて退会までしていった人もいたわ。何故か彼を指名した女性が全員離れていくのよね。この前なんて彼に直接お会いしたいと勝手に手紙を出してきた娘がね、当日急にドタキャンしたのよ…私たちもどうしていいのやらほとほと困り果ててる次第なのよ」


「そうなの…でも、そんな事が続いてるのに彼はどうして婚活を続けてるのかしら?」


「ああ、それね。たしか…なんとかの呪いがどうとかって言ってたけど、その呪いを解くのにお嫁さんが必要なんですって」


「はぁ? 何それ? もしかして解術の為に自分の嫁を生贄にでもするつもり!? そんなのって、ねぇカティアまさかそんなの事に協力してないわよね」


 怖い顔のリースが睨んでくる。


「まさか、ちゃんと死霊術関係はお断りって伝ているわよ。生贄にするわけじゃないって言ってたし、そこはちゃんと厳しく審査したから大丈夫よ。それにお嫁さんを故郷の村に連れて行って暮らすだけで呪いが解けるそうよ。あとはちゃんと責任を持って面倒をみるって言ってるから、簡単に言って目的はお嫁さんを連れて帰郷する事みたいよ。おっとこれ以上は守秘義務に抵触するから言えないわ」



「…呪いね…アイツが…」


 遠い目で思案を巡らすリースにカティアが釘を刺してきた。


「リースっ、危ない男に手出すと痛い目に合うわよ。それに貴方にはこんな大きくて強力な武器が2つもあるんだから、使わないなんて勿体ないわよ」


「なっ、ちょっと。そうやって胸を揉むのやめてくれないかしら。嫌な事を思い出すから」


 ローブの上からもその存在を強調してくる2つの山を鷲掴みにするカティア。自身の掌からこぼれ出す存在に畏怖と嫉妬を込めながら揉みくちゃにしてくる。


 ふざけていると分かっていても、そのいやらしい手付きに数日前にマッシュに乱暴に揉みくちゃにされた記憶が蘇ってくる。本気で嫌悪感が湧いてくるがそれを知らない彼女にぶつける気はなかった。


 親友に要らぬ心配を掛けたくないのがリースの本心だ。自分の胸を上下に揺らしながら遊ぶ親友を窘めて、しばらく雑談をすませるとリースはカティアの職場を後にした。


 リースを見送ったカティアは残っていてた後片付けを済ませると、後は最後の入口の扉を閉めるため受付室に向かった。


 部屋の壁に掛けてある鍵に手を伸ばそうとした所で動きを止めた。カティアの直ぐ後に霧のような黒い影が出現すると、それが人型へと変化した。


 カティアは背後の存在に気付いていても、顔色一つ変えずに言葉を発した。


「戻ったの? 随分と遅かったわね。ここに来たって事は何か問題でもあったかしら? あのマッシュとか言う男はちゃんと殺せたの?」


『問題はない。ちゃんと終えてきた』


 それは男でも女でもない声で、黒い影は淡々と答えた。


「そう、問題ないならなぜココにいるのかしら? この建物内に入るなっていたはずよね」


『さっきのあの女、どうする?』


「質問に答えなさい」


『問題になるようなら、また我が動くぞ』


「勝手な事しないで。それと質問に答えない。余り舐めた口でほざけばくびり落とすわよ」


 カティアの手元で黒々とした魔素が渦巻始めた。


「本気よ。私は」


『我は配下でない。故に従う義務はない。あの女が邪魔になるなら、また排除するのみ』


「私の許可なく勝手な事をしたら、それはあの方に対する不敬に値するわよ。私はあのお方の忠実なる下僕しもべ。あの方の命令を遂行し無能な部下を諫めるのが仕事ななよ」


『我は無能ではない』


「それなら余計な口は慎みなさい。それに彼女は大丈夫よ。ただ好奇心旺盛なだけよ、今までにないタイプの異性に興味が向いてるだけ。実害がない内は静観するだけよ。余計な事をしたら、私をはじめ『蒼月の眷属』を敵に回す事になるわよ」


『………実害があればいいのだな』


「愚問ねッ!! その時はあの方の命令を遂行するだけよ。だから―」


 不意にカティアが振り向くと、黒い影は消えていた。


「犬は犬らしく黙って主人の命令に従ってなさい」


 存在が消えた部屋で一人佇むカティアは笑みを浮かべていた。その場の空気が一瞬で凍りつく程の、怖気の走る冷たい微笑だった。

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