第6話
翌日、明け方早くに軽く朝食を済ますと、各自テキパキと出立準備に取り掛かった。
東の空が陽光に照らされ朝靄を払うと、皆交易野営地を後にした。出発して直ぐに別の町からリンド村に買い付けに向かっていた行商馬車の一団と遭遇した。その
中の一輌に運よく乗せて貰える事ができ、予定より早くリンド村に到着する事が出来た。
冒険者ギルドから得ていた情報では、このリンド村は27世帯119人が暮らしている。
これといった工芸品や宿場業などはなく、主な産業は農業に畜産をして細々と暮らしている村だ。
ここ4,5年前辺りから周辺の村と比べて珍しく出稼ぎ労働者は少ない。これはおそらく畜産農業が順調に軌道に乗っている結果なのかもしれない。
村に到着すると、ヴィノはフードを外し素顔を晒した。そしてすぐに近くにいた村人に来訪理由を告げ村長宅に案内してもらった。
村長宅は家の造り自体は他家と変わらず、強いて言えば少し大きい家だ。石造りの壁に嵌め込まれた簡素な木の扉を叩くと、中から初老の老人が現れた。
深いシワと頭頂部が寂しくなった頭のわりに、腰は曲がらず背筋がしっかりしていた。
ヴィノが冒険者ギルドからの訪問を告げると、村長は若干驚いた表情を見せた後、すぐに平静を取り戻した。
「まさか、あの依頼を受けて下さる冒険者がいたとは…失礼じゃが随分と早く着いたもんじゃな。てっきりまだ時間が掛かるもんじゃと思っとったわい」
「途中でこの村に向かっている商隊の一団と遭遇した。運よく乗せて貰えたから早く来ることができた。村長、早速で悪いが例のマーダーベアーが出現した場所と状況を詳しく知りたい。被害を受けた村人に話を聞かせてくれ」
ヴィノの要望に、村長は幾分考え込んでから困惑の表情を浮かべながら、歯切れの悪い返答を始めた。
「いっ、いやなに…こんなに早く来るとは思ってもいなくてな。被害を受けたドーソンの奴は…今、別の村に用があって離れていてな…申し訳ない。ワシも直接見たわけじゃないんじゃが、あやつが言うにはマーダーベアーで間違いないそうなんじゃ」
「村長。時間が惜しいんだ。他に被害を受けた家は? まさかその一軒だけなわけないだろ?」
「あっああ。他の、被害を受けた家は………ロイの所と、たしかアメリアの所じゃったはずじゃ」
「じゃあその家に案内してくれ。話を聞きたい」
「それは…」
村長は少し困惑した顔をしたが、深く溜息を混ぜた声で説明を始めた。
「正直に言うとな。今は時期が悪い。3カ月ぶりに商人達が来てくれて、これから冬に向けて何かと入り用なんじゃ。商人達もこの村にはそんな長居はせんから、じゃから皆冬支度に向けての…いろいろと入り用で忙しい時期なんじゃ。じゃからまずはこっちを先に済ませてもらえんか」
村長が申し訳なさそうに話す言葉を聞きながら、カーズ達も仕方がないと内心思いはじめた。
しかし、ヴィノはそんな都合など気にする様子もなく、さらに言葉を加える。
「村長俺にこの村の都合を話してどうする? あんたはギルドに討伐依頼を出した。そして俺たちが来た。だから俺たちの仕事をさせてくれ。そんなに手間は取らせない、早くその家に案内してくれ」
「うっう~…ん…」
「おいヴィノ。少しは察してやれ。今はタイミングが不味いんだと言ってるだろう。マーダーベアーは逃げたりしねぇし、それに時間が無いのは俺達じゃなくてお前だけだろうが。少し落ち着けよ」
後で話を聞いていたエドが話に割って入ってきた。
「落ち着いている。俺は支援員とし当たり前の仕事をしているんだ。現地での情報収集と被害確認は基本だろ。情報は速いに越したことはない。まさか今まで相手の顔色を窺ってそんな事をしてこなかったのか?」
ヴィノの挑発とも捉えられる発言に、エドがヴィノに詰め寄りだした。ヘルム越しにお互い鼻息が掛かるくらい顔を近づける。
一気に険悪な空気が広がり、双方一触即発な状況が生まれる。それを見かねたリースが危険な雰囲気を和らげる為声を掛ける。
「ねえ、ちょっと私達はこの村にお世話になる身なのよ。ここで喧嘩なんてよしてよね。それにヴィノ。マーダーベアーは夜行性でしょう。ヴィノはさっきそんなに時間を掛けないって言ったんだから、今聞かなくてもいいじゃないかしら。少しは村の事情を汲んで上げてもいいんじゃないの、そんな拘らなくても他の事を先に済ませればいいじゃない」
「俺もそれに賛成だ。なあヴィノ、もう少し優先順位を考えようじゃないか。確かに君の言ってる事は正しいよ。それに君は時間が限られていて、そんなに優著にしていられない気持ちもわかる。だが相手は獣だ。マーダーベアーは獲物に対して執着心が強い獣だ。今夜餌を用意して待ち伏せして仕留める。それが一般的な方法だってことは君だって知ってるだろう?」
カーズの言葉を聞いてもなおヴィノの態度の変化はなかった。依然その鋭い視線をエドに飛ばし続けている。流石にこれ以上は不味いと思ったカーズは奥の手を使う事にした。
「ヴィノっ!! 今は他の事を先にしてくれて。これはリーダー命令だ。大人しく従ってくれっ!!」
少し語気を強めカーズが初めてリーダーとして命令を下し、ここで漸くヴィノは態度を軟化させた。一呼吸して後エドの脇を抜けていく。
その姿に誰も声を掛けずに黙って背中を見つめているだけだった。
◇◇◇◇
パーティーから離れ独り彷徨うように村を徘徊するヴィノは、少し困惑していた。自身を客観的に見ても少しおかしい事は自身でも理解している。問題はその原因が何なのか理解できずにいる事だ。
この村は何かがおかしい。村に入った時からこの不思議な違和感がどうしても拭い払えず心中穏やかになれずにいた。
途中何人かの村人に話を聞いた時も、マダーベアーの襲撃は知っていても、何処か他人事の用な返答に言い知れぬ違和感を感じ、それがまた不気味だった。
「何なんだこの村は」
独り口りながら歩いているとやがて村外れの古井戸の前まで来ていた。水筒の補給に丁度いいと思い井戸の蓋に手を掛けたその時、すぐ後ろで声を掛けられた。
「俺なら止めとくぞ」
振り向くとそこに仕立ての良い刺繡を施し、立派な赤毛のカストロ髭を生やした恰幅の良い40代程の伊達男が立っていた。堀の深い目元に整髪油で綺麗にオールバックに整った髪形はどこか気品と清潔感さえ漂わせる佇まいだ。
「急に声を掛けてすまない。そんな警戒しないでくれたまえ、私は東の都ラ・リュドラから来たアベル・ホスターと言う者だよ。見ての通りしがない商人さ。君は確か今朝ハルクの馬車に乗っていた冒険者だろう」
警戒の視線を向けていたヴィノに対して、口角を上げニッコリと笑みを見せて自己紹介をするアベル。落ち着いた流暢な喋り口調に商人として経験の豊さを感じさせられる。
「さっきの言葉はどういう意味だ?」
警戒を緩めないままヴィノは質問をぶつけた。
「その井戸の事だよ。この村とは古くからの付き合いで色々教えてもらっている。その井戸はもう何年も前に枯れていて水なんて溜まってないさ。それを教えてあげようとこうして声を掛けたしだいさ。そんなに警戒しなくても他意はないよ」
アベルに向けた視線を再び井戸に戻すと、ヴィノは人差し指で撫でるように蓋を拭く。
「この村は井戸に何か特別な執着でもあるのか?」
「どういう意味だい?」
「普通枯井戸には誰も近づかない。ほどんど手入れもされず雑草だらけで放置されているもんだ。なのにこの井戸は何年も前から枯れているにも関わらず、雑草はおろか蓋に土埃すら積もっていない。誰かが定期的に手入れをしている証拠だ」
「さあ、それは村の人に聞かないとわからないな。おっと、今はタイミングが悪いかも、今は大事なお客様たちだ。こちらの相手をしている間は邪魔をしないでくれると助かるんだけど」
「邪魔をする気はない」
「それは何よりだ。それよりも君は冒険者なんだろ、何か必要な物はないか。運のいい事に今回は治薬車も随行しているから貴重な薬や希少な薬草もそろってる。それと上級ポーションなどはいかがかな?」
「遠慮しておく」
「では武器関係ならどうだろう。君の装備からして盗賊か斥候系だろう。ちょうど王都の方で出た新商品の革鎧を仕入れてね、水に弱い革の弱点を解消させせるために耐水性の魔法付与を施した―」
アベルの商魂逞しい話に捕まる前に、ヴィノはその場から退散することにした。こんな所で無駄に時間を使うわけにはいかない。
意外と商売気が高い割には、去るヴィノを呼び止めなかった。諦めの良さも心得ているのかもしれい。
無駄に付きまとわれるよりは断然良いと、内心ホッとすして再び村を散策する。
歩きながら周囲を見渡すと村の広場に、商隊が集まって出来た移動商店に人々が群がっていた。
目的の物を探す者、値引き交渉とする者、珍しい露店で買い食いをする者が集まり軽いお祭り騒ぎとなっている。
どうしてもあの中に入るのは躊躇われる。ヴィノはしかたなく別の方向へと足を向けたその時、一軒の家の軒先で目が留まった。
そこには10歳前後の少女が沈痛な面持ちで塞ぎこんでいた。
「どうした? 何かあったのか?」
思わず声を掛けたヴィノに、少女はゆっくりと顔を上げた。お互いの視線が交じると少女は瞳を潤ませ堪えていた感情が一気に決壊した。
「うっぐ、えっぐ…おにぃが………ひっぐ、…おにいちゃんが…ううぅぅぅ…ひっぐ…」
「オッオイ…泣くな…どうしたんだ一体?」
聞けば3日前に少女の兄が仲間と一緒に猟に行ったきり戻ってこないとの事だ、まだ幼い少女が兄を心配になる気持ちはわかるが、他の村人と一緒に入っているため、村人たちはそれ程心配はしていなく。少女にしばらくしたら一緒に帰ってくるといって宥めるだけで誰も話を聞いてくれないという内容だ。
今までに帰りが遅れる事が何度かあったが、今回は何故か本人も嫌な予感がして不安で仕方ないとの事。
「おじちゃんは、冒険者さんなの? あの…おにいちゃんをさがして下さい」
「俺は冒険者だ。だが、おじちゃんではない」
「わたし…ひっぐぅ、今すごく心配なんです。おじさん」
「心配しているのはわかった。だが、おじさんではない」
「黒いおじさん。おにいちゃんを探してください。お願いします」
少女が袖を掴み、その潤んだ瞳で懇願してきた。
「先に片付ける仕事がある。そして、黒いがおじさんではない」
「じゃあ、変なおじさん? それがおわったらおにいちゃんを探してくれますか?」
「………時間があれば考えておく。そして、変なおじさんではない」
今まで暗かった少女の顔がパッと明るくなった。
「うん。ありがとう、優しいおじさん」
「感謝するのは兄が戻って来てからにするんだ。一応聞くが君の兄の特徴を教えてれ。そして…俺はおじさんではない」
「えっと、えっとね、おにいちゃんは、右の耳がないの。小さい時に鎌で切っちゃったって言ってたの。だから右の耳がない人がおにいちゃんだよ。おじさんならすぐわかると思う」
「そうか………右耳が無いのか…それならわかる………」
ヴィノは直ぐに悟った。
仲間と一緒に森へ、右耳の欠損、この二つの言葉で結びつく答えは、昨晩急襲した盗賊にいたあの若い見張り役の男だ。少女の予感は当たっていた。そしてもう兄を待っても無駄だという事も。
ヴィノはゆっくりと少女の頭に手を置くと、哀愁籠った瞳で優しく撫でる。
「君の兄がすぐ見つかると良いな…そして俺は……優しくない」
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