俺の彼女はムチ9割
伊崎夢玖
第1話
「それで、先生は何だって?」
「全治2ヶ月だそうです…」
「あっそ…」
骨折をした。
しかも、利き手である右手を。
(これは、同棲してる彼女に内緒にした罰なのかもしれない)
そう俺は静かに思った。
事の発端は先月大学時代の仲間からの連絡だった。
『スキーに行かないか?』
俺がスキー好きなことを知ってか知らずか、連絡を寄越してきた。
もちろん二つ返事で了承した。
しかし、彼女になんて言えばいい?
「旅行に行く」
そんなの倹約家な彼女から『金の無駄』と言われて終わりだ。
あれこれ悩んだが、結局「実家に帰る」と嘘をついて、行くことにした。
スキー自体は楽しかった。
朝から夜まで好きなだけ滑り放題。
毎日が楽しかった。
最終日、もう少し滑りたかった俺は一人でリフトに乗り、滑走した。
スピードも乗ったコース半ば、目の前に突然子供が現れた。
いきなり止まれるはずもない。
(避けきれねぇ…!)
しかし、なんとか避けることができた。
俺の右腕を犠牲にして…。
その後のことは、正直あまり覚えていない。
折れた右腕の痛みと、子供をひきそうになったショックとで仲間に付き添われながら、スキー場を後にして、そのまま病院へ直行。
子供を避けた時、どうやら頭も打っていたらしく、一泊の検査入院をしなければならなくなった。
未だ動揺している俺が冷静に手続きができるはずもない。
俺の代わりに仲間が手続きをしてくれたおかげで、俺の知らないところで彼女に連絡を取られてしまい、内緒でスキー旅行に来たことがバレた。
病室にやって来た彼女は、旅行に行く前と何も変わらない。
怒られる覚悟をしていたのに、怒る素振りも見せない。
だから余計に怖かった。
怒られるならさっさと怒られて、謝ってしまいたい。
彼女に内緒で来た罰を受ける覚悟は、とうにできていた。
「食べないの?」
さっきから言葉を発してこないと思ったら、彼女は自分で持ってきたリンゴを剥いていた。
しかも、かわいらしいうさぎの形。
「食べさせて…」
「自分でできるでしょ」
彼女は基本冷たい。
普通自分の恋人が怪我したと聞けば、もう少しあれこれ世話を焼いてくれてもおかしくないはずだ。
しかし、彼女は普通とは違う。
自分でできることは自分でやれ。
それが彼女のスタンス。
甘えても一蹴されて終わり。
甘やかされたことなんて、熱を出した時くらいか?
その程度だ。
アメがなく、ムチしかない俺の彼女。
「知ってるんだからね」
「……」
「右手が使えなくても、左手が使えるでしょ」
なぜかバレていた。
俺が両利きであることが…。
元々左利きだったのを、親が矯正して右利きになった。
今ではほとんど右手。
だからって、左手が使えないわけではない。
箸を使うのと、スマホをいじるのは左手が多い。
でも、彼女の前で左利きであることがバレる素振りはしたはずない。
いつも右手を使うようにしていたから。
それが、なぜ…?
俺が一人で頭を悩ませていると、彼女がポツリと呟いた。
「右手じゃなくてもフォークで突き刺せば左手でもできるでしょ」
なるほど。
そういうことか!
危うく両利きであることを自白するところだった。
言われた通り左手にフォークを持ち、うさぎの形に切られたリンゴに突き刺し、カシャリと音を立て、一口食べる。
実にうまい。
程よい甘みの中に酸味がいいアクセントになって、これは止まらなくなるやつだ。
二つ目を食べようと、リンゴにフォークを突き刺そうとするが、うまく突き刺さらない。
何度やってもリンゴが逃げる。
躍起になって何度も、何度も突き刺そうとする。
ここに、俺とリンゴの小さな戦いが勃発した。
数分の後に、この小さな戦いは終わりを迎える。
結果から言うと、リンゴの勝利。
俺から逃げるかの如く、皿の上からピョンと床の上に落ちてしまった。
一連のやり取りを見ていた彼女から大きな呆れ返ったかのような溜息が漏れたのを聞いた。
食べ物を粗末にすることを一番嫌う彼女。
(怒られる…!)
しかし、待てど暮らせど彼女からの雷は落ちてこない。
その代わり、目の前には彼女が使っていたフォークに突き刺さったリンゴが差し出されていた。
「…食べないの?」
「食べます…」
「口、開けて」
彼女からのアーンで食べるリンゴは、さっき自分で食べたリンゴより何倍もうまく、そして甘く感じた。
これは愛ゆえなのか。
それとも、普段塩対応でムチしか与えてくれない彼女からの優しいアメだからなのか。
そんなこと考えるだけ無駄だと早々に思考を止め、彼女の手から与えられるリンゴを頬張ることに集中した。
俺の彼女はムチ9割 伊崎夢玖 @mkmk_69
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