第2話 紅に染まる

 逃げた。


 逃げた。


 怖かった。


 純粋な恐怖。


 殺される。そう思った。


 兵士達の最後を目の前で見ていた俺にとってはあの女性は死そのもの。銃器を持った彼らが赤子のように殺されたのだ。俺なんかが行っても死体が増えるだけ。


 高台まで逃げてきた。


 近くではゾンビに必死に抗う人達が集まっていた。


「━━! こっちに来い! 逃げるぞ」


「待ってよ。━━君!」


 友人と協力して逃げてきた者


「━━さん。無事でよかった」


「助けてくれてありがとう━━」


 恋人と助け合い生き延びた者


「大丈夫か?」


「ありがとうございます」


 近くの人を助けている勇気ある者 


 みんなそれぞれ必死に生き抜こうとしている。助け合っている。命を燃やしている。絶対に理不尽に負けないと。


 じゃあ俺は?


 俺はどうした?


 俺は逃げた。大切な人を目の前にして。


 涙が出た。止めどなく涙が出てきた。


 舞依を助けられなくて哀しくて、理不尽が憎くて悔しくて。


 いや、一番の理由は大事な人を助けようとせずに、逃げ出した自分が情けなくて。


 自分が情けなくて涙が出たんだ。


 悔しい、悔しい。後悔、罪悪感、自身への侮蔑、情けない、死んでしまえ。


 大切な人を見捨てて1人だけで生きて行くのか? 今すぐ死ねよ。後悔しながら今すぐ死ね。ゾンビに食われて今すぐ死ね。高台から飛び降りろ。


 周りの理不尽に抗う声が聞こえる度に、自分だけが取り残される感覚に陥る。


 周りは命を燃やしている。輝いている。自分はどうだ? お前はどうだ? 白黒だ。


 生きる希望も活力も今や無い。ただそこに留まっているだけだ。


「危ない!」


 背後にいたゾンビを殴り倒してくれた。


「君、しっかりしろ! 早く逃げるんだ」


「…………えっ」


 俺を助けてくれたのか?


「……いや。もういいです」


 もう動けないんだよ。


「泣き言は聞かん! 早くあっちへ」


 心に響かない。このまま何も考えず寝たい。

 

「大切な人を見捨てました。そんな奴……」


 動きたくない。

 

「……その人は君にも死んでほしいなんて思っていると思うのか! 早━━━━! ━━!」


 はっ、綺麗ごとだ。もはや彼のどんな言葉も耳に入ってこなかった。


 近くで男女の声を聴いた。目線が自然と吸い寄せられる。


「━━君、ごめんね」 


「━━! 頼むよ。死ぬな」


「━━君……生きて……」


「━━! ……ああああああ、クソがあああああああ」


 恋人を目の前でなくした者を見た。彼は泣き叫んで、泣いて泣いて、そして武器を取り、人助けに奔走し始めた。


 ……凄いな。


 彼はそれでも立ち上がった。俺とは違う……。未だにさっきの人が俺の片腕を掴み上げて鼓舞してくれている。


「…………」


 そういえば。さっきの男女と俺とで違うことがある。


 まだ俺は目の前で舞依が確実に死んだのを確認していない。


「━━━━だ! 君━━━諦めるな!」


 他人の声を認識する。自分の意識が覚醒する。


「…………武器はありますか?」


「だから……あ? 武器? 棒っきれみたいなのはあるが……あっ君」


「お借りします」


 武器を彼の手から拝借し、俺は走り出す。


「おい君! そっちは━━━━━━━!」


「やることが出来ました! ありがとうございます!」


 見ず知らずの俺を助けてくれたとても良い人だ。出来ることなら生き残ってほしいな。


 高台を下りて水没した場所にたどり着く


 水は凍えるように冷たく、体の自由を奪っていった。足場の悪い中、化物を殴りながら進む。

 

 舞依を探す 


(もう間に合わない)


 進む進む  


(自分も流されるかも知れないぞ)


 まだ間に合う


(もう遅いって。きっと死んでる)


 絶対見つける


(お前が見捨てたんだろうが)


 俺が助ける


(お前がゾンビを怖がって逃げたから、彼女は助けられなかった)


 心と思いは矛盾する。諦めきれない。たとえその先が分かっていても。



 ※



 どれだけ歩いただろう。


 もはや体はボロボロ。棒が折れ、途中からは素手でゾンビを殴って進んできた。至る所を引っ掻かれ、噛みつかれ、体温も下がり続けている。傍から見れば、俺自身がゾンビに見えたかもしれない。


 女性の悲鳴と銃声が聞こえる


 声を頼りに、開けた場所に辿り着いた。


 死体の山が積み重なる場所に佇む女性が1人。


「……舞依?」 


 ……奇跡か?


 彼女は無事だった。


 ボロボロになっていたが、生きている。


「舞依! 舞依……大丈夫? 早くここから逃げよう」


「…………っ!」


「ぐがあっ、あひ」 


 舞依が手を伸ばすのと同時に、突如悲鳴が聞こえた。見ると男性が、地面から何かに貫かれていた。あれは……赤い水? 先ほど兵士達を惨殺した女性のように、水が針のように伸びて男を串刺しにしている。


 舞依は男性に向けた手を上に返し、握りしめた。


 ━━グシャッ


 男性は出来の悪いハリネズミのようにされた。思わず「ひっ」と叫んだ俺は、彼女の真っ赤な瞳と目が合う。


「まっ……い……」


 突如激しい痛み、自分も針に刺されたと直ぐに分かった。


「舞依っ……舞依……助けに……来たよ」


 涙を流しならみっともなくも彼女に伝える。


「……………………コウ……ちゃ……ん?」


「……そうだよ。舞依……一緒に逃げよう」

 

 彼女の赤い瞳に意識が戻る。


「コウちゃん……こうちゃん! …………あっあああああああああああああ」


「舞依! しっかりして舞依っ」


「ダメ。……ダメなの違うの違う。違う違う違うっ違う!」


「落ち着いて。舞依━━」


 体を貫いていた針が無くなると同時に、俺は彼女に駆け寄った。


「━━わたしは、私を殺したっ。違うのっ……ワタシは私じゃないの! 違う違う違う」


「何言ってんだよ。頼む、舞依。落ち着いて」


「お願い! 今すぐワタシを殺して。お願いコウちゃん! 早く殺して!」


「意味わかんねえよ! なんで好きな女殺さなきゃいけねえんだ!」


 本当に意味が分からない。さっきの異常な状態と関係があるのか?


「……ワタシは、川下舞依じゃないの……彼女を殺した女。君にとって、わたしは彼女の仇なの……だから手遅れになる前に私を殺し━━」


 言葉の意味は分かる。だが何を言っているのか分からない。ただ1つだけ、俺にも分かることがあった。涙を流しながら懇願する彼女は必死で、俺に助けを求めている。それだけは、馬鹿な俺にも分かる。


 だから━━


「あっ」


 俺は彼女を抱きしめる。


「そんなことどうでもいい。俺は君が好きだ」


「一緒に居ようって言っただろ。頼む」


「……ダメ……ダメだよ。ワタシは……君と一緒に居る資格なんて……」


「舞依は舞依だ。他の誰でも無い。俺の前で泣いてる君が、俺の知ってる舞依なんだ。」


 例え、彼女の言ってることが事実でも、彼女が自分を否定しても、それでも俺は彼女と一緒に居たい。


「わたしは……舞依を殺したんだよ。そんな女を好きになるはずが……」


「何度も言わすな。今、苦しんで泣いて喚いてる君が君だ。俺の好きな舞依だ」


「━━━━」


 驚きに目を見開いた彼女は、俺の背中に手を回す。


「全部、全部ワタシがやったんだよ。そのせいで人がこんなに死んだ。そんな女と一緒に居たらコウちゃんが不幸になる」


「そうやって、自分を遠ざけようとするのは何で? 俺を大事に思ってくれてるんじゃないのか? それに俺は俺の意思で君と一緒に居るよ」


「でも!」


「いいから、一緒に居てよ……舞依」


 抱きしめる力をギュッと強める。ここで彼女と離れたら取り返しが付かなくなる。そう俺の本能が叫んだ。


「……コウちゃん」


「……あいよ」


「コウちゃんっ」


「ここに居る」


 彼女の両手にも力が入る。


「コウちゃん、コウちゃん、コウちゃん、……好き」


「俺も好き」


「……うん……私も、一緒に居たい」


 やっと本音を言ってくれた。


「なら……問題ないだろ?」


「うん」


 彼女の涙は悲しみから嬉しさ故の涙に変わった。


「舞依、まずはここを離れよう? 危険すぎる」


「うん……分かった」


 安心したら、力が抜けてしまった。「すまん」「大丈夫?」彼女に体重を預けてしまう。情けないがここまで来るのに随分時間が掛かってしまったし、ゾンビにも噛まれ満身創痍。本当はもう動かず、寝ていたい。


 けれどそれは許されない。問題は山積みだ。今は大丈夫だが、いつゾンビになるかも分からない。頭の片隅で俺自身は手遅れなのかもしれないと、その場合の対処も考え始めた所だった。


 舞依の後ろに人が居た。


 銃を持って俺達に狙いを定めている。


「舞依───!」


 とっさに彼女を突き飛ばす。


「あっ」

 

 銃声が鳴り響き、衝撃が走る。


「う゛っ」


 一瞬息が詰まり、呼吸ができなくなった。なすすべもなく、血の海に倒れてしまう。心臓が高鳴り警鐘を鳴らす。


「コウちゃん、コウちゃん!」


 突き飛ばされた彼女は起き上がり、俺の方へ這い寄って来た。


「コウちゃん! ……うそ……まって、えっ」


「ダメ……穴が……そんな……」


 再び銃口が俺達に向けられる。


「……死んじゃえ……」


 引き金が引かれるよりも早く、舞依の一言と共に男は串刺しにされた。


 自分が汚れるのを厭わず、彼女は俺を抱き上げる。ああ、優柔不断な俺は結局どちらの女の子も不幸にしてしまった。


「大丈夫……泣か……ないで」


「大丈夫じゃ……ないよ……」


 かじかむような寒さの中、彼女は俺を抱き寄せる力を強める。ポロポロと涙を零す彼女に……せめて笑顔で言葉を伝えよう。


「生きて……舞依……」


「コウちゃんも一緒じゃないと嫌だよ……」


「……舞依が……大好きだよ……」


 彼女の頬に触れようと手を伸ばしたが、届かなかった。


「いや!! こう……死…………で! ………」


 ごめん……もう……


 命が零れ落ちていくのを感じながら、意識が消えゆく中俺は願う。


 ごめんよ。俺は死んでしまうけど、どうか……


 ━━誰か彼女を助けてください




 ※



 コウちゃんの頬に雪が落ちる。だけどその雪はもう溶けることは無く、 


 彼の瞳から涙が落ちる。それきり再び目を開けることは無く、

 

「いやああああああああああああああああああ」


 慟哭どうこくは虚しく夜空に吸い込まれて行った。


 この日はクリスマス。


 私の誕生日で、


 2人が恋人になった日だった。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

~じかいよこく~

 こんなの聞いてない! 目を覚ますと俺は芸能事務所に入れられていた。


 相棒のイケメンと2人で世界を狙えって? 勘弁してくれ……


次回 コンビ結成 お楽しみに

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