第21話 漆黒の乙女

 昼を過ぎようやく酷い頭痛が軽くなったリースは冒険者ギルドに足を運んだ。報告が大分遅れてはしまったが、顔馴染みの職員に理由を伝えて何とか今日中に報酬だけでも貰っておきたいと思っていた。


 あのヴィノにギルドに報告する言っておいて、結局丸一日無駄にしてしまった。基本的に報酬の受け渡しは全員の報告が完了してから支払われる。今回は2名死亡し1名が負傷で治療中であるため、報告義務はヴィノとリースの2人になる。


 恐らくヴィノの方はもう報告は済ませているはずだから、待たせておくわけにもいかなかった。


 それにあの夜の森での行為も早く報告して、生き残りのマッシュに厳重な処罰を加える必要がある。


 そう思うと自然とリースの足が早まった。


「リリーお疲れ様。遅くなったけど今回の討伐依頼の報告に来たわ」


「あっ、リースさん…」


 リースに声を掛けれたリリーが、慌てた様子で彼女に駆け寄ると恐る恐る顔や身体を触り始める。


「リースさんあなた…死んだんじゃないんですか? 本当にリースさんですか? 何があったんですか一体? あの、ヴィノさんは一緒じゃないんですか?」


「えっ!? どいう意味? アイツは一昨日の夜に別れたっきりよ。てっきりアイツがもう報告を済ませてると思って来たんだけど。まさかまだアイツ来てないの?」


「いえ、来ました。来てましたけど…『鋼の旅団』のライリーさんがここに押しかけて来て、そしたらヴィノさんが来たと思ったら、突然魔術師ギルドがから来たコリンさんに拘束されてライリーさんと一緒に連れていかれちゃって、それ以降向こうから何の音沙汰もなしなんですよ。おまけに『鋼の旅団』の副代表やメンバーから苦情が来るわ、こっちのギルド長からの連絡も全部無視するわで大変なんですよ。今からそっちのギルドにうちのギルドマスターが伺うみたいですけど。そっちで一体何が起こってるんですか?」


 矢継ぎ早に話してくるリリーの内容に、リースはただただ困惑するしかなかった。ただでさまだ頭痛が続いている上に、説明不能なこの状況をどう整理すればいいのか思考が追いつていない。


 考えれば考える程、両こめかみに鈍い痛みが強まり考えがまとまらない。


「ええっと、リリー…順番にお願い。私今ものすごく頭がいたいのよ…だから悪いんだけど最初から説明してくれるかしら」


 元々リリーは受付嬢としてそれなりに上手く立ち振る舞ってはいるが、気持ちが高ぶったり焦ったりすると感情が先走ってしまい説明がまとまらなくなってしまう傾向がある。


 本人もそれを自覚していて、リースの言葉に一度深呼吸をして居住まいを正してみる。


「わかりました。まず最初から説明します。リースさんが死んだんです!!」


「………ごめん、最初から意味わかんないわ」


 態度は良くても気持ちは穏やかでなく、結局最初から意味不明の説明になった。



◇◇◇◇



 中央大陸の国の1つにウィルゴール・リブラと言う国家がある。この国は大陸で一番古い歴史がり、そして生きる神話が存在している国でもある。

 そして『光の聖都』と呼ばれる神域に国府を置いて行政を行っており、ここでは政治の上に宗教が君臨している宗教国家でもある。


 又、この『光の聖都』は中央大陸最大の超人口過密地帯でもある。人口十万人で一国と認定される世界の中で、『光の聖都』では28の地区で区切られて、その1区の人口が100万~1,000万人程度が集っている国家並みの人口密集地区だ。しかも全ての住民がこの地で崇拝しているフラーム神の信者達でもある。


 ここでこのウィルゴール・リブラがなぜこれ程までの超大国なれたのか、その理由は『光の聖都』には唯一生きる神が存在しているからだ。まだこの場所に国が存在してなかった時代。この地に十三神柱の主神『フラーム神』が降臨し建国したとされている。


 それまで神話の中の存在で実態のない神が、何故この世界で実態を持つ事が出来たのか、それは『聖母』と呼ばれる存在の身体を依り代にする事で、この地で神が肉体を持ち統治する事ができた。


 そして肉体が限界を迎えた時、次の聖母の肉体へと移る事で何世代に渡ってフラーム神が人々の前に降臨し、信仰の対象になってきたのだ。


 この事によりフラーム神の信仰は瞬くまに大陸全土へと波及し、信者が集い信仰がより強固になっていった結果、中央大陸最大の宗教国家『ウィルゴール・リブラ』が誕生した。


 ウィルゴール・リブラ『光の聖都』の最中央区にある巨大な神殿、高位神官以外立ち入りが禁止され聖職者の総本山として鎮座するペテナ神殿。


 この神殿を訪れる者は最初に目に入る神殿前の広大な庭園に言葉を失うだろう。

 

 厳粛で厳かな雰囲気を漂わせるこの神殿の庭園は、絢爛豪華な街並みを『動』と表すならこの神殿は『静』を表しているかのようだ。敷地に植えられた木々達と一緒に建つ岩の建築物は苔に覆われているが、そこに人の生活痕が見られた。

 

 敷地内を網の目のように小川が流れ、小魚や虫たちが集まっている。その脇にある整備された路面の上を神官達が歩く光景は、自然と人並の生活が上手く調和がとれている。


 そして足元の脇で咲き乱れる花々から甘く瑞々しい香りが風に乗って漂ってくる。この場所に一歩でも足を入れた者達は、皆口々に自身が書物で呼んだ『楽園』がそこに存在していると、歓喜な衝動を味わうのだから。


 そんなペテナ神殿の入り口に、一台の馬車が止まっている。その馬車の昇降口の脇に並ぶ神官や修道女達の前を、二人の侍女を従えて美しい女性が歩いている。


 長い黄金色の頭髪に陽光が照らされ、端正な顔立ちを引き立たせる薄青の瞳、そして黒い純礼服の袖から伸びる白雪肌のような手足を揃えた彼女は、出迎えた神官たちに対し軽く会釈を見せた。


 美しく人形のような出で立ちで、優雅に挨拶を示したその瞬間、何人かの神官が圧巻の声を漏らした。

 

「お見送り感謝いたします。フィリカ・スンディア・フラームはこれより巡礼に赴きます。巡礼に伴い家訓に従い家名を棄て巡礼名である『レベッカ』に戻り務めを果たして参ります」


 その柔らかな声音に聞き入ってしまっていた神官がハッとする。


「漆黒の乙女フィリカ様。我らフラーム神官『神月の使徒』一同は貴方様の無事な帰還と更なる成長を心よりお祈り申し上げております。どうかご無事で」


「はい、恐れ入ります。マサイヤース一等神官長様」

 

 挨拶を済ませ馬車に乗り込むと、ほどなくして出発した。その前後は数名の近衛騎士隊が護衛している。


 馬車内はフィリカ改めレベッカが座るソファーの前に2人の侍女が座る。一人は小麦色肌に銀髪のダークエルフ族のオルフェンと、獣耳と尻尾を生やしている戦闘山猫族のネネ。2人もレベッカ程ではないが、十分美人なエルフ族と獣人族だ。人間的外見で見れば、オルフェンはレベッカよりも少し年上の姉と言った感じで、ネネは逆に妹に見える感じだ。


 それでいて二人はメイド服を着こなしながらも周囲に注意を飛ばしている。ただの侍女の雰囲気ではない。


 やがて神殿区域から城外へ、そして中央区を出て内周区、外周区を出るとようやく国境検問所を通る事ができた。


 ここで護衛の近衛騎士達とは別れる事になる。彼らの護衛は国の中までなのだ。慣例にしたがい巡礼に護衛はつかず身を守るのは必要最低限の護衛、つまり侍女彼女達だけとなっている。


 検問所を出るまでにおよそ半日を費やした。国外に出た時には既に夕闇が辺りに掛かっている。本来なら野営の準備をするはずだが、構わず馬車は走り続ける。


「いや~いつ来ても神殿内は堅っ苦しくて肩が凝るニャ」


「ネネ、気を抜きすぎよ。消音結界は施してあるろとはいえ、そんな態度を誰かにでも知られたらレベッカ様に迷惑がかかるのよ。それに今回私が侍女長を務めてるのですから、貴方は私の指示にしっかり従いなさい」


「わかってるニャ~オルフェン。指示には従うから安心してニャ。でも、最後は姫っ…ええっと、レベッカ様の命令が優先ニャ。そこは譲れないニャ」


 そう言うとネネは襟元の上ボタンを外し襟首を指で緩め始めた。ネネは過去の出来事で首に何かが巻かれる事に強い嫌悪感を感じてしまう。レベッカもオルフェンもそれを知っている為、公式行事以外は本人の好きにしていいとしている。


 だから、ネネの態度にオルフェンは気にも止めずに話を続けた。


「結構それでいいわ。ではレベッカ様。遅くなりましたが『影』たちからの定期報告です。北、南、東大陸に特段変わりはありません。しかし、数日前から西大陸の旧ウーゴ国のぺテル三国間で衝突が起こりました。長期化の懸念が上がってきております」


「あの国はダメダメニャ、ウーゴ打倒で結束して倒したまではいいけど、後始末までしっかり考えてないから、結局こうなったニャ」


「独裁者亡き後、それを統治できる実力者はなく、民度も低かったのよ。圧制の解放と自由主義に翻弄された犠牲者でもあるわ。残念な事ですが、このまま何も変わらずに共食いが進めば周辺諸国から征服取り込まれるしか未来はありません。それとネネ…私は今レベッカ様と話してのよ。口を挟まないでくれる。いや、黙ってなさいッ!!」


 冷気を帯びた視線。緑の瞳に鋭く睨まれたネネは咄嗟に耳を垂れさせ服従のポーズをとった。心なしか足が小刻みに震えてる風に見える。


「オルフェン、ぺテル三国はこのまま静観します。時期を見て『鳩』を潜らせて主要人物達と接触してくれるかしら。その後は貴方たちの計画通りで構わないわ」


「「かしこまりました」ニャ」


「ニャ。ところでレベッカ様、どうして急に巡礼に行く事にしたのかニャ。そんな予定計画にはなかったはずニャ」


 レベッカは無言のままオルフェンに目配せを送った。意図を汲み取ったオルフェンがネネに説明をする。


「ネネ、今回の巡礼に関して詳細は教えてませんでした。この巡礼はある方を引き取りに行くための口実です。とても慎重に事を進めなければならないお方な為、残念ですが今は情報開示はしません。言ったとしてもネネが余計混乱するから詮索もダメよ。時期が来たらちゃんと教えるからそれまで我慢しなさい」


「む~、ネネだけ仲間外れニャ…でも仕方ないニャ。まだまだ信頼足りないから仕方ないニャ」


「そんなことはありませんよ。私にとってネネも大事な家族よ、だから安心して。それとオルフェン、諸外国の情勢はわかったわ、あと身内では何かあるかしら? 昨日お母さまと何を話していたの?」


「はい、それが…昨晩奥様から言付けを頼まれまして、いつまで『乙女』のままでいるつもりなのか、『聖女』に上がる気が無いのなら嫁ぎなさいと申しておりました。巡礼から戻り次第幾人かの候補と顔合わせを行うとのことです…」


 遠慮なしか口ごもるオルフェンの言葉をレベッカは無表情のまま聞いている。まるでそんな話には興味はないかのように。


「うわ~いくら格式ある家でも雌を駒としか思っちゃいないニャ。それにレベッカ様が雄とつがいになるなんて想像できないニャ。けども、もし番になるならネネはその雄に興味がわくにゃ」


「それと、ラトミアッズ帝国の第6王子からまた文が届き、ぜひ愛妾あいしょうとして来てくれと書かれてましてので、念入りに燃やしておきました」


 オルフェンの冷めた声の後に、馬車全体を振動させるかのような殺気が渦巻いた。激高の如くネネが毛を逆立たせ牙を剥きだす。


「例の盛りの付いた駄犬がぁ!! たかだか数百年程度の一国のクソガキが、ウィルゴール・リブラの乙女を愛人に寄越せだとニャァ!! どの口がほざくニャ!! オルフェン!! その駄犬しつこいようならネネ達が始末するにゃ。〇〇〇〇で△△△△△して奥歯ガタガタ言わせてやるニャ。どうせ、姫っじゃにゃかった…レベッカ様の名声と影響力が欲しいだけニャ。あのクソ王子『聖女』になる前に自分のモノにする気が見え見えにゃ、これだから帝国の王侯貴族は好きになれないニャ」


「オルフェン、他には」


 怒り心頭のネネをなだめる事無くレベッカは続きを促す。自分の事を言われているに、顔色を変えずに聞き続ける姿は何処か他人事の様な感じさえ見える。


「…相変わらずの鉄仮面ニャ…」


 その態度にネネは興が醒めてしまった。レベッカの侍女兼護衛について日が浅いが、それ以前にも別役で何度か対面して彼女の人となりは知っている。


 しかし、知れば知る程レベッカは理解しがい不思議な人間だと思い知らせる。その1つが感情だ、ネネは今まで一度もレベッカの感情の変化を見た事がない。


 もちろん会話での意思疎通は出来るが、声以外の感情が読み取れないのだ。まるで喜怒哀楽全てがすっぽりと抜けて落ちたそんな感じなのだ。


 最初の頃、そんな雰囲気のレベッカにネネは不気味感を持っていたが、幾度か行動を共にすると不思議と慣れに近いように空気を読むかのように、少しずつ気持ちを読み取る事が出来るようになってきた。その頃には内心抱いていた不気味感は消滅した。


 変わりにそのミステリアス感ある雰囲気に魅了されて、好奇心を刺激された子供のようにレベッカに近づくと、彼女の変わりに気持ちを代弁し始めた。


 だから先程もレベッカの変わりに怒りを見せても、彼女は本当にそんな事を気にしていない事に気づいてしまったのだ。


 聖職者として一人の女性として、最大の侮辱を言われているのにも関わらず反応を示さない。


 レベッカの怒りの沸点は一体どこにあるのかと思案していると、突然後頭部に鈍い痛みが走った。


「痛いニャ!」


「ネネ、口が下品よ。それに侍女であるならそんなはしたない言葉を口に出してはいけませんよ」


「相変わらずオルフェンは…もう少し加減してほしいニャ」


「貴方がちゃんとしていれば問題ないのよ。問題を起こすからこうなるのよ。少しは反省しなさい」


「反省もなにもネネはレベッカ様の為を思っ、痛っ」


 緑瞳で睨みをきかすオルフェンに再び叩かれる。


「そういうところよ。いい加減学習しなさい」


「ううぅ、酷いニャ~」


 向かいのソファーで二人のやり取りを眺めているレベッカは、二人の姿を8年前の光景と重なって見えてきた。


 初めての巡礼に護衛兼侍女としてついて来た元騎士と元冒険者上がりの二人の姿が、オルフェンとネネに重なるとレベッカの心中に哀愁の情が湧いてきた。そして二人の隣に薄っすらと視える無骨な男の影が1つ。


「………ヴィノ………」


 二人の耳に届かない程小さく呟く。そして流れゆく外の景色を眺めながら、今度こそはと決意を新たにした。

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