十六夜の桜の下で

香居

……と言えたら風情もあっただろうが

 歴史文化総合研究所・主任研究員の朝見あさみ瑠璃花るりかと助手の増渕ますぶち公平こうへいは研究室にいた。


「窓のすぐ近くに桜があるんだから、『桜の下』と言ってもさしつかえないだろう」

「急にどうしたんです?」


 窓の外を睨みつけた瑠璃花に、公平は目を瞬かせた。


「いや、言っておかないといけないような気がしてね。私だって、花びらが舞う中で盃を傾けたほうが良いに決まってる」

「せっかくの花見ですもんね」


 公平は苦笑した。

 瑠璃花の不満もわからないではない。彼女の性質ならば、こんな殺風景な場所よりも桜の下で花見酒をしたいだろうから。ただし花粉症でなければ、の話だが。


「主任の気持ちはわかりますけど、今は場所にこだわるよりも、見事な月と夜桜を楽しんだほうが良いような気がしますよ。ほら、昨日は曇り空でしたけど、今日は星も見えますし」

「……まぁ、そうだね」


 しぶしぶ頷いた瑠璃花は指先で持っていたお猪口を軽く揺らし、一気に呑み干した。


「相変わらず、良い呑みっぷりですよね」

「褒めても何も出ないよ」

「残業代くらいください」

「失礼だね、キミ。こんな美女と酌み交わしているのに『残業』扱いとは」

「その顔で『美女』とか言わないでくださいよ。自慢にしか聞こえませんから。っていうか酌み交わしてないです。ほとんど主任がひとりで呑んでますから」

「おや、そうだったかな?」

「水飲んでるのかと思うくらいですよ」

「口当たりが良いからね」


 美酒に機嫌を直した瑠璃花は、お猪口になみなみと注ぎ、飲み干した。


「うん、美味い」

「良かったですね」

「五合じゃ足りないなぁ」

「『ちょっと足りないくらいが、ちょうど良い』 主任の持論でしょ?」

「酒は別腹なんだよねぇ」

「はいはい。主任が別腹なのは、お酒だけじゃないでしょ」


 公平は足元のクーラーボックスの中から、大きなロールケーキを取り出した。


「わかってるじゃないか〜、キミ♪」


 鼻歌を歌うかのような浮かれっぷりでロールケーキを受け取った瑠璃花は、


「だから好きだよ」


 と満面の笑顔で爽やかに言い、包みを解くと同時に齧りついた。



 ──あむあむと幸せそうにロールケーキを堪能していた瑠璃花は知らない。

 真っ赤になった頰と口元を片手で隠した公平が、


「……無意識だもんな……ずるいよなぁ……」


 と、ぼやいていたことを。





二刀流:酒もよく飲み、甘いものも好きなこと。(精選版 日本国語大辞典より)

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