第7話
陽が沈み夜闇が村に訪れると、村の中心から外れた場所でヴィノはマーダーベアーを待ち伏せていた。
今回は村の男衆の協力を借りる事が出来た。森からマーダーベアーの襲来を一か所に絞る為に、ヴィノ達が待ち伏せている以外の周辺箇所を村の男衆が
村長から提供された囮の山羊が疲れてその場にしゃがみ込んでいる。紐に繋がれた山羊の場所から50歩程離れた納屋では、独り見張りに就いていたヴィノの顔に暗い影が掛かっていた。
今夜は風はなく、満月の光が夜の森の輪郭を浮き表してくれている。待ち伏せには絶好な条件だが、相手にとっては最も警戒度が上がる状況だ。慎重で警戒の高いマーダーベアーがこの状況で襲いに来るとは考えにくい。
今夜は来ないだろうと思ったその時、後方から小さい足音が響いてきた。
「交代だヴィノ」
「…あぁ、」
見張りの交代にやってきたカーズと交代すると、ヴィノは村が用意した村民宅に戻ってきた。
ここまでヴィノは支援役として仕事をそつなくこなし、今夜の最初の見張りが終わったら、そのまま朝まで仮眠をとる予定になっている。
本来なら見張り場所からそれ程離れてない場所に簡易のシェルターを設置してそこで朝を迎えるはずだったが、昼間の少女との約束を村長がどこからか聞きつけて、お礼代わりに少女の家を利用して構わないと言ってきた。
最初カーズ達は断ったが、それでも村長は引かずそこに少女の母親が『ぜひ』と笑顔で申してくる姿にカーズ達も折れて了承した。
少女の家は見張り場から150歩程の場所で、家自体はそれ程広くなかった。普段は母親と少女と兄の3人家族で住んでいて、去年まで父親がいたが流行り病で亡くなったという。
玄関扉を開けると、既にマッシュとエドが狭いリビングに大の字で横になっていて、ただでさえ狭いヴィノの仮眠スペースを更に狭くしていた。
おまけに嫌味とばかりに大きなイビキをかいている2人の姿に顔を
リースの方はあの少女にえらく懐かれて今夜は2人で一緒に寝ている。ここで寝なくて正解だった事は言うまでもないだろう。
ヴィノは踵を返すと外へに出た。家の裏に回ると薪置き場の隅で腰を降ろした。そして着ていたローブを脱いで下に敷いた。
背負っていた
リースが最初メイスが入っているのかとヴィノに聞いてみたが、違うと答えその後の詳細は教えなかった。なぜならこれはヴィノにとっての
ショルダーケースを抱きかかえるようして横になるとゆっくりと目を閉じた。
夜風が吹き、鳴き続ける虫の声が意識の中で消えかけていた時、襲撃を知らせる笛の音と鐘の音が鳴り響いた。
「来たぞ!! マダーベアーだぁ!!」
カーズの怒号が響き、エドとマッシュが慌てて扉から飛び出してきた。一息遅れてリースも飛び出すと、その姿を確認した所でヴィノは別行動を開始した。
思ってもいなかったチャンスが到来すると、その場で革鎧を外し、黒いフードを被り嵌め直した手袋の裾を肘まで上げ紐で縛る。すぐに全身黒づくめで影のような姿が出来上がる。
常備用の黒刃スピアダガーナイフを胸、左肩、腰に3本装備する。そして袋から粉末状にした炭を耳裏、両脇、鼠径部に塗りこむ。本当なら直接地肌に塗りたいが、今は時間が惜しい。
塗り終わるとその場で2,3回軽くジャンプをして音がでないとを確認した。
―ヴィノ、スカウトデ生キルナラ。光モノ。鳴ルモノ。臭ウモノは出来ルダケ身ニ着ケルナ。ソノ分長生キガ出来ル―
「はい、先生。俺は死ぬまでスカウトですから」
準備が整うと、ヴィノの身体が夜の闇に同化するように溶けていき、そして夜風と共に気配も搔き消されていった。
◇◇◇◇
低い唸り声を上げるその獣は、自身が仕留めた獲物が横取りされまいと牙を向け威嚇をしていた。
その姿は成獣の羆が小熊に思える程ひと回り大きく、囮の山羊の首をひと薙ぎでへし折ると、その躯に爪を食い込ませている。
強靭な筋力と鋭い鍵爪を持ち、岩をも噛み砕く姿から人々は巨漢の熊を森の殺人獣マーダーベアーと呼んだ。
「皆わかってるな。リース、奴が獲物に執着している隙に動きを止めてくれて。その隙に俺が奴に
「まかせて」
「了解」
「その間は俺に任せろ」
カーズの指示にリースが詠唱を唱えるとその間に盾役のエドが先頭に立って盾を構える。
「
杖の先をマーダーベアーの足元に指すと土が一瞬光り、四肢が地面に沈み込んだ。それと当時に風の支援魔法を発動し、カーズに『風精の守護』と『俊足』の付与を付ける。
加護の力で一気に間合いを詰めたカーズは、獲物の頭部に刀剣を振り下ろした。
「グッ…くそ。硬過ぎる」
「おいおい、噂通り
渾身の刃先は頭部に僅かに食い込んだだけで、呆気なく弾かれてしまった。援護のため弓を引いていたマッシュがその光景を観て思わず吐露が零れる。
「マッシュ!! 援護しろ」
カーズの言葉と同時にマッシュの矢が急所である目と鼻先に向かって放たれたが、矢が刺さる寸前に強靭な背筋力で埋まっていた前足を
「うへぇ~、おまけに馬鹿力かよ。姐さん、オイラの矢に
マッシュの目が見開き言葉が中断する光景が映った。拘束が解けたマーダーべアーが前足でマーズを薙ぎ払うと、次の獲物をマッシュに決めて突進してきた。
唸る咆哮と迫る気迫に気圧され、マッシュは足がすくみその場で固まってしまった。
「ダメ、間に合わまないわ」
リースの悲痛な声が上がる。詠唱が終わる前に、既にマーダーベアーがマッシュすぐ目の前まで迫りその首を搔っ切ろうと爪が伸びる。
「させるかぁ!!」
寸前の所でエドの盾が防いた。だた、その衝撃は凄まじく両足首まで埋まり、右腕が悲鳴のような軋み音を上げると、エドが微かに苦悶の声を上げた。
次を食らったら防ぎきれない。そう悟ったマッシュが
だが余裕のないマッシュとは違い、リースは落ち着きを取り戻していた。
「大地の
エドの前に厚い土壁が出現すると、マーダーベアーを取り囲むように土壁で括った。そして天井も土板で四角に囲み閉じ込める事ができた。
「ひゅ~さすが姐さん、スゲーぜぇ!!」
「関心してないで、そんなに持たないわ。マッシュ、今のうちに早くカーズを起こして。エド、回復魔法は必要かしら?」
「大丈夫だ。問題ない」
痺れているエドの右腕はどうやら折れてはなく、すぐに盾を握り直すとリースの前で態勢を整えた。
一方のカーズは吹き飛ばされた先にあった柵に背中を叩きつけられたが、風の加護のおかげで殆ど無傷だった。
頭を激しく揺らした為軽い脳震盪を起こしてしたが、マッシュに頬を叩かれると意識をハッキリと戻した。
その間杖を構えるリースが何とかマーダーベアーを抑えていてくれてたが、相手の力が強すぎて土壁に衝撃音と一緒に亀裂が増えていった。
「 ダメ、もう抑えられないっ!!」
「リースっ!! 俺とマッシュの武器に
「了解。まかせてくれ」
「ふふっ…複数同時魔法付与なんて高難度で自信無いけど、もうやるしかないわね」
掠れる言葉と額に大粒の汗を浮かばせて、リースは不安と活気が入り混じった表情を見せている。
「GOOぉう゛UOOOO!!!!」
身を震わせる咆哮が響き、土壁の一部が剥がれ落ちた所から覗かれる、赤い瞳の視線がカーズ達を捕らえ強烈な殺意を飛ばしてきた。
威圧に全員言葉を失い、背中に悪寒のような嫌な刺激を感じる。
「ねぇカーズ!! こいつ本当にマダーベアーなのぉ!! いくらなんでも強すぎるわ!!」
「おっ、オイラもそんな気がするぜ…」
「二人とも黙ってろ。今は戦いに集中しろ!!」
エドが重い足取りで先頭に立って盾を構える。
「どっちにしろあの囲いが崩れた時が勝負だ。カーズ、マッシュ早く準備しろ」
エドの言葉にリースは魔法付与の詠唱を唱えカーズとマッシュの武器になんとか付与を与える事に成功した。
「よし。いいぞリース」
「サンキュー姐さん」
高難度の魔法付与が成功できた事を自分でも褒めて上げたい気持ちと、二度としたくない気持ちになるリースだったが、ここで大地の
土壁が土に戻ると同時にカーズが一気に踏み込んだ。カーズのスキル『斬撃』が炸裂しマーダーベアーの右肩から右頬までを斬りつけた。
魔法付与を受けた攻撃は確かに効いた。だが、傷は浅く単にマーダーベアーを逆上させただけだった。
「BUOOOOA!!」
大きく口を開けカーズの肩に噛みつくとそのまま上空へと咥え飛ばした。
「「ぁっ…」」
皆が空を舞うカーズの身体を見上げる。何度も空中で身体が回った後に森の闇へと消えていった。
怒りに狂うマーダーベアーは更に突進を始め、それに気づいたエドが盾で受け止めるが当然熊の突進力には敵わなかった。
身体を浮かせエドの身体は後の納屋小屋の壁にマーダーベアーごと衝突する。轟音と土煙が舞うと、壁と盾に挟まれたエドはヘルムの隙間から血を吹き動かなくなった。
余りの凄惨な光景に残ったマッシュとリースは窮地に陥った。マッシュは逃げリースはその場で腰を抜かし沈み込む。
爪を使い何度かエドの身体を叩き反応を見るたが、動かなくなったエドに興味を無くしたマーダーベアーは次にリースに狙いを定めた。
殺意を満たした瞳がリースを捕らえると、牙を剥き出し溢れんばかりの力で地面を蹴り一気に駆ける。
「いや…こっ、こないで…いやああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
戦意喪失のまま震える声で悲鳴を上げても、迫るマーダーベアーは躊躇わない。確実に彼女を仕留めるため5本の鍵爪がリースの顔に繰り出された瞬間、彼女は死を悟りそして思考は停止した。
◇◇◇◇
深い闇が漂う枯井戸の脇で、ヴィノは蓋と淵の間を指でなぞり確認したていた。
「やっぱりあったな」
それは蓋と淵の間にできた指を差し入れる溝だった。ヴィノはそこに指をいれて重い蓋を横にズラすと、そこには真新しい縄梯子が掛かっていた。
真っ暗な井戸の底に向かって一段一段慎重に降りて下まで降りると、薄暗い中を今度は人一人が屈んで入る扉を見つけた。
手をかざすと扉は施錠されておらずそのまま押し開いた入口を潜ると、そこで仄かに光る部屋の中に広がる光景にヴィノは思わず息を吞んだ。
「これは…」
最初そこにある『モノ』が信じられず困惑したが、今まで感じていたこの村の不気味な違和感の正体を見つける事が出来た。
ヴィノは頭の中でバラバラだったモノが1つの線として繋がると、遂に答えを得る事が出来た。
―ヴィノ、人間ハ相手ヲ騙ス生キ物ダ。上手イ奴、下手ナ奴ガイル。例エ上手ク騙シテモ、痕跡ハ嘘ヲツカナイ。痕跡ヲ見ツケタラ其処ニ人間ガ嘘ヲツク理由ガアル―
「先生…痕跡を辿って、この村の嘘を見つけましたよ」
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