第20話 失われた秘術

 陽光が差し込んだ部屋の中で、独りベットに包まりながらリースは眠っていた。段々と部屋を照らす光が伸びて顔に掛かると、それから逃れようと顔を背ける。


 しかし、顔を動かした事でそれまで納まっていた酷い頭痛が再開してしまった。不機嫌そうに瞼を擦り目を覚ますと、タチの悪い精霊に乱暴に頭を叩かれているかのような頭痛が響いてくる。


「いたたたたっ、気持ち悪いぃ…最悪…」


 今起きたら間違いなく吐くだろう。しかめっ面でこめかみを手で押さえながらリースは思った。しばらはくベットから起き上がれる状態じゃない、むしろ起き上がりたくもない状況だ。


 酷い頭痛に襲われながらリースは昨日の事を思い出す。あれは魔術師ギルドに戻ってすぐ、ギルドマスター補佐のレイチェルに報告をした時だ。


 事態の深刻さに気づいたレイチェルは直ぐにギルドマスターを叩き起こしリースの報告を告げた。


 ギルドマスターのエカシ・ラ・パッシュラはリースの報告の裏付けを確認する傍ら、リース本人からの詳細を確認する事にした。


 変な汗を掻きながらの長時間の質問攻めから解放されたのは、東の空が薄明るくなり始めた頃だった。


 それから清めの為の沐浴を済ませると、リースの上司にあたる翡翠班補佐のコリン・クローネから清めの酒を差し出された。


「今回は災難だったわね。後は私たちに任せて貴方は清酒コレで清めて休みなさい」


 コップ半分入った清酒を受け取ると一気に飲み干した。喉を焦がす度の強いアルコールが胃に流れ込み身体の芯がほんわりと熱を帯びてくるのを感じる。


 やけに強い清酒だな?と、首を傾げてみるがそれ程気にする様子もなく自室に戻りるとベットの上で死んだように眠りについた。


 それから数時間後―


「………気持ち悪いわ………はっ、吐く…うぅ」


 込み上げてくる嘔吐物を出すまいと口を手で塞ぐ。喉を昇ってきたモノを何とか嚥下反射で下へと戻す事が出来たが、胃酸で咽頭部を焼かれ軽く咳き込んだ。


 しばらくベットの上で悶絶した後、吐き気は何とか納まったけども強烈な喉の渇きに襲われた。


 今すぐ水が飲みたい、飲めなくてもこの口の中に広がる不快感を払拭したいからせめてうがいだけでもしたい欲求が沸き起こってくる。


 しかし、少しでも身体を起こせば再び襲ってくるであろう頭痛と吐き気に、リースはこの地獄のような時間がまだしばらく続くのかと思うと気が滅入る。


 丁度その時、ドアの向こうから軽快な足音が聞こえるとノックもないまま勢いよく部屋のドアが開かれた。


「リースお姉さま!! 起きたのですね、待ちわびておりました。聞きましたよお姉さま!! ゲスで野蛮な男達に操を奪われる所だったっと」


 黄色い声を上げながら飛び込んできたのは、魔術師ギルドに所属する新人魔術師の『リュー』と呼ばれる兎人族の少女だった。


 薄紫のローブを羽織り白く長い兎耳をぴょこぴょこさせながら、深紅の瞳を煌めかせながら迫ってくる。半年ほど前15歳で成人の儀を終え魔術ギルドに入った娘だ。まだ子供らしい性格で、リースがギルド内で行われる新人研修の講師をしてから偉く慕われてしまった。


「でも大丈夫です。お姉さまが例え汚されても、私がお姉さまをお慕う気持ちに変わりはありませんわ」


「…ごめん…リュー…ちょっと静かにして…頭に響くから…それと悪いんだけど水を…」


「まあお姉さま!! 私の声がお姉さまの所に響いているなんて、私感激です。お姉さま!! お姉さまっ!!」

 

 真っ青な顔をしているリースのベットに飛び込むと、腕を首に回しスリスリとまるで猫のように頬を擦りつけてきた。


「さあ、お姉さま。丸一日お休みになられたんですから、まずは起きてそのお召し物を着替えましょう。お手伝い致しますわ」


 起こすついでにどさくさに紛れてリースの首に鼻を近づけてクンクンと鼻息をたてる。


「ハア、ハアっ補充…じゃなかった、少々匂いますので、湯あみが必要ですね。ではお姉さま起きて下さい。そして私が湯あみをお手伝いいたしますね」


 「?…へぇ…まってリュー…お願い待っええっぇえぇeEaEEaEaeAeeee」


 有無も言わせぬままリューに上体を起こされると、噴水の勢いの如く別のモノも一緒に込み上げて来る。


 そして―


「あばあばああ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ……」


 限界を悟ったリースは抵抗を諦め、リューのうなじからローブの中へと噴き出し放流を始めた。背中に生暖かいモノを感じたリューは一瞬何が起こったのか理解出来ずに固まった。


「うぐうぅぅううううううっぅぅぅうぅぅ………」


 さらに追い打ちをかけるように第二波が到来する。嗚咽と一緒にまた背中に温かい濁流が流し込まれた。全てを出しきったリースがリューの肩に力なく埋もれている。


 沈黙が流れお互い微動だにしないまま、部屋の中に気まずい雰囲気と重い空気に包まれる。


 

◇◇◇◇◇



 リースが目を覚ます数時間前、魔術師ギルトの会議室ではギルトマスターを始めとした重鎮や各上級役職員が集められ、張り詰めた空気が漂っていた。


 重厚な円卓テーブルに隙間なく腰を降ろす役員達は昨晩コリンが徹夜で作成した報告書に目を通し深いため息を溢していた。


「本当にここに書かれている事は事実なのか、禁止霊薬のマカザリ・アガヤの密売村に、クラン『鋼の旅団』メンバーによるリース・シャフスクに対する強要と暴行に加え、このマカザリ・アガヤをリースに使用とは」


 ギルドマスターの隣に座る副ギルドマスターの言葉に、末席に座るコリン・クローネはひと言『はい』と返した。


 その返事に円卓テーブルに座る全員の顔が暗くなった。椅子に座る割腹のいいデブな男が、ハンカチで額と頭の境界線が無くなったおでこに浮かぶ汗を拭いだす。


「…これは対応を間違えると我々に火の粉が飛んでくるやもしれんな。よりにもよってマカザリ・アガヤとは」


 その言葉に円卓テーブルを囲う面々が口を開きだす。


「何を仰っているのかしら、こちらは被害者ですよ。リースは彼らの誘いに真っ向から拒否を示し、そのせいで暴行をうけたのだらか非は全て向こうにあります。こちらに責任など一切無いではありませんか」


「問題は臨時とはいえ混成パーティーを組んでいたことだ。下手をしたら連帯責任でこちら側にも責任がくるかもしれん」


「その時は堂々と身の潔白を主張すればいいわ。こちらは疚しいことなど何もないのだから」


「甘いな。冒険者ギルトがそこまで温いはずなかろうが、向こうにも面子がある。刑罰の均衡等と言って全員に沙汰を下すに決まっている」


「ならその時はこちらも動くしかないわね。ギルドに派遣する回復魔術師を控えるとでも言って脅せばいいわ。それか向こうに卸している回復薬の供給を止めて連中の顔を青くしてやりましょう」


「そんな脅しなんざ向こうは日常茶飯事さ、傷が深くなる前に尻尾を切っちまった方が無難だぜ」


「おかしいわね。そこの商人は何を言ってるのかしら? 私には今見捨てろって聞こえた気がするわ。まさかそんな戯言がここで聞こえるはずないわよね」


「気に入らん。こんな些末な問題で何故我々が頭を痛めねばならんのだ」


「リスクが利益を上回る前に手を打つのは常識だぜ。それに傷は浅ければ浅いほど予後は良好なんだぜ。まあその眉間のシワは手遅れだけど」


「あら消し炭なりたいのね。いいわ喜んで手伝うわよ」


「まあまま皆さん落ち着いて」


 紺のベレー帽を被った男が両手でパンっと叩くと一同口を閉じた。皆の視線が整えられた口髭を生やした優男に向いた。この部屋で唯一右胸に刻まれる鷹の刺繍によって、高位の人物であると伺える。


「皆さん結論を急ぎ過ぎですよ。ねぇコリンさん、実際冒険者ギルドはどの程度まで把握してるのかな?」


「はい、ベクター卿。色々探りを入れましたが冒険者ギルドは今回の件に『霊薬マカザリ・アガヤ』については把握されておりませんでした。今の所よくあるパーテー内での重要案件と認識しています」


「重要案件?」


「はい。今我々が保護しているヴィノと名乗る男が起こした案件です。『鋼の旅団』に所属している3名の内2名の殺害と1名に対する暴行です」


「ああ、この資料にあるスカウト猟兵とかいう職種ジョブの彼か。始めて聞く職種だが彼が今回の騒動の元凶であるなら責任は全て彼にあると言う事か。それなら『マカザリ・アガヤ』について誰にも話せない様に洗脳を施して、直ぐに向こうに引き渡せばいいのでは」


「お言葉ですがベクター卿」


 コリンの眉が吊り上げり、声に軽い圧がかかる。


「資料にある通り、彼は私の愛弟子を甲冑蜂蜘蛛ティエグルスパイダーに捕食される寸前から助け出し、例の3人組から受けた暴行と甲冑蜂蜘蛛ティエグルスパイダーの毒を治療してくれました。私個人の意見以外にも、ここにいる者達は同胞を救ってもらいその恩に報いる事無く仇で返す事は承服しかねます」


 コリンの意見に『当然だ』とばかりに魔術師達が頷いてみせる。だが数人の上職員や専属錬金術師・役員商人達はバツの悪そうな顔をしては目を泳がせている。


「そんなに目くじらを立てないでくれ。せっかくの美人が台無しだ。私は一番安易で愚かな選択を言ってみただけだよ。もちろん君の意見に異を唱える気など毛頭ないさ。私が聞きたいのは優秀な君の事だからもう既に手を考えているんだろう。それを教えてくれないか」


 担がれたのかと溜息を溢した後に、コリンは柔らかい口調に戻して話を続けた。


「幸いな事にこの禁止薬草について知っているのはここにいるメンバー以外にリースと保護対象のヴィノに加え、鋼の旅団のごく一部です。すでに鋼の旅団の団長とは話をつけておいります。この禁止薬草については条件付けでこれ以上触れない事となりました。条件内容を簡潔に申しますと、死亡した2名については名誉ある死とする事と、救護院で治療中のマッシュにつて不起訴にする事となりました」


「随分と向こうにいい条件を飲んだようだね。我々にそれを飲むに値する価値があるんだろうね?」


「はい。勿論です」


「それは何かな?」


「神代の時代に栄えた『失われた秘術ロスト・サイエンス』です」


 その言葉に一同騒然となった。


「馬鹿な、あれはおとぎ話だぞ」


「何を言ってんるだ。あれは実話だ。ちゃんと文献にも残っているだろうが『神代の時代、人は神秘の魔道具を駆使し神に挑んだ』とな。古代人は皆我々とは違う種の魔法が使えたと」


「たしか…神秘の魔道具と伝わってるけど、文献には多種多様な言語を全て理解する事が出来、世界の果ている人と話が出来、光より早く手紙を届ける事が出来ると、それに風のように走る馬車に乗り、音よりも早い鉄の鳥を乗りこなし、オクトパスよりも深く海を潜り続けられると」


「そんな事は私でも知ってるわ。そして古代人は星を渡る船を造り『星渡り』を行った事で、神々の逆鱗に触れたとされているわ。地上を制し、海を制し、空を制した古代人の支配欲はその手を神界にまで伸ばした結果、触れならざる領域に触れてしまい終焉を迎えたと」


 騒然とする室内で、ただ一人沈黙を続けていたギルドマスターのエカシ・ラ・パッシュラが口を開いた。


「コロンよ。その者が『失われた秘術ロスト・サイエンス』を使った、その証拠はあるのか?」


 金糸の刺繍入りのローブを羽織る初老の賢者で、肩まで伸びる白髪と窪んだ目の奥から射貫くような強い視線がコリンへと向けられている。


 その威圧感に皆口を閉じる。


「はい御座います。詳細については私よりもこちらにいる錬金術師の彼が説明致します」


 隣に座る若い男の肩を叩くと、彼はおもむろに席を立った。


「どうも。錬金術師のキース・ハンコックです。えっと、この場を借りてご説明させて頂きます。まず始めに、リースさんから頂いた情報を元に例の『ばっくどらふと』となる爆裂魔法の再現をフラスコ実験室で縮尺実験を行い見事再現する事が出来ました。魔素や魔力を持たない私でも使用する事が出来た事に大変驚くと共に、心底感動致しております」


 どこか高揚感に浸るような表情がまざりはじめた。周りに座る数名はお前の感想など聞いちゃいないっ、と言いたいげな顔を向けている。


「そして決定的な証拠はコレです」


 そう言ってキースは円卓テーブルの上にリースが村で採取した石礫のような物と、それと同じ石礫が幾つも入った瓶を置いた。


「こちらにある1つは今回リースさんがあの村で回収したモノです。そしてこの瓶の中身はとある場所で私が採取したものです」


「それが何だっていうのさ、もっとわかるように説明してくれないかなハンコックさん」


「実は近年になって、神代の時代の秘術が武器として使われたのではないのかと囁かれておりまして、それで私が個人で調べておりました。これはその証拠物品なのですよ」


「おい、そんな情報初耳だぞ!! 本当なのかそれ? いつ? どこで使われたんだ?」


「皆さんは8年前の『グロリア・カンニバル・ロード』はご存じですよね。これはあの『死神の角笛』で死んだ兵士達の体内から採取したものです。調べた結果この石礫のようなモノは全部同じものでした。リースさんの報告では『死神の角笛』の現物は見ていないそうですが、その威力は自身の眼でハッキリと目撃したそうです。記録の残っている通りの状況でしたよ。ちなみに高度な鑑定眼をもってしてもこの石礫の材質が不明でして、それに鑑定すると説明できない魔素の乱れが8年経過していても起こっています」


 全員の視線がその瓶に集まる。幾人かは鑑定の魔眼を使い鑑定してみると、確かに正常とは言えない不自然な魔素の歪みが起こっている。


「馬鹿なっ!! あり得ないだろうっ!! たかが盗賊シーフ崩れのあの男がか? おそらく何処かのダンジョンで偶然手に入れた似た角笛か何かだろう」


「しかし、彼は実際に爆裂魔法の発生要因を理解してリースに教えているわ。それはどう説明なさるつもりなのかしら?」


「愚者に知恵を与えた者がいる」


「その『死神の角笛』が本当なら、これからの戦局が一気に変わる存在だ」


「…皆、静粛に」


 再び騒然とする中で、ギルドマスターが右手を上げて遮らせた。


「話の腰を折るようで悪いがコリンよ。お前の本当の目的を申してみよ。まさか愛弟子の恩人だから保護するだけと本気で思っておるまいな。失われた秘術ロスト・サイエンスの知恵を持つあの男をお前はどうする気なのだ?」


 ギルドマスターの問いの後、しばしの間が生まれた。コリンは視線を逸らさぬままギルドマスターと目を合わせている。

 その瞳に迷いはなく、ただ決断と覚悟を宿したままコリンは自身に注がれる皆の注目が最高潮に達するのを待っているのだ。


 彼女の言葉を、返事を、今か今かと皆が期待して待っているのだ。


「私は、彼を―」


 そして、続くその口から彼女の本当の目的が告げられた。

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