第19話 夢の回想
深い森の中をポンチョを着た一人の男が歩いる。濡れてる足場の悪さを気にする様子もなく、器用に草木を避け横に伸びる枝を折ることなく森を進んで行く。
しばらく進んだ所で男は足を止めた。しばらく鼻で辺りの匂いを嗅ぐと、先程までの進行から左に向きを変えまた進み始めた。
漂う空気に水分が多く含み始めると、やがて森の草木は苔へと変わり辺り一面が苔一色の光景へと広がっり始めた。岩も倒木も、伸びる木々さえも苔に覆われた世界がそこに広がっていた。
男は足元の苔に足跡を残さないよう最大限の注意を払いながらゆっくりと奥へと進み続けた。
どこかで大量の水を含んだ匂いが漂っているのに気づいた。そして風に乗って僅かではあるが、獣臭さも漂ってきた。
漂う方に足を向けると、石の上の苔が少し窪み、湿った泥が若干掛かっていた。それを見た瞬間、男は確信した。
探すべき獲物の痕跡を見つけたのだ。痕跡が見つかれば後は長年の経験とイメージでモーションビジョンを造り上げる。
男が見つけた痕跡の上に、脳内で白い人型ヴィジョンが投影され動き始める。
この場所を通った時の足の歩幅、向き、身体の動かし方に、腕の使い方がまるでそこにソレが存在しているかのように動いて見せる。
あとはその痕跡をヴィジョンで辿り着いていくだけ。そしてそれはこの追跡劇の終わりを意味している。
しばらく進むと一本の倒れた倒木の前で足を止めた。下を覗き込むとそこには小さな湧水が湧き出ている。
透明度は高く虫等は見当たらない、手で軽く掬って口に含むみ、舌でよく味わって確認してから一口飲み込む。
問題なく飲める事を確認すると、 今度は腰に着けていた水筒を外して、蓋を開けて水分補充を始めた。
森の中で水を確保することは難しい。ましてや飲める水を見つけられたという事は運が良かった。
水分補給が終わると男はそのまま立ち去るかに思えた。だが男の視線は湧き水の奥にある倒木の下に向いていた。
「見ツケタゾ」
男がそう言って倒木の下に手を突っ込むと確かな手応えを感じた。思わずニヤリとして、力一杯にソレを掴んで引き摺りだした。
抵抗することなく倒木の下から出て来たのは、黒くヘドロの様なデカい塊が現れ、それと一緒に思わず顔を背けたくなる程のアンモニア臭が漂よってきた。
「10日トハ、粘ッタナ。ヴィノ」
「………チェッ、やっぱりルイス先生にはかなわないよ。今回は自信があったのにな…」
声変わりも終わっていない子供の声と一緒に、黒い塊の中に双眼があるだけで、それがなければ誰もこれが人だとは認識できないだろう。
「今回ハ、始メテ チャーリーノ奴ヲ出シ抜イタゾ。十分ダ。オ前ハ頑張ッテイル。確実ニ成長シテルカラ安心シロ」
ルイスと言う男は硬く大きな手で顔に着いているドロを拭いながら、優しい笑みを浮かべながら労った。
ドロの塊から現れた顔は幼いまだ10歳程度のヴィノ少年だ。
慰めの言葉を聞いてもヴィノは悔しさで彼を睨みつける。まだ幼い顔が残っているが、そのあどけなさを無くように、10日間の過酷な環境で頬はコケて窪んだ眼球に負けじと濃いクマが浮き出ている。
すでに自身の嗅覚は麻痺している為、カサカサに乾いた口から強烈な獣臭を吐く息は苦にならなくなっていた。
「ソウ拗ネルナヨ。コノ2年デオマハ十分スカウトノ実力ヲ身ニ着ケタ。コレナラ次ノ任務ニ連レテイケルハズダ」
「ほんと!?」
期待を抱いた瞳を見開き、表情が緩む。はじめて子供らしいあどけない顔を見せられて、つられてルイスの口元も緩む。
「ダガソノ前ニ、今回ノストーキングトレーニング ノペナルティーガ終ワッタラダ。サァ、身体ヲ洗ッテキャンプニ戻ルゾ。酷イ匂イダゾ。マルデスカンクノヨウダ」
「スカンクって、向こうの先生達の国にいるって言う臭い動物でしょう。俺そんなに匂ってますか?」
「アア。鼻ガ曲ガルゼ。スカンクモ逃ゲ出ス匂イダゾ」
「そこまでじゃないでしょう」
「イイヤ、本当ダ」
そういって水筒の水を頭から掛けて顔の泥を落としてあげる。水に流され一時的ではあるが、嗅覚が戻ると鼻腔内に体臭が侵入するとヴィノはしかめっ面で鼻を摘まんだ。
自分がどれだけ臭いのか自覚したようだ。10日間も身体が洗えず、ここ5日間の排泄は全部服を着たままの垂れ流しだ。言葉に出来ない程のキツイ匂いが辺りに漂っている。
今更だが急に身体を洗いたい衝動に駆られる。すぐにこの服を脱いで裸で川に飛び込めたらどれ程気持ちがいい事だろう。
「先生、身体を洗い―」
「6週間ノ プレコースハ今日デ終了ダ。次ハウォーターチャージトレーニングノ前ニ、少シ早イガ敵ノ殺シ方ヲ教エル。俺達ガ研究シテ造リ出シタ、特別ナマーシャルアーツヲシッカリ学ベ、チームノ中デ皆オ前ニ期待シテイル」
ヴィノの顔が一瞬で暗く冷たい雰囲気に変わった。やっと殺し方を学べる事を喜ぶ半面、腹の奥からドス黒い感情が沸沸を湧き出して来る。ヴィノが欲しがった『殺しのスキル』それがようやく手に入るのだ。
2年前、突然村を襲撃し暴力を強いて蹂躙した蛮族達。逃げる村人を殺され、笑いながら友を殺され、命乞いをする家族を皆殺しにされたあの夜の記憶が蘇ってくる。
絶望の中で死を覚悟した自分の眼前に、電光石火の如く登場したのはルイスを含めたたったの5人だけだった。
明らかな戦力不足だと思いきや、皆見た事のない筒状のクロスボウに似た形状をした武器を持ち、それから高い音が鳴ると同時に蛮族達が糸が切れた人形のようにバタバタと倒れ始めた。倍はいる蛮族達を物ともせずに一方的に無力化したルイスたちの姿を忘れる事はない。
その卑怯とも暴力的ともいえる圧倒的な力の差を、ヴィノは純粋にその手に欲しいと強く願ったのだ。
「ルイス先生、俺は強くなりたい。もっともっと強くなりかたいから、もっと教えて欲しい。先生達の力、やっと俺は手に入れられるんだね。俺、もっと強くなるから。先生のようなスカウトマスターになりたいんだ」
「ハハハッ、ヴィノ スカウトハ称号デモ資格デモナイゾ。スカウトハ生キ方ダ、オ前ガスカウトトシテ生キヨウトスレバ、オ前ハスカウトナンダヨ。決シテ人カラ決メラレルノデハナイ、自分デ選択シナケレバイケナイ。オ前ガ スカウトノヲ諦メナイ限リオ前ハスカウトデアリ続ケル」
「………よくわからい」
「今ハ分カラナクテイイ、安心シロ。俺達ノチームガ、オ前ヲ一人前ノスカウトニ育テテヤルカラ」
「うん。おねがいします先生」
この2週間後、ヴィノは2年前に村を蹂躙した蛮族の集落で始めて人を殺す事になる。
幾通り繰り返し覚えたマーシャルアーツと反復行動で一つもミスなく、躊躇いもなく任務を遂行する事が出来た。ゆっくりと忍び寄り命を刈り取るヴィノが、スカウトとしの初陣を果たした。
「んっ、」
薄明りの中、目を覚ましたヴィノは懐かしい夢の感傷に浸る暇もない程に、目だけを動かして辺りの様子を伺いだした。
ここは魔術師ギルト建物と併用している職員専用の小部屋だ。一人部屋でそれ程広くない部屋の隅に隠れるようにヴィノは寄りかかっている。
そしてベットには荷物と部屋のカーテンを丸めて作った身代わり人形をベットに寝かしいる。万が一侵入者が入ってきた時に、そのままベットの人形に気を取られている隙に背後から先手を打つ為だ。
暗所に目が慣れてくると、少し鈍っていた頭の回転が動き始めて自分が何処にいるのかのかを認識しだした。
4日目の昼に『鋼の旅団』を始末した後、街道は危険と判断して森の中を二人で歩き続け結果、夜には街の門まで辿り着くことが出来た。
門が閉じられていた事もあり近くで野営するかと思いきや、リースが門番に賄賂を渡して入る事が出来た。
リースは一緒に来るよう言っていたが、街の中より森の方が安全で落ち着くと説明しその場で別れる事になった。
次の日、5日目の朝ギルドに行くと普段よりも騒々しい雰囲気になっていた。原因は自分たちが受けた依頼の事だと直ぐに理解できた。
鋼の旅団リーダーらしき男に詰め寄られ、あわや一触即発な状況になった時、入口からコリン・クローネと名乗る魔術師が現れた。
「ああ、そうだった。あの女狐か」
そういってヴィノは首に巻きついている拘束用魔術チェーカーを指で撫でる。この部屋から許可なく出た場合に、首に巻きついた魔術チェーカーが閉まる術式になっている。
「随分と歓迎してくれてるじゃねぇか」
独り口りながらヴィノは静かに五感を研ぎ澄ませ、侵入者の襲撃に備え始めた。
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