エピローグ

 結局、望子はカズマの部屋には戻らなかった。

 望子は守良との相部屋という正しい形に落ち着き、代わりにしばしばカズマの部屋へ遊びに来るようになった。

 葉名は相変わらず寮に住み着いているが、先日、スマホで近所のアパートを検索していた。

 寮生活に満足したのだろうか。尋ねてみたが、「どうだろうね」といつものように誤魔化された。

「そういや、三星先輩、こないだ一年生に告られてフったんだってよ」

 牛角の横を通り過ぎながら野田が言った。

「なにそれ。そんな話題にすること?」

「祭知らないのか? 三星先輩、告られたら絶対受け入れるって有名なんだぞ」

「ふーん、カズマを数日でフったくせに?」

「まあその辺はいろいろあるんだろ」

 カズマを挟んで二人で雑談を続ける。

 その真ん中で、カズマは先日の屋上での三星とのやり取りを思い返した。

 葉名とのデートを取り付けたと、タバコをふかしながら楽し気に語っていた。

 そのうえノーと言えない日本人を脱却するとは。

 どんな心境の変化があったのだろうか。また今度屋上に足を運んで訊いてみようと思った。

「そういえば野田君、ハンコ一位おめでとう」

「野田、まさか本当に寮生全員から集めるとは思わなかった」

「いやーどうもどうも。お昼ゴチになります」

「調子乗んな」

 望子の冷たいツッコミ。

 結局ハンコ巡りは、野田が一位、カズマと望子はギリギリのところで罰ゲーム回避という事で、平和に終わった。

 罰ゲームの一発芸は、お通夜を彷彿とさせる空気感があんまりにもあんまりだったので、本当に回避できて良かったと胸をなでおろしたものだった。

「しっかし学校サボって遊ぶってのも、なんか変な感じすんな。入口で止められたりしねえの?」

「大丈夫でしょ。私服だし」

 イルカやクラゲのイラストの描かれた外壁を通り過ぎ、三人は青を基調とした巨大な建物にたどり着いた。

 カズマと望子にとっては三度目、野田にとっては二度目の水族館。

 潮の匂いが鼻を刺激する。

「……カズマ、大丈夫?」

 望子が見上げるように尋ねてきた。

 反対側から野田も心配そうにチラチラと視線を送ってくる。

 カズマは数瞬瞼を閉じ、深く息を吐き、呼吸を止めた。

 内側に集中する。心音は落ち着き、神経は滑らか。

 目を開けて、大きく息を吸う。

 顎を上げて、建物を見上げた。

 自然と口角が上がる。

「うん。大丈夫。良い匂い」

 手のひらを開き、足を踏み出す。

 太陽に照らされた赤いヘアピンが、きらりと輝いた。

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だから僕はヘアピンを背負う しーえー @CA2424

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