第8話 理不尽な一撃
井戸から出たヴィノは静かに蓋を閉めると、その場を離れた。他にも気になる場所を確認しようとしたが、何やらカーズ達の方が騒がしく感じた為先にそっちを確認する事にした。
「呆れた。何手こずってるんだ」
ヴィノのいる場所から約300歩先に篝火に照らされた皆の姿を見つけた。耳を澄ませて聞いてみると、どうやらマーダーベアーをリースの土魔法で捕獲したようだが、今後の展開をどうすのか決めかねている様子だ。
何とかカーズが皆をまとめ武器に
何も危険を冒さなくても、折角土魔法で捕獲してるのだからそのままリースの土魔法を利用して突き刺す為の穴を幾つか壁に開けて、安全に攻撃すれば良いはずだ。
または風魔法で中の空気を外に逃がして窒息させればそれで終わりなのに、何故わざわざ危険を冒す必要があるのかヴィノは理解に苦しんだ。
「
やがて無謀に切り込んで行ったカーズが森へと咥え飛ばされると、やっぱりなと思い溜息を溢した。そして肩に掛けていたショルダーケースを降ろすと蓋を開ける。
「あのままじゃぁ全滅だ。悪いがそれ以上素材を傷つけられるのは勘弁してくれ。コイツを持ってきていて良かった」
そこから出てきたのは黒塗りに塗装されたボルトアクションライフルだった。正確にはボルトアクションライフルに似たヴィノの
その昔、先生達が使っていた小銃という武器のひとつに熱烈な興味を持った一人の賢者が、仲間のドワーフの錬金術師と共同で造り上げた魔鉱弾投擲器だ。
構造そのものはボルトアクションライフルと同じだが、弾頭推進力は火薬ではなく、サラマンダーの
簡単に説明するとボルトアクションライフルの形をしたレールガンライフルの魔法具なのだ。
10発弾倉に8発弾が入ったマガジンを装着させ、ボルトを引き戻して装填する。
マーダーベアーがエドを納屋小屋の壁に突っ込ませると、ヴィノはその場で片膝を立てて座り、その膝に利き手じゃない方の肘を乗せ、レールガンライフルをその上に乗せると利き手の腕を掴んで固定させる。これが先生達から『シューティングスナイパーポジション』だと教わった姿勢だ。
マーダーベアーがリースに狙いを定めた時、吸い込んだ息をゆっくり吐き、そして呼吸を止めた瞬間、トリガーを引いた。
小さく乾いた音が鳴ると同時に電磁波の発生を受けた鋼鉄の弾頭がマーダーベアーの頭部目掛け発射された。
「 いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
丁度リースが無意識に杖を前に出すとそれに合わせる形で弾頭がマーダーベアーの左耳に着弾し、鼓膜を破り脳内をかき乱した所で全運動エネルギーを放出させ硬い頭蓋骨を吹き飛ばした。
ゼロイン調整なしの初弾命中は高度な技でもあるが、これまで人知れず何百回と繰り返してきた基本射撃の感覚をもってすれば造作もなかった。
頭部を吹き飛ばされ下顎と長い舌だけが残ったマーダーベアーは、そのままリースに覆いかぶさる形で絶命した。
下敷きになり、理由がわからないまま固まっているリースの元へと歩み寄る。被っていたフードを外し、仕留めた獲物を確認する。
頭部の損傷以外目立つ深い傷は見当たらない。損傷個所は頭部以外目立つ傷は見られない為、上手く皮を剥げばそこそこの金額になるだろうと考えていると、微かに低いうめき声が聞こえ、マーダーベアーの下を覗き込むと怯えた目をしたリースと視線が合った。
「念のため聞くが、助けを呼んでこようか?」
「…重いから…早くどかしてよ」
「無理だ重すぎる」
「いいから、どかしてよ…苦しいのよ…早く」
「だから俺一人じゃ無理だ。誰か呼んでくるから少し待っていろ」
ヴィノ一人で300キロ近くある巨体のマーダーベアーを動かすのは流石に困難だった。だからこそ誰か助けを呼んでこようとすると、何故か頑なにリースは拒否しだす。
「嫌っ!! ダメぇ!! 絶対誰も呼ばないで!!」
「わがままを言うな。俺一人じゃあどうにも出来ないんだよ」
「嫌、ダメ!! 絶対ダメぇ!! 誰か呼んだら一生恨むからね!!」
「それなら………土魔法で身体の下に溝を作って這って出てくればいいだろう」
ヴィノの助言で溝を作りモゾモゾと動きながら何とか脱出する事が出来た。汚れたローブを軽く叩き、酷く憔悴しきった顔のリースは何処か遠くに視線を送っている。
強いショックでも受けたかのような様子に、ヴィノは近づいて声を掛けた。
「おい、大丈夫か…!?…んっ、この臭いは…」
ヴィノの嗅覚が何かに気づくと、その瞬間。リースの顔が真っ赤に紅潮し、眼光鋭く射殺すくらいの視線でヴィノを睨みつけた。
「成る程、気にするな。ああ言う状況なら
頑なに拒否した理由を悟ったヴィノは気にするな、という意味で言ったつもりだったが、その一言が致命的だった。
段々と顔をしかめ瞳に涙を滲ませて睨むリースが、ドス黒い瘴気のような殺気を醸し出すと身の危険を感じたヴィノは口を
目を逸らすヴィノと睨み続けるリース、二人の間に重たい沈黙が生まれた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「安心しろ、俺は何も見ていない。いや違うな、何も嗅いでいないぞ」
「あ゛ア゛」
プチっと何かが切れた音が聞こえた気がすると、睨み続けるリースの柳眉近くに青スジが走っり肩がぷるぷると震えだす。浅く笑った口角を引き攣らせゆっくり手招きをしてヴィノを呼ぶと、強烈な平手打ちがヴィノの頬に撃ち込まれ仰け反った。
一瞬頭の中で
「…痛いぞ。さすがにこれは理不尽だ」
「うるさいっ!! 馬鹿っ!!」
◇◇◇◇
一体何が起こったのか私には理解できなかった。大きな鍵爪が私に向かって振りかぶられた時は思わず死を覚悟したわ。
恐怖で何もできずにいたけど、あれはただ詠唱も忘れて身体に染み込んだ無意識の動作で杖を前に出しただけだった。
何かをした気も記憶もない。それなのに目の前で突然マーダーベアーの頭が吹き飛ぶと、そのまま私に覆いかぶさってきたのだから、誰かこの不可解な状況を説明できる人がいたら是非教えて欲しかった。
下敷きにされ無我夢中で藻掻いていると、聞き覚えの声が耳に入って来た。それはあのヴィノの声だった。
今までどこに居たのか知らないけれど、隙間から彼と目が合った瞬間、その声が聞こえた瞬間、自分が生きている喜びが込み上げてきて気を緩めてしまった。
自分の下半身に生温かい感覚を感じた時はもう遅かったわ。彼は私を助けだそうと人を呼んでくる提案をするけど、私はそれを全力で阻止したわ。理由は聞かないで、私にも乙女の恥じらい位はあるもの。
不可抗力とはいえこんな醜態を衆人環視の中で晒されたら明日から私生きていなくなる。
だから私は全力で阻止した。彼に悟られないように必死になって、それでも憎たらしい程敏感な彼の嗅覚を誤魔化す事はできずに、結局はバレてしまった。
バレた時は頭の中が真っ白になって、もう何が何だかわからないくらい恥ずかしやら悲しいやら、情けないやら様々な感情が込み上げてきて溢れそうになってきていた。
それを必死に抑え込みながら、どうやって彼の口を封じるか思考を巡らせてみる。お金か、弱みか、それとも色仕掛けで上手く籠絡してみるべきか。いや待って、私そんな経験ないし、コリンさんみたいに男を手玉に取る技術なんて持ち合わせていないわ。
やっぱりここは無難なお金か、でもこんな男にお金なんて払いたくないし、それだったら何か弱みを握るべきよ、例えば乱暴されそうになったとか、ダメダメ。助けてくれた恩人にそんな事できない…待って、そもそも私を助けての彼なの? アレをやったのって本当に彼なのかしら? いやいやいや、今はそんな事考えてる場合じゃないし、ああもうどうすればいいのよぉぉぉぉ!!
思考が堂々巡りを繰り返している内に、沈黙を破るように彼が口を開いたわ。
「安心しろ、俺は何も見ていない。いや違うな、何も嗅いでいないぞ」
えっ、何それ? 私慰めらえてるの? それとも哀れみられているの? 何が何だかわかんないし、自分でも何でかわかんないけど、もの凄く怒りが込み上げてくるのは何故かしら?
そう思った時、すでに私は彼の頬を思いっきり引っ叩いていた。
「…痛いぞ。さすがにこれは理不尽だ」
そんなのわかってる、わかってるわよ。でもそうでもしないと私の気が収まらなのよ。
「うるさいっ!! 馬鹿っ!!」
私の女として尊厳が凄く傷ついたんだから、そのくらい我慢しなさいよ。もう一発ブタれない事を感謝しなさいよ!! 本っ当にもうッ、この男はぁ!!
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