第6話 鍛錬所の名物メイド


 宮廷の物見塔に近く、敷地内の北側に広がる広大な裏庭の先には、宮廷騎士団の鍛錬所や、警備隊などの治安維持に従事する為の施設が多く目立つ。 鍛錬所を過ぎると直に、業者や宮廷関係者が主に利用する裏門が見えてくる。 


 裏門からは他国との国境が程近く、外壁を優に超える高さを誇る物見塔の、今は誰も踏み入れない最上階から景色を眺めるなら、容易に検問所が見渡せるだろう。 


 マハラ側の検問所に隣接された国境騎士団の本拠地は、腕の立つ兵士や傭兵などが配備され、

入国警備官を補佐する役割も担っていた。


 マハラの王族が所有する宮廷騎士団の拠点では、国境騎士団などで活躍する兵士なども輩出しており、兵士育成に力を入れていることから、鍛錬所と呼ばれていた。 そこから漏れ聞こえる様々な音は、裏庭に活気を持たせているようだ ‐



 鍛錬所の朝は早かった。 カンカンカン‐ 3階建ての木造宿舎から、起床の時刻を知らせる無機質な鐘の音が響き渡る。  ややしばらくすると、兵士や士官候補生が野外に姿を見せ、鍛錬所はいつもの訓練の様相を見せた。


 剣を扱う兵士の訓練風景としては特段に変わった所は見受けられない。 ただ一つ、教官の一人が、メイド姿の小さな女性だという事を除いて‐



 ズザーッと、平地を音を立てて滑るように倒れこむ候補生。 まだ、どこの騎士団にも席を持たない兵士の卵だ。 その姿を上から眺め、にやにやと汚らしい笑顔を浮かべる金髪の男は、国境騎士団に派遣された、他国からの雇われ兵士。


 まるでいたぶるのを楽しむかのように、ゆっくりとした動作で候補生に近づくその姿は、獲物を捕獲しようとする蛇のようで、周りで見ていた兵士たちも、その異様な雰囲気に尻込みをしてしまう。


 国境騎士団と宮廷騎士団による合同訓練だった。 国境騎士団は、他国から兵士を雇うこともあり、その力量を図るため候補生や新兵にまじり訓練を行う事が多い。


 他国からの雇われ兵士は、腕に自信のある流れ者や、所属していた騎士団の指揮官を務めた事があるものまで、幅が広く、宮廷騎士団に所属する兵士にとって戦力差が大きいことも珍しくはない。


 腕の立つものが人格者である場合、その経験を生かし指導を施してくれると、鍛錬所としても大いに重宝し、助かるのだが……すべてがそう上手くいくはずもない。‐


 「待ってくれ、足が……」


 上半身を庇いながら倒れこんだ時に、足首を痛めたのだろう。 起き上がれずにいる候補生の頭上に剣が振り降ろされようという時だった。


 「そこの組、あなた、ちょっと私と代わりなさい」 言うが早いか、候補生のわき腹を蹴り上げると、先ほどよりもよほど高く舞い上がり、どさりと鈍い音が鳴り響く。 砂埃が舞い上がり、まるで突風に攫われたかのようだった。


 先ほど候補生がいた場所に、金髪の男、雇われ兵士の剣が空を切った。 金髪の男は、舌打ちをしながらギロリとその教官を睨みつけると、その風貌に思わず眉根を寄せる。


 唯一の女性教官。 しかも本職の仕事着なのだろうか、服装はヒラヒラのフリルの付いたメイド服だった‐ 彼女の動きに合わせて膨らんだスカートが揺らめく。


 身長はお世辞にも高いとは言えず、大人びた子供の様にも見える。 切れ長の大きな瞳に不釣り合いな小柄な鼻と口は、まるで人形のようで、無造作に後ろで束ねられた長い髪と瞳は漆黒で、彼女をより一層神秘的に映した。


 わき腹を抑えながら、ピクリとも動かなくなった候補生を療養所に連れて行くように指示すると、メイド姿の女性は雇われ兵士の前まで歩み寄った。


 「……その髪。 東の出身か」


 「教官のウメだ。 実力に似合う相手が見つからず苦労をかけたわね。 私が相手をしよう」


 穏やかに微笑むと、教官らしい振る舞いで剣を抜き構える。 その姿は独特で、頭からつま先までぴんと糸を張った様に姿勢正しく、しかし両足はわずかに開き、凄く自然体に感じられる。


 オーラに気圧されながらも、それを悟られまいと鼻で笑って見せると、ウメを舐めるような視線で観察する。


 「は、宮廷騎士団は人材不足と聞いていたが、こんな子供まで雇ってるのか? 嬢ちゃん、大怪我する前に俺が高く買い取ってやろうか?」


 一瞬で場の空気が凍る。 彼女をよく知る宮廷騎士団の兵士たちは、ただ無事を祈った。 ‐ 金髪の男の。

 

 一瞬だった。 ひゅっと突き出した剣は金髪の男の喉元にあった。 「は、速い……」 平静を取り繕うも、顔は赤く紅潮し、引きつった笑顔からは余裕が見受けられない。


 後ろに下がり、態勢を立て直すと、金髪が全力で上から剣を振りかぶる。 それを左下から打ち上げて、わざと力任せに弾き飛ばす。 ‐ガキンと一層大きな金属音を鳴らすと、練習試合用に丸みを帯びて作られたロングソードは宙を飛び、地面へと落下する。


 「悪いけど、あんたの薄給じゃあ、ごめん被るさね」


 「糞ガキィ……、舐めやがって! メイド服じゃあ動きづらいだろっ? 今ひん剥いてやるっ!!」


 踵を返し、背を向けるウメに対し騎士道精神の欠片も持ち合わせずに殴りかかろうとする金髪を、振り向きざまに姿勢を低くすると、抜刀の構えのまま足のすねを強く打ち据える。


 「ぎいあああぁ!! 骨があ!!」 と喚き、溜まらず地面に転がり込む金髪のわき腹を踏みつけ、唾棄するようにウメが舌打ちをする様子を見ると、周りの兵士たちは思った……折角穏便にすんでいたのに、と。


 「ああぁ? 舐めてんのはどっちさね、ちったあ指導に使えそうだと下手にでてりゃあ、お嬢だガキだとさえずりやがって!! あんたにゃあメイド服で上等、汚してみやがれってんだわ!!」


 「まずは相手の痛みを知りなさいっ!!」 言いながらわき腹を思いっきり蹴り上げると、鈍い音が響きわたる。


 「やめ、……わき腹はあんたがやった……」 


 「あら、私は別よ、代わりに受けときなさいな。 はあ……、このやり取りはあんたで何人目かしら」


 弱弱しくつっこみを入れる金髪にとどめの蹴りをいれながら、しれっと言い放つのだった。



 雇われの金髪男が療養所に運ばれると、何事も無かったかのようにいつもの訓練が開始される。 彼女が教官として赴任してから2年余り。 こうした騒動も、もはや日常になりつつあった。


 一息をつきながら訓練を眺めるウメに、年配の教官が顔を青ざめさせながら駆け寄ってきた。


 「ウメちゃん、あ、あんた今度王妃候補の世話係になったんだって? 紹介ついでに名代の剣術稽古の相手をしてやってくれってレオン様からの通達がきたよ!」


 命に関わるかも知れないから、名代に無礼を働かないようにと、心配をする年配の教官を他所に、ウメは密かに口角をあげ、小さく呟いた ‐


 「待ってたわよ、 内側から取り入って、絶対に見つけてやるんだから」

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