第2話

「本当に私たち、同じクラスだ」

 クラス発表の掲示版の前で、望子が呟く。

 入寮してから数日。なんとか寮生活、というか望子と葉名との相部屋にも慣れてきた。

 慣れてはきたが、それはそれとして、学校が始まって有難いと思った。

 寮の部屋にいると当然だが、必ず望子と同じ空間を共有することになる。

 これが、思った以上にストレスだった。

 望子への負い目とかそういった要素ももちろん原因の一つとしてある。が、地元にいたころも望子が自室に勝手に来たりしていたので、まったく慣れていないというわけではない。

 どうやら、そもそもカズマは、独りになる時間、空間をそれなりに必要とするタイプであったらしい。

 一方の望子は、カズマと常に同じ空間で過ごすことにあまり抵抗感がないらしく、平然としていた。

 そこでカズマは、せめて空間を広げようと、寮の周りを散歩したりランニングしたりと、意識的に外出の機会を増やして活動的に過ごした。

 ちなみに日が暮れると、仕事を終えた葉名が帰ってきて部屋がさらに手狭になる上に、望子が何かとつっけんどんな態度をとるので、カズマの胃は毎晩キリキリと悲鳴を上げるようになった。

「先生の言った通りだったね」

 言って、カズマは周囲を見回した。

 全寮制の高校だからだろうか。すでに寮で仲良くなったと思われる人たちが、掲示板の前でわーきゃー騒いでいた。

 一方のカズマは、ここ数日の寮生活で喋った人物と言えば、望子と葉名だけ。

 先日開催された楠寮新入寮生説明会も、常に望子が隣を陣取っていたからか、結局誰とも会話せずに終えてしまった。

 カズマはもう一度掲示板を見上げて、小さく嘆息。寮だけでなく、教室でも常に望子と同じ空間にいることになったわけである。

 同じ中学の人間を同じクラスにしてやろうという粋な計らいだとしたら、良い迷惑だ。

 それから、流れ作業のように入学式を終えた。

「アタシがこのクラスの担任になった葉名朱だ。一年間よろしく」

 教壇の上、葉名がテンション低く名乗る。静かな教室がさらに静まったような感覚。

 知ってる人が担任で助かるような、この人で大丈夫かと不安になるような、複雑な感情になった。

 それから生徒一人一人がそれぞれ簡単な自己紹介をこなし、葉名が注意事項をいくつか読み上げて解散となった。

 丁寧とは言い難いものの、案外無難なホームルームで、葉名も教師らしいことをできるんだなと思った。

 初々しい空気を残した放課後の教室内は、意外にもすでに見つけた仲良しさんと会話する人が多く見られた。

 カズマはというと、望子の視線を感じつつ、足早に目的地へ歩いた。

「野田君、だよね」

 ツンツンと張った短い髪の毛が特徴の、爽やかな雰囲気の男子。入寮初日に望子の傷痕を格好いいと言い放ったあの寮生だ。

「おー吉根。同じクラスになるとはな。よろしく」

 顔を上げた野田が嬉しそうに笑んだ。

 と、

「カズマ。帰ろう」

 カチューシャでばっちり前髪を上げた望子が声をかけてきた。

 先の自己紹介時と、着席後もチラチラと視線を送るクラスメイト達。

 望子はそれを全く意に介さず、堂々と傷痕を晒し続けていた。

「おっ、祭。よっす」

 カズマの代わりに野田が軽く返す。

「……こんにちは」

「距離感遠っ!」

 顔をゆがめてなされる他人行儀な挨拶に、野田が笑ってツッコミを入れた。

 誰、と訊かないあたり、野田のことをきちんと認知はしているのだろうが。

「このクラスは、楠寮生は俺たち三人だけか。クラス多いから心配だったけど、結構同じ寮の人間は固めてクラス分けしてくれてんのかもな」

 周囲をきょろきょろと見まわし、野田が言った。

 確かに言われてみると、最初にこの教室に入った段階で、すでに割とグループができつつあった。

 掲示板を見たときはたまたまかと思ったが、最初から仕組まれていたのかもしれない。

「そういや吉根と祭が相部屋って聞いたんだけどマジ?」

 野田の問いかけに、カズマは望子を見やった。が、望子はつーんと興味なさげに突っ立っているのみで、反応を見せない。

 野田と会話を交わすつもりはない、という事なのだろうか。それはそれとしてどう答えるべきかくらい相談に乗って欲しかった。

 カズマは一瞬考えて、ごまかすことを諦めた。

「相部屋っていうか、結果的に同じ部屋に住むことになったっていう。いろいろあって」

「いろいろでそうはならんだろ」

 同じ寮に住んでいる以上、どうせすぐにバレるのだ。ここで嘘をつくメリットもない。

「つーかそれもだけど、まさか葉名先生が担任になるとはな。驚いたぜ」

 先日の説明会では、葉名についての説明もなされた。

 学校に秘密で寮内にこっそり生息していること。寮外生には絶対に秘密であること。学校にバレたらまず間違いなく寮費が上がること。秘密にさえしておけば毎月賄賂がもらえること。

 賄賂のお渡し会を兼ねた説明会は、葉名に関する解説だけで半分ほどの時間が使われた。

 もらえるものはもらっておこう。当初はそう考えていたカズマだったが、妙な居心地の悪さを感じ、一旦今回は受け取りを拒否する事にした。

 同じような考えの人は他にもいたようで、カズマ含め三人が辞退した。

 葉名曰く、毎年最初はこんなもんで、大体数か月で受け取り拒否することを馬鹿らしく感じるようになるらしい。嫌な経験則だと思った。

「ところで吉根たち部活決めた?」

「まだあんまり考えてないかなぁ」

 先日望子を怒らせた手前、このまま帰宅部にするのは少し気が引けた。

 かといって入りたい部活があるわけでもない。

「俺この後バレー部の見学に行こうと思ってんだけど、吉根たちも一緒に行かねえ?」

「バレーかぁ……。初心者だし、あんまり手取り足取りみたいなのはなあ」

「仮入部ならともかく、見学会だから練習とかはないんじゃね? 一回見るだけ見ていこうぜ」

「んー、そうだね。せっかくだし行こうかな。望子は?」

「カズマが行くなら」

 うっし、と野田は拳を握って意気揚々と歩き出した。

 体育館に着くと、見学者はカズマたちのほかにも何人かいた。

 熱心なことだなと思った。

「男バレの見学はこっち、女バレの見学はそっちね」

 部員の人に簡単に指示される。

「じゃ、望子、また」

 軽く手を挙げて言うと、望子はしばらく不満げに顔をむくれさせた後、根の張った足を重々しく女バレの方へ向けた。

 手ごろな壁際を見つけると、カズマは野田の右側に、少しだけ距離を開けて座った。

 野田の言った通り、まだ仮入部ではなく見学期間だからか、本当に体育館の隅で練習風景を眺めているだけらしかった。

 パッ、パッ、と、トスの際に指にボールの引っかかる音が響く。

 割と真面目な雰囲気で、部員たちは声を出しながらトス練習をしている。

「ここのバレー部って強いの?」

 放物線を描くボールを見上げつつ尋ねてみる。バレーのことはさっぱりなので、この練習内容のレベルが高いのか低いのかすらわからない。

「守良先輩はそこそこって言ってたな」

「守良先輩?」

 野田が女バレの方を指さす。

 女子たちの中でひときわ声を出して練習をする守良がいた。

 ちなみにその奥からは、望子がじーーーーーーーっとこちらを見つめてきていた。

「ハンコ巡り行ったら、部活見学来たらハンコあげるって言われてさ」

「え、そんな条件つけられることあるの」

 ハンコ巡り。楠寮独自のイベントである。

 新入寮生がノートとペンを持って二年、三年の寮生のもとへ行き、お互いに質問をぶつけ、理解を深めてサインをしてもらう。

 約一か月の期間に、できる限りたくさんの寮生にあいさつ回りをしましょう、というイベントだ。

 この説明も先日の集まりの時になされ、一人一冊のノートを持たされた。

「最下位になると罰ゲームっつってたし、早めにやっといた方がいいんだろうな」

「めんどくさ……」

 暑くもないのに身体が溶けてゆく感覚。

 このイベントに限らず、罰ゲームで尻を叩こうという魂胆は、正直なところ気に入らない。

 力関係に任せたやり方は、上に立つ人間としてあまりに傲慢だろうと感じる。

 が、入寮してほんの数日のカズマにこの行事を否定する権利などない。組織の方針に従うしかなく、かといってやる気も出ず、ノートをほっぽっているのが現状であった。

「俺実はハンコ巡り用のノート持ってきてんだ」

 野田はニヤリという笑みとともに、鞄からノートを取り出した。

「え、なんで」

「たまたま先輩に会うかもしんないだろ?」

「やる気ありすぎない?」

 カズマの場合、そもそも学校で寮生に会っても気づかなさそうである。

「そういえば野田君って彼女とかいるの?」

「うぇあ? いきなりなんだ?」

 急な話題転換のためか、変な声を出された。

「あ、ごめん。ただの青春世間話」

「なんだその野暮ったい名称。残念ながらいねえなあ」

「欲しい?」

「そりゃあ、まあな」

「高校で探してる感じ?」

 カズマの問いかけの連続に、「ん~~~~~~~~~」野田は怪訝そうに首を傾げ、やがて頭上に電球を浮かべてポンと手を打った。

「そういうことか。たしかに一番最初に声かけたけど、祭が好きとか狙ってるとかそういうんじゃねえから。安心してくれ」

 ポンポンと背中を叩かれた。

 さりげなく探っていくつもりだったが、思ったよりも早く察されてしまった。

 やっぱり漫画の探偵みたいにうまくはいかないなと思った。

「いや、むしろ望子と付き合ってほしい」

「……は?」

 野田は明るい顔のまま、目を瞬かせた。

「どういう事だ? 吉根たち付き合ってるんじゃないのか?」

「待って前提がおかしい。僕と望子はただの幼馴染だよ」

「マジ?」

 体育館の反対側からじーーーーーーーっとこちらを見てくる望子とカズマを見比べる。

「あんな滅茶苦茶こっち見てんのに?」

「うん、まあ」

 なるほど、今の望子の睨みつけるような眼力を目にしたら、そういう風にも見えるのかと思った。

「で、付き合ってほしいってのは? 祭が彼氏欲しいって言ってんの?」

 後ろの壁にもたれかかり、腕を組んで尋ねてくる。

「言ってない。でも、望子はおでこの傷のせいで避けられるようになって、中学に上がってもみんな遠巻きに見るだけで友達がいなくて、高校に上がってもやっぱりつっけんどんな態度をとるから――」

「吉根、落ち着け。要点をまとめてくれ」

 早口にまくし立てるカズマの肩を掴んでゆする。

「つまり、望子には親しい人がいないから、彼氏になってあげて欲しい」

「飛躍してねえ? 友達がいないなら、まずそっちからだろ」

「いや、でも……」

 ごにょごにょと言葉を濁らせるカズマに、野田は爽やかな笑みを向けた。

「せっかく同じ寮で同じクラスになったんだ。俺も祭とは仲良くしたいと思ってるし、そっちからアプローチしてこうぜ」

 本当のところ、カズマは、彼氏を作ることこそが重要であると考えていた。

 望子とカズマはの関係は幼馴染であり、友人だ。

 そこに野田という新しい友人が増えた程度では、彼女とカズマの間の繋がりがそれほど細くなるとは思えない。

 恋人という、友人よりも強い関係を彼女に繋げることで、望子から自発的にカズマから離れてゆく。

 そういう流れを脳内でシミュレートしていた。

「……そうだね。ごめん」

 とはいえ、野田が言う事ももっともである。

 友人を飛び越していきなり恋人になるのは難易度があまりに高いし、野田に強いる負担も大きい。

 急がば回れという言葉もある。一直線にゴールを目指したくなるが、そういうときにこそ段階を踏むべきなのかもしれない。

「つーか、こんな知り合って間もない相手に彼氏になってって無責任すぎね? 俺が悪い男だったらどうすんだよ」

 両手を組んで伸びをする野田に、カズマはポツリと呟いた。

「野田君、多分いい人だから」

「あん?」

「望子のおでこの傷についてさ、格好いいって言ってたでしょ。あんな風に言う人いなかったから」

「お、おお、そうか」

 野田はほんのり赤く染まる頬をぽりぽりと掻いて、視線だけそっぽ向けた。

「ま、そういうことなら、とりあえず祭と仲良くなる方法考えてこうぜ」

 照れ隠しか、大きな声で言ってバシバシと背中を叩かれた。

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