第4話

 キャラメルラテを飲んでいて、キャラメルの味がしないなと思ったら、底に沈殿していたらしく、最後に滅茶苦茶濃い味にむせることになった。

 入学式から数日経った教室を眺めて、ふとそんな出来事を思い出した。

 比重の異なる人間が一つの容器の中でじっとしていれば、自然と上下に分かれていくものだ。

 当然カズマは下の方で、休み時間はスマホをポチポチしているか、望子としゃべっているかで過ごす。

 キャラメルのように甘くはないが、特段苦いわけでもない。

 周囲の視線はチラチラと刺さるものの、それでも中学時代に比べると格段に過ごしやすく感じられた。

「あれ、野田君」

 購買にパンを買いに来たら、野田の姿を見つけた。

「吉根に祭。購買で会うとは珍しいな」

「おなか減って、もう食べちゃったから」

 カズマと望子は、前日のうちにスーパーで昼食用のパンを買うのが日課になっていた。

 今日も値下げシールの貼られたパンを持ってきていたのだが、朝一で体育をこなしたせいか、三時間目の授業が終わったタイミングで空腹に耐え切れなくなった。

 そこで、仕方なく購買に追加で昼食を買いに来たというわけである。

 望子には先に食べているよう言ったのだが、「プリン食べたい」ということでついてきた。

「野田君っていつもお昼どこで食べてるの?」

 お昼休みになると彼はいつもそそくさと教室を出て行き、五時間目の授業開始直前にようやく姿を現す。

 昼食時だけではない。休み時間の多くを、彼は教室の外で過ごしていた。

 彼の持つ爽やかな雰囲気を考えれば、キャラメルラテの上の方にいてもおかしくないと思うのだが、カズマの目にはいまいちポジションがハッキリとしない。

 誰とでも友好的であり、クラスメイトと親しげに会話しているところもよく見かけるのだが、なんとなく彼の周りに透明な壁を感じた。

「校舎裏とか中庭とかいろいろうろついてるとこだわ。屋上も行こうとしてみたんだけど、鍵かかってた」

「やっぱり屋上は入れないんだねえ」

 白々しく言って流す。

「ところで野田君、良かったらお昼一緒に食べない?」

「いいのか?」

 カズマの提案に、きょとんと目を丸くして尋ねかえされた。

「もちろん。どこで食べる?」

「教室じゃダメなのか?」

「教室で大丈夫なんだ」

 人前で食事を摂るのが苦手など、何かしら理由があると思っていたので、正直なところ拍子抜けした。

 そんな話をしながら会計を済ませる。と、

「やっべ、全然入ってねえ」

 レジ打ちを済ませた店員を前に、野田が財布を覗き込んで舌打ちした。

「……すんません、これナシで」

 野田が気まずそうにおにぎりを指さす。

「野田君、これ使って」

 カズマは財布から千円札を取り出した。

「え、いやいいよ悪いって」

「大丈夫。困った時はお互い様だから」

「お、おう。悪い。後で返す」

 野田は数秒間迷った末に受け取った。

 と、

「トイレ寄ってくる。先行ってて」

 望子は不機嫌そうに言うと、返事を待たずに下駄箱とは反対方向へ歩き出した。

 カズマたちは一瞬顔を見合わせ、彼女の言う通り教室へ向かった。

「なあ、俺本当に昼飯一緒にしていいんか?」

「なんで?」

「だって祭って俺のこと嫌いだろ?」

「んぐっ」

 不意打ちに、思わず喉が詰まった。

「野田君、急にどうしたの」 

「俺、昔から無神経だって言われること多くてさ」

 野田は腕をさすりながら、目を伏せがちに言った。

 カズマの耳には、その声は普段より心持ち細いように感じられた。

「祭、俺にやたらと冷たいだろ? また知らないうちに嫌われるようなこと言っちまったんかな」

「野田君だけじゃないよ」

 反射的に言う。これだけはきっぱりと否定しておかなければならないと思った。

 顔を上げる野田に、今度はカズマが視線を下げる。

「望子が冷たいのは、野田君だけじゃない。誰に対してもそう」

 額の傷、つまり、カズマの過去の行いによって、望子はそうなってしまった。

「むしろ、野田君に対しては悪い印象は持ってないと思う」

 顔を上げて、まっすぐに見つめて言う。

 野田は目を丸くして、

「……そ、そうか?」

 照れたように笑ってみせた。

 教室に戻り、カズマの席にパンを置く。いつも望子がカズマの隣の人の席を勝手にくっつけて一緒に食べているので、今日は野田をそこに加えれば問題ないだろう。

 幸い前の席の人がいなかったので、勝手に借りることにした。

「それより、この前も言った通り、野田君には望子と仲良くしてもらえたら嬉しい」

 お昼に誘ったのはそれが本題と言っても良かった。

 入学式の日以来、野田と望子はほとんど会話を交わしていない。

「仲良くっつっても、どうしたら良いんかねえ。そもそもあんだけ近づくなオーラ出されると、話しかけにくいっつうか」

「それはもうほんと申し訳ない」

 望子の眼力にはカズマですらたじろぐ。特に親しいわけでも彼女の内情を知っているわけでもない人にはより壁を感じられることだろう。

「とりあえず、どこか遊びに行けたらいいよね。三人で」

「俺はそれでいいけど、祭ってどっか遊びに行ったりすんの?」

「望子をなんだと思ってるの。趣味の一つや二つあるよ。映画とか漫画とか」

「おっ、映画なら俺も好きだわ」

「ほんと? それじゃあ今度三人で行こうよ」

「いいな。誘ってみるか」

 そうして作戦会議がひと段落したところで、「ただいま」望子が帰ってきた。いつもの場所に迷いなく座る。

 全員で着席し、ようやく昼食が始まった。ちらりと時計を見ると、すでに15分が経過していた。

「いただきます」

 手を合わせ、軽く頭を下げてからパンを手に取る。

「……吉根、ちゃんとしてんなー」

 前の席からまじまじと見つめられた。

 彼の手の中のおにぎりは既に半壊していた。

「野田君、バレー部入るの?」

「いやー、俺初心者だし。ハンコはもらえたからもういいかなって感じ」

「ちゃんともらえたんだ」

 守良からの課題で、興味もないバレー部の見学をした野田だ。これでハンコをあげませんと言われたらそれこそハンコ巡りのモチベが地に落ちてしまうところだった。

「僕もまだ全然やってないんだけど、野田君ハンコいくつくらい集まった?」

「いうて俺もまだ5個くらいかな」

「結構進んでるじゃん」

 全寮生が30人くらいで、うち新入寮生が10人なので、集められるハンコの最大値が約20個。野田は既に四分の一を集めたことになる。

「望子はハンコどう?」

「まだ全く」

 もそもそとカレーパンを食べながらテンション低く答える。普段のお昼もそうだが、今日はより一層表情筋肉が死んでいるように見える。

「野田君はすごいなあ。そういえば、新入寮生同士でもハンコってもらえるんだっけ」

「らしいな。てかそうだ、祭、ハンコくれよ」

「は?」

 首をかしげる望子に、「ちょい待ち」と言い残してバタバタ自分の席へ向かうと、野田は引き出しからハンコノートを取り出して帰ってきた。

 じゃーん、と開いたハンコノートを見せつけてくる野田に、望子は冷たい目を向けた。

「たしか一年生のは数にならないんじゃないの?」

「過去、全新入寮生からもらった人が、その努力を認められてハンコ一個分プラスになったんだってよ」

「コスパ最悪すぎ」

 冷たくあしらう望子に、しかし野田は諦めない。

「実は俺一位目指しててよ。全寮生からと、ついでに自販機補充しに来るトラックの人からももらうつもりなんだよ」

「ふぅん。頑張ってね」

「冷てえ! だから祭のハンコも必要なんだって」

「どうして私が」

 そっぽを向いてカレーパンに集中する望子。

「まあまあ、望子。少しは手伝ってあげてもいいんじゃない?」

「むぅ……カズマが言うなら……」

 望子は不服そうにむくれながらも、しぶしぶノートを受け取り、シャーペンを手にした。

「うっし、そんじゃ質問俺からな。祭、趣味は?」

「……寝る事」

 数瞬の思案を挟んだ答えに、野田が目を丸くする。

 しまった、とカズマは心の中で舌を出した。

 親しくもない相手に本来の趣味など答える義理はない。望子のように警戒心が強ければなおさら、体裁の方を答えるのは当然と言えた。

「つ、次祭の質問な」

「一ミリも思いつかないんだけど。じゃあ趣味は?」

 望子が面倒くさそうに言った。質問をミラーするあたり、本当に思いつかなかったのだろう。

「映画かな。つっても月に一本くらいだけど」

 野田の答えに、シャーペンを持つ望子の手がピクリと動く。

 ここだ、と、カズマの嗅覚が働いた。

「そういえば望子も映画好きじゃなかった?」

 口を挟んで、野田に目配せをする。他人と仲良くなるには共通の話題が一番だ。ハンコで広く浅く相互理解するよりも、ここは多少強引にでも映画方面に話題の舵を切るべきである。

 野田もカズマの意図を理解したのだろう。「マジ?」と食いついてみせた。

「祭どんな映画見んの?」

「あんまりこだわりはないけど、ホラーとか」

「ホラーかあ。あ、俺アレ見たわ。貞子VS伽椰子。超怖かった」

「え、あれギャグでしょ」

「いやいやいやいや滅茶苦茶怖かっただろ!? 俺、あれ見てから一週間くらい電気消せなくなったからな? シャワー浴びてる時も天井から目を離せなくなったし、今でも暗いとこ行くのかなり躊躇するわ」

「そんなに引きずる?」

 両手をわちゃわちゃさせて恐怖を伝える野田に、望子はふふっと笑った。

 カズマは、そんな眼前の光景に、胸に温かいものがこみ上げてくるのがわかった。

 やはり野田はすごい。初対面時の自分の見立てが間違っていなかったことを理解した。

 彼ならばきっと、望子を笑顔にすることができる。改めてそう思った。

「そうそう、土曜、映画見に行かね?」

 野田が望子とカズマを順番に見て提案した。

「好きな監督の新作が公開されるんだけど、舞台挨拶のライブビューイングがあって」

 スマホで公式サイトを表示して見せてくる。

 と、それを覗き込んだ望子が、

「あ、それ私も見に行こうと思ってたやつ」

 先までより少し明るい声で言った。

「おっマジか。なら三人分まとめて予約していいか?」

「いいよ」

「僕も大丈夫……ん?」

 反射的に了承してから、違和感を覚える。数秒間思案し、ようやく思い至った。

 三星とのデートがちょうど土曜だった。

 頭を抱えたくなった。

 せっかくここまで話が進んだのに。虚無感に襲われる。

 一瞬、三星に断りの連絡を入れようかと考えて、さすがにそれはないと小さく首を振った。

 あちらが先約である。せっかく予定を開けてくれた三星に申し訳が立たない。

「ごめん、土曜予定入ってるから僕は行けない」

 断腸の思いで断る。と、

「予定? なんの?」

 野田より先に、望子から怪訝そうな顔を向けられた。

 ぐむ、と言葉に詰まる。

「えっと、ちょっと行かなきゃいけないとこが」

 両手を握り合わせ、親指の爪をこする。

 多分、本筋はここでちゃんと「三星先輩とデートする」と言うべきなのだろう。それが葉名が考えていた流れ。

 とはいえ、正着がわかっていてもそれができるかというとまた話が違う。

 こうして、望子の放つ圧を前にすれば、それを言葉にするのは難しいというもの。

「行かなきゃいけないとこ? 何かあったっけ?」

 眉を上げて問い詰められる。

「や、その、えーっと……」 

「カズマの予定っていうと、来週末歯医者行くのだけじゃない? 今週末はたしか何も入ってなかったと思うけど」

 言葉に詰まり、両手をぐるぐると空回すカズマに、望子が畳みかけてくる。

 思考を回転させようとするが、望子の眼光に気圧され、紐が絡まったように全然動いてくれない。

 落ち着けるように太ももをさする。

 右手に、硬質な感触を感じた。

 ポケットに入れ、その尖った金属、キーホルダーを握りしめる。

 仮面。

 カズマは唾を一つ飲み込んだ。

 そうだ。仮面をかぶらなければならないのだ。

 望子のために。

「実は…………その、」

 だからカズマは、絞り出すように、決定的な言葉を口にした。

「………………三星先輩と、出かける予定が」

「寮長?」

 望子が訝し気に反芻する。

「なんで寮長と出かけるの? ハンコ?」

「いや、その…………えっと………………で、でぇと」

「デート!?」

 目を見開いた望子が甲高い声を上げる。

 騒がしかった教室が一瞬静まり、カズマたちに視線が集中した。

 が、身を乗り出した望子は気にすることもなく、カズマには気を回す余裕などなかった。

「えっと、三星先輩と…………付き合うことになって、その…………」

 望子の強い語調と対照的に、カズマの言葉はどんどん弱々しくなってゆく。

 血が出るんじゃないかというくらいにキーホルダーを握りしめ、視線を地面に落とし、消え入りそうな声で、それでも言葉を紡いだ。

「今度……デートすることに……な「絶対嘘」

 望子の強い語調が、カズマの言葉をかき消した。

 睨みつけるような視線がまっすぐにカズマを射抜く。

「カズマが寮長と付き合うわけがない。絶対に嘘」

「嘘って……」

「私もついて行く」

「え、」

 最初、望子が何を言っているのか理解できなかった。

 はっと顔を上げたカズマに、望子が問い詰めるように言葉を重ねる。

「嘘じゃないって言うならちゃんと付き合っているらしいところ見せれるでしょ」

「それは、そうかもしれないけど」

 ただでさえ、せっかくの休日に付き合ってもらうのだ。これ以上三星に迷惑をかけるのは忍びない。

 かといって、こういう状態になった望子が岩よりも固く重いのは、経験上よく知っている。

 前門の虎後門の狼とはこういうことか。キーホルダーを握りしめて必死に考える。どうする。どうしたら良い。

 と、

「まあまあ、落ち着けって」

 野田が苦笑を浮かべて助け舟を入れてくれた。

「せっかくのデートなのに、一緒に回ったら変だろ? 先輩にも悪いし」

「だから、絶対デートじゃない」

 憮然と言う望子。

「まあ待てって」

 野田はなだめるように言って、悪い笑みを浮かべてみせた。

「俺たちはさ。カズマたちにバレないよう、こっそりと尾行することにしようぜ」

 望子は野田の提案に、苦虫を噛み潰したような渋い顔でしばし沈黙した。

「…………それでいい」

 代案が思いつかなかったか。絞り出すように、苦し気な声で望子は提案を受け入れた。

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